昨年ほどではなかったけど
やっぱり夏は暑かった
その夏もようやく終わり
秋の気配に包まれてきました
これからまた野外が楽しい季節です
でも、過ぎていった夏が
今になって恋しくなる季節でもあります
ごめん、8月もサボってしまった |
ぺんて君の大手術 |
名古屋名物 |
颯は高性能水冷エンジン |
深谷橋上駅サブレというお菓子があるそうです |
この夏は旅暮らしだった |
あと2つのキーワードはこの後で話しましょう。
秋葉原のパソコンショップに行き、店員に向かって「やはり、増設するときは同じメーカーの物を買ったほうが安心なのだろうねぇ?」「いや、最近はそんなことを気にしなくても大丈夫ですよ。お客さんの機種は?」
1年半ほど前に買った機種名を告げると、店の奥から鋭い声が飛んできた。「気にします。というよりその機種は、まずマザーボードを換えた方がいいです。マザーボードを交換しなければ増設してもハードディスクは動きません」
先輩店員が言うには、その当時のパソコンはまだ未熟で、仕様では可能になっているが、実際には動作が不安定な面もあるのだそうだ。しかし、この店が国内独占販売している、いわばオリジナルのパソコンだよ。あんなに宣伝して売っている自社商品を欠陥品のごとくボロクソに言うことは無いよなぁ。こっちだって大事な貯金をおろして買ったんだから。
たしかに『ぺんて君』のマザーボードにバグがあるのは知っていて、Win3.1の頃には対策用のソフトを使っても時々ハングアップしていた・・・けど、Win95になってからその症状は全然出なくなっているという明るい材料もある。「いいよ、リスクは自分で負うから」と新しいハードディスクを買ってきた。いちおう同じメーカーの品を。
次の週末、増設作業に取りかかる。以前メモリーを増設したときに、元からあるハードディスクの取り付け位置を変更すれば2台内蔵できると目星をつけておいた通りに作業を進める。さすがにカスタマイズを前提に作られているDOS/Vマシン、電源ケーブルも使われていないのが3本も余っているし(CD−ROMに1本使っても、だ)、ちょちょいのちょいと取り付けてしまった。本屋で立ち読みして覚えたとおりにBIOSの設定変更もフォーマットもあっけなく終わり、『ぺんて君』は1.2GMBのハードディスクを併せ持ってしまったのだった。とりあえず動作も問題ないようである。
「かぁんたんじゃねぇか」
次の週末、プログラムなどの環境を整えようと、フロッピーからファイルを転送しようとしたら、フロッピーの読み書きができなくなっていることに気がついた。フロッピードライブがあることまでは認識しているのだが、どうしても読み書きできない。ドライバーをいろいろ変更してみたが、駄目である。
「これでいいんだってばぁ」・・・声に張りが無い
次の週末(作業が一週間間隔になっているのは、平日の夜はビール飲んで寝てしまっているからである)、もう一度『ぺんて君』のケースを開いてみた。すると、フロッピードライブの後ろから出ているコードが外れかかっているのを見つけた。ハードディスクの取り付け作業の時に手がぶつかるなどして緩んでしまったのだろう。なんだ、そうだったのか、ははは・・・
しかし、時すでに遅し。ドライバの変更など、ソフトウェアをいろいろいじっているうちに、うっかりパソコンの起動に必要なファイルを削除してしまったらしい。Win95はSAVEモードでしか立ち上がらなくなり、SAVEモードではCD−ROMが使えなくなり、復旧のためのプログラムはCD−ROMの中にしか無い・・・
次の週末・・・まで待っていられない状況になったので、さすがに平日の夜も復旧の方策を講じたが、結局のところ、DOSモードで起動してWin95の再インストールという方法をとってしまった。やれやれ。
ようやく『ぺんて君』が復活したら、夏休みになってしまった。
さて、今回は「途中で落としたら困るから」と、とどまつハウスの鍵を置いて出てきた。つまり、土産という物を買って帰らなければドアが開かないのである。名古屋土産って何だろう? かあちゃんは「味噌」を買ってこいとのたまうが、あれは重そうだねぇ。「ういろう」というのも重そうだし・・・
デパートの名店街に行けば、何かしら地元の老舗があるに違いない。名古屋といえば松坂屋である(でも、松坂屋といったら上野を連想するが)。単に駅前にあって便利が良かったからという理由もあるが、のこのこ入っていったらオバさんと目が合いニッコリ笑われてしまった。「おお、そうだ! えびせんべいだ! これなら軽い!」
かっぱえびせんは東京北区が本場だが、本来東海地方の人間のえびせん好きは有名で、実はとうちゃんも好きなのであった。
デパートに入って最初に見つけた店の、オバちゃんが次々と試食をさせるので逃げ切れなくなったという見方もできるが、家の土産だけではなく、実家や上司や・・・と買い込んだら結構な量になってしまい、このあと駅構内や秋葉原のコインロッカー(こんなの抱えてハードディスクを買いに行けないよな)で苦労する羽目になるのであった。やっぱり味噌1kgぐらいをバッグに入れて帰った方が良かったかな。
それにしても颯は水遊びが好きである。もともと外遊びが好きで、公園で遊んでいても「おんも行く〜!」とぐずって泣くくらいで(ここがおんもだろうが)、我が家では彼のことを「おんもの子」と呼んでいるのだが、プールに入れるとそのスタミナはさらに底なしになってしまうようだ。
というわけで、とうちゃんの夏休み、颯は常にどこかでプールに入っていた。いとこの住むマンションでも、那須のホテルでも。そのうち浮き袋を嫌がってビート板を使いたがるようになったので、これは間もなく泳げるようになるのではないかと親バカしてしまったのだが、今シーズンは無理だろう。
ま、水を怖がらない子になってくれればそれでいいと思っている。それになにより、颯と一緒にプールに行くおかげで、とうちゃんの健康増進になっている・・・のだけど、泳いだ後のビールが旨くってねぇ。
ところで、さきほどから「戦前の東京駅」と書いていますが、もちろん、とどまつハウスの誰もが実物を見たことはありません。話しに聞いて絵や写真で見ただけです。でも、ミニチュアなら鬼怒川のワールドスクエアで見てきました。今のように周囲に背の高いビルが無かった時代では、帝都の玄関に威風堂々と建っていたことでしょう。
XCスキーのためによく走った道を日光に向かいます。冬にばかり走っている目からすると、ずいぶんクルマの数が多く感じるのですが、10数台くらいで切れ目が見えるようでは混雑と呼ぶほどではないでしょうね。日光から今市に向かうというのは、宇都宮方面から来る普通の人とは逆コース。だからクルマの流れもスイスイです。
鬼怒川で遊んだ後は、そのまま会津西街道(R121)を走ります。4年ほど前、只見から会津田島に出てこの道を帰ってきたことがあったけど、あまりにスイスイ走れたことに驚いたものでしたが、今回もまた。強い日差しと濃い木陰のコントラストの中、途中ところどころの河原でテントを張っている人たちを見ながら走ります。とどまつハウスの8月はキャンプはお休みなのです。
福島県との県境が近づいたところでR121を離れ、峠を越えて塩原温泉へ。ここでも麓から登って来る都会ナンバーのクルマたちとすれ違いながら・・・那須のホテルで「今日は道路が混んだでしょう?」と言われても、ピンとこないのでありました。
那須での滞在中はね、いちおう子供連れだし、といってこのあたりに詳しくもないので月並みかも知れないけど『りんどう湖ファミリーランド』というところに行ったのですよ。ここなら、小さい子供でも遊べる遊具があったりして(親にとってはお金がかからないというメリット)いいかなぁと思ったのですね。とはいえ、かあちゃんにしてみれば「なんで那須まで来て、いつもの公園遊びと同じことしなくちゃならないの?」ということになるのだそうですが。
ファミリーランドは適当に引き上げて、ホテルのプールと温泉で遊びます。リゾートホテルというのは、そこから一歩も出なくても一週間くらい楽しく、そして落ち着いて過ごせるところを言うんでしょうね。もちろん、試してみるだけのサイフはありません。せいぜい2泊。
さて、那須からは東北道を走って横浜まで直行することにしました。まだまだ下り車線は渋滞中。それとすれ違いながら首都高に入ると都心が渋滞中との情報。結局一番遠回りの湾岸線を走ることにして、葛西から遠くにディズニーランドを眺めたり、レインボーブリッジを渡ったり東京タワーを近くに見たりして東京見物を楽しみながら用賀まで行き、そのまま港北の実家まで走って・・・子供たちはおじいちゃんおばあちゃんに任せて、ゆっくり夏休みの後半を過ごすことにしたのでした。
とどまつハウスのジプシーキャラバン、最後は鎌倉のけむたま家にお泊まりです。2ヶ月ぶりに見たけむたま氏のクルマにはルーフボックスが載っており、それを見たとうちゃんは、自分も欲しいなと言うかと思ったら「今まで使っていたルーフラック、幾らなら手放す?」
とうちゃんのルーフラックは幅が狭くてRV−BOXの3連装ができないのですが、けむたま氏が使っていたものならできるのです。もちろん、けむたま氏だってとうちゃんの目論見は承知しています。だから、自分ではもう3連装ができなくなったRV−BOX2個(1個は車内に入れるのだそうです)と固定用のベルトをセットにして売りつけたのでした。
一週間ぶりに戻ってきたとどまつハウスは・・・サウナでした。しかも、北側の部屋の方が熱がこもって暑くなっていたのです。無事帰ったよと報告の電話をしようとしたら・・・「あっちっち!」と思わず受話器を耳から離したのでした。
また神話が増えてしまった。