《1996.10》



とどまつハウスには外国から
通信販売のカタログがよく届きます
一時は数が減ったけど
最近また増えてきました
そう、クリスマスギフトの季節です
あいにく英語は読めないけれど
写真を眺めて楽しんでいます


 
この字でいいの?
とどまつハウスの秋の虫
遠いキャンプ場(その1)
遠いキャンプ場(その2)
遠いキャンプ場(その3)
セトモノは燃やせるか?
ファドのコンサート


この字でいいの?


 先日、とある会合に出席したら、プログラムの合間に司会者がこんなことを言いました。
「中国から漢字が伝わってきたときに、文字と意味が入れ替わってしまったものがあります・・・判りますか?」
 ニヤニヤしながら聞いていたら、司会者は少し間を取ってからホワイトボードに文字を書き付けながら、父ちゃんが思った通りのことを言いました。
 「それは『晒』と『泊』です。だってお日様が西に傾くから『泊まる』のであり、水で白くするから『晒す』のでしょう?」

 実はこの話、学生の頃に友達から聞いて知っていて、そしてすごく気に入っていたんです。なんかこう、遣唐使の船が東シナ海で嵐にあって積み荷がひっくり返り、中から漢字や意味を記した紙が散らばってゆくのを小野妹子があわてて拾い集めている・・・そんなイメージが目の前に浮かんでさえくるのです。(なんちゅうイメージや)
 ところが、当時おもしろがって人に言いふらしていたこの話、調べたら違うんです。辞書を引くと『晒』というのは『日』扁に『麗』という字の略字なのだそうです。つまり「お日様にあてて綺麗になる」から『晒す』ということになるんだそうです。『泊』のほうはというと、「水の浅いところ」という意味があるらしい。こういうところに碇をおろして停泊するという、大河の船旅が重要な交通であった中国なら当然「宿泊」に結びつく文字ですよね。
 というわけで、どうやらこの話は川といえば交通路としてではなく、小千谷ちぢみの寒晒しの場所だとしか思いつかない日本人の作り話のような気がします。しかしなかなか良くできた話で、雑談のネタとしては大好きなんです。
 例の司会者は教養の高そうな人でしたから、会場の雰囲気を和らげるためにジョークとしてこの話を披露したのでしょうか? ちょっと気になってしまいます。

 で、ちょっとどころではなく気になっていることがあるのです。どうして「豆を腐らせたものが『納豆』で、豆を四角に納めたものを『豆腐』と呼ぶ」のでしょうか?


とどまつハウスの秋の虫


 蚊の季節です・・・と書くと、「6月か7月に載せそこなったネタ」と言われるかも知れないけど、とどまつハウスでは今が旬なのです。去年もそうだったのだけど、夏の間はあまり見かけなかったくせに、9月を過ぎると蚊が増えてきて部屋の中を飛び回っているのです。「秋だなぁ、すっかり蚊がいなくなった」と言っているアナタ。きっと貴方の家の蚊が渡り鳥のごとく移ってきて我が家で越冬しようとしているのですよ・・・はて、蚊は冬を越すほど長生きしたっけ?
 冗談はともかく、あんまり多いので、家のどこからかボウフラが湧いているのではないかと見て回ったけど判らなかったのが昨年のこと。今年はすっかり秋の風物詩として諦めてます。

 風呂場は連中にとっても居心地が良いのか、はたまた室内が狭くて殺風景で発見しやすいのか、集結場所になっているように思えます。こちらにとっても追い詰めやすいという利点があるので、風呂に入る度に3匹くらい撃墜していますが、部屋の中はインテリアの模様にまぎれて見つけにくいですね。でも、パソコンに向かっていると目の前を横切ってゆくときに捕まえて(父ちゃんは片手で捕まえるやり方が得意だ。手を開いたときに逃げられてしまう率も高いけど)・・・やっぱり2、3匹は撃墜します。
 でも、さすがに涼しいせいか蚊の動きも鈍いですね。親がやるのを見て颯も手をパチンと打つのだけど、その颯にたたき落とされた蚊がいたんですから。
 ホームセンターに行っても、今の季節では蚊取り線香を置いていないのですが、夏のうちに買っておいてほとんど使わなかったものをここにきてようやく使いだしました。最近の電気蚊取りはボトル1本で90日使えるというので、これで年内は大丈夫でしょう。さすがに正月まで蚊で悩まされた記憶はないし。

 しかし、蚊について何が嫌だといっても、寝ている時に顔の周りを「ぷーん」と飛んでゆく羽音ほど嫌なものはないですね。


遠いキャンプ場(その1)


 8月はキャンプに行かなかった我が家ですが、さぁ9月にはでかけよう。で、さて、どこに行こうか?
「どうせならウチの家族だけでのんびりしたいわねぇ」と母ちゃん。
 そういえば今年のキャンプはすべて友人知人がそばにいた。仲間と語り合うキャンプも好きだけど、久しぶりに家族だけで出かけてみよう・・・だとしたら、あそこだな。でも、あのキャンプ場、「妙に運が悪い場所」なんだなぁ、我が家にとっては。

 初めて訪ねたのは3年前の8月でした。5月に生まれたばかりの颯を連れ出すことに母ちゃんが難色を示し、父ちゃん一人で泊まることにしたのです。
 パソコン通信で知り合った人と現地で顔を合わせ、歓談とフォルクローレのコンサートで楽しい夜のひとときを過ごし、さあ寝ようと自分のテントに戻ってそのとき初めてシュラフを忘れてきていることに気がつきました。
 8月とはいえ谷間の夜は冷えこみます。当時すでに本来の目的では使わなくなっていた小さなタープを引っぱり出し、それにくるまって寝ることにしたけど、誰かが見ていたらきっと蓑虫のように見えたことだろうね。
 これが、そのキャンプ場との付き合いの始まりだったのです。

 次に泊まったのが翌年の8月。颯も1歳になり、すでに何度かのキャンプを経験していたから特に心配することも無くやって来たのですが、設営し終わって間もなく熱を出してしまいました。
 オーナーに病院の場所を訊ね、幸い土曜日の午後だったけど診察してもらい、薬を貰ってサイトに戻ってきたときはテントを畳もうかどうしようかと迷ったものです。
 ま、もうひとつ幸いが重なって颯の熱は下がり、そのまま泊まることになったのですが、撤収しているうちに再び熱が。どうやらタープを畳んで日向に待たせていたのが悪かったらしい。挨拶もそこそこに慌ててキャンプ場を後にしたところ、1時間もしないうちにケロッとしたときには思わずヘナヘナとなってしまった。
 ともあれ、笑い話にできたことは何よりです。だからまだ「妙に運が悪い場所」と言えるのでしょうね。

 3度目の夏は、いや、夏を迎える前から気合いが入っていました。今年こそ・・・。
 4月の声を聞くと同時に予約のハガキを出したところ、夏の予約は5月からなんだけどねぇ、仕方ないな、こいつというオーナーの苦笑いが見えるような返事が届きました。5月に生まれる予定の二番目の子、つまり結衣にとって、これが初キャンプになると決まっていたのです。連れ出すのを躊躇した颯の時とはえらい違いです。
 思惑をはずす原因になったのは生後3ヶ月の結衣ではなく、2歳を過ぎた颯の方でした。8月の半ばに40度近い熱が一週間も続いたです。そしてこの夏も前の年に負けず劣らずの酷暑。
 たとえ熱が収まったとしても体力も落ちているだろうし、屋外で過ごさせるのは無理だろう。そう判断してキャンセルの電話をする事にためらいは無かった・・・はずだったのですが、本来ならキャンプ場にいるはずの日に家で元気に騒いでいる颯を見ると、正直言って残念でした。
 2度あることは3度あるとか言います。どうやらこれで厄も落ちたことでしょう。

 というわけで今年がやって来ました。行く度に事件があるけど、それはキャンプ場が悪いのではない。それどころか度重なる不義理のお詫びかたがた、オーナーと笑いながらこれまでの話をしたい気持ちの方が強かったのです。

 「行くんだったら、ほかに用事があって1泊しかできない敬老の日の連休より、もう一週遅らせて2泊してこようよ」
 敬老の日の連休には雨が降り、父ちゃんも風邪で頭がクラクラしていたので、一週遅らせたのは正解でした。いよいよツキが回ってきたようです。さあ、今年こそ愉しいキャンプができそうだと週末を期待して・・・。

 「台風17号はゆっくりと北上し・・・」
 金曜日の夜、家路をたどるクルマのフロントガラスにぽつりと雨が落ちてきました。


遠いキャンプ場(その2)


 窓の向こうに雨の音を聞きながら父ちゃんは夢を見ました。いや、夢というよりは昔の記憶が甦ったのだけど、12年前の9月、友人とキャンプをしようとクルマを走らせていたのです。目的地はそのキャンプ場ではなかったのですが、降りしきる雨の中、キャンプを断念してベッドに空きのあるユースホステルを探したのは、あのキャンプ場の近くでした。
 峠の麓の分かれ道の風景が、カーステレオで聞いていた歌とともに脳裏に甦ります。

 そう言えば、初めてあのキャンプ場に泊まった翌週、もう一度家族揃って立ち寄ったことがありました。その日、我が家は小諸ユースホステルに予約をしていたのです。でも、パソコン通信で知り合った、ひらがサンがキャンプするというので、どういう人だろうとちょっと顔を見に寄ってみることにしたのです・・・台風でした。2泊の予定でやって来た一家は、1泊目はテント泊を諦めてコテージを借りることにしたとのことでした。
 峠の麓の分かれ道を少し登った風景が、ラジオの気象情報とともに脳裏に甦ります。

 9月のあの村の思い出は、どちらも雨で濡れていました。

 目を覚ますと、夜通し聞こえていた雨の音がやんでいます。カーテンを開けると意外にも西の空が明るいではないですか・・・いやなパターンですね。これが降り続いているのなら、あっさり諦めもつくというのに。
 ふつうなら天気は回復に向かっていると思える空模様なのです。でも、今回は台風の北上というのが明らかに想定されます。嵐の前の静けさというところでしょう・・・。
 そうは思っても目の前の空が明るいというのは気持ちが動揺するものです。行けば大丈夫なのではないか? でも、明日が最接近、そして上陸なのだから・・・3連休の中日に台風がやってくるなんて因果なものです。初日か最終日に来てくれれば、予定を1泊にしてどちらかにずらせるものを。
 キャンプ場にはキャンセルの電話をしなければなりません。でも、なかなか受話器に手が伸ばせません。朝食をとり、新聞を読み、テレビの気象情報を見て、ようやく父ちゃんが電話したのは9時でした。
 未練がましく空模様の話をしながらも、コテージが空いていないを聞いたら、あっさりと「すみません、キャンセルさせてください」と言葉がでました。ひらがサンのように台風をやり過ごす作戦が取れないなら、次の機会を待つのが賢明というものです。

 でも、どうしても気にかかって仕方がありません。キャンプ場にとっては、ましてこんな天気の日には、たくさんかかってくるキャンセルの電話のうちの一本かも知れませんが、父ちゃんにとっては毎回キャンセルの電話をしているみたいで心苦しいし、ますますこのキャンプ場が遠のいてしまうように感じてならなかったのです。

 「秩父にでもドライブに行こうか。ブドウ狩りができるかも知れないよ」

 雨が降り出す前に気晴らしでもしようと出かけることにしました。台風が近づきつつあるというのに、空はますます明るくなり、あろうことか雲の切れ間から青空さえのぞいているではありませんか。
 我が家から秩父に向かうと、15分ほどで関越道のインターチェンジの前を通ることになります。
 「どうしよう? 行っちゃうか?」と父ちゃん。

 数時間後、我が一家は信州にいて、くだんのキャンプ場にクルマを停めていました。 「こんにちは・・・キャンセルのお詫びに来ました」

 今日は20組くらいキャンセルがあったそうですが、それでも10組ほどのキャンパーが黙々と設営しているのを見るのは申し訳ないような気分です。我が家の家族構成や装備を考えたら、本当に台風がやって来たときに持たないだろう。だから、今日はこのまま帰ることを勘弁してもらいたい。オーナーにではなくキャンプ場そのものやキャンパー達に無言でお詫びです。もちろんオーナーには「今度こそ、ちゃんと泊まりにくるから」としか言えません。

 キャンプ場の近くにある牧場でソフトクリームを食べ、温泉にも寄ってきました。とりあえずキャンプに来たらやろうと思っていたことだけは日帰りで実行できたので少しは明るい気分です。
 遠のいてしまいそうだったキャンプ場が、なんとか手の届くところに繋ぎ止めた気分になりました。近いうちにまた来よう。今度こそ、本当に泊まれると思います。

 家路をたどる道すがら、振り返ると夕焼けが信州の山々をシルエットにして浮かび上がらせているのが見えました・・・明日、本当に台風はやってくるのかなぁ?

(もちろん、しっかりやってきたのは皆さんご存じの通りです)


遠いキャンプ場(その3)


 キャンセルの電話をしたキャンプ場にのこのこ日帰りで出かけて行くという行為は、人によって様々な印象があるだろうと思います。好意的に受け止めてくれる人もいるだろうし、人によっては「偽善的だ」「ええかっこしい」「イヤミなやっちゃなぁ」・・・
 父ちゃんとしては「本来電話というものは失礼な連絡手段である」という教育を受けた世代でもあるし「誠意を持ってキャンセルすれば、次回も訪ねやすい」という気持ちから、もともと電話の後でせめてハガキの一通でも出そうという思いがあったので、直接お詫びをするのが一番だと思ったのです・・・ま、ますます「今度こそ泊まらねば」というプレッシャーがかかったわけでもあるわけですが。

 というわけで次の週末に早速行って来ました。さすがに前もって予約するのははばかられたので、朝起きて空模様と天気予報を確認して、荷物もクルマに積み込んで、最後の最後に電話をかけて「これから伺います」

 2週続けてなので前回とは通り道を変えてみました。空は青く澄み渡り、汗ばむ陽気です。軽井沢では半年ぶりにフレスガッセのおじさんおばさんに挨拶して昼食をとり、小諸から千曲川に沿って走ります。稲穂が金色に輝くこの時期、この道は昔からお気に入りのルートなのです。
 しかし、夏なら暑い盛りの時間なのに、9月の終わりともなるとすでに夕方を感じさせます。秋ですねぇ。

 キャンプ場に着いてサイトを選びます。冷え込みが心配だから木の下がいいな。
「でも、あそこは栗のイガがいっぱい落ちているから」「じゃぁ、その上かな」「あ、隣に人が入っているから・・・二人で来ているみたいだし」「それじゃぁ邪魔しちゃ悪いね。栗の木の下を使うよ」「じゃぁ箒を持って履いてきましょうか?」「いいですよ、自分でどけますから」
 今日こそはちゃんと泊まれるぞと思うと、オーナーの奥さんとの会話も浮き浮きしてきますね。今まで夏の満員の時にばかり来ていたから、今日は一泊だけでものんびりできそうです。

 さて設営。このキャンプ場はスノコが用意されているので、栗のイガが落ちていると言ってもテントを張るにのは、それほど邪魔になりません。木の下なのでタープのレイアウトに制約はあるけど、現場合わせも楽しみのうちというものです。母ちゃんは何も無理してタープを張らなくてもと言うけど、夜露が気がかりだし、それに栗のイガが頭上に落ちてくるのを防いでくれる・・・とは後から気が付いたのだけど。
 それよりも参るのは何かれと手伝いたがる颯と結衣。ポールのジョイントからペグ打ち、とにかく親がやることを一通り自分でもやりたがるのです。しまいにはクルマの中からガスカートリッジを見つけてきてツーバーナーのセットをやり始めようとしたので、これはあわてて取り上げました。
「こんなのと一日中過ごしているんだから・・・私の苦労がわかるでしょ」
 まったく母ちゃんは日頃ご苦労様だと思います。でも、こいつが本当に役に立つ頃にはきっと「ぼく、もう父ちゃんたちとキャンプに行くのイヤだ」なんて言い出すのかな。
 邪魔になっていた木の枝を逆に上手く利用して、まずまずのレイアウトができたところで今週も近くの温泉に。湯冷めしないように気をつけなくっちゃ。

 さて、風呂から戻ってきて夕食まで手持ちぶさたです。父ちゃんは「クルマを運転して温泉に行くのだから駄目」と我慢させられていたビールにようやくありつけたのだけれど、夏ほどにはガブ飲みできない。だって吐く息がそろそろ白くなってきたのだから。
 今回の夕食は鍋です! と言うと聞こえはいいけど中身は「永谷園の煮込みラーメン」。すでに野菜は家から刻んで持ってきているので、ここで準備することといえば途中で買ってきたキノコを食べやすいように小分けするくらいのもの。
 キノコはこちらで買った方が安くて量がいっぱいあることを知っていたのですが、途中で立ち寄った小諸のスーパー(年に10回くらい、ここで買い物しているような気がします。埼玉県民なのになぁ)では「キノコ展示相談会」という催しをやっていました。こういうのを見るとつくづく「長野だなぁ」と思ってしまいますね。父ちゃんは今の季節になると10年以上も前に上田駅前の西武デパートに掲げられた「キノコ事故防止月間」という垂れ幕を思い出すのですが、キノコ好きは全国にいるとはいえ、こういうキャンペーンをやるのは長野県くらいではないでしょうか。佐久地方ではベニテングダケを食用にするというし、信州人の食に対する情熱というか食い意地には頭が下がる思いがします(長野県の人、悪気はないのです。ごめんなさい)。

 ・・・なんて連想の時間つぶしをしているうちに、ようやくおなかもすいてきて食事にしようかということになったのですが、ちょっと冷えてきたなぁ。
「テントの中で食べようか?」
 母ちゃんの提案に、最初はちょっと難色を示して見せましたが、今夜は食器をたくさん使う料理でもないので子供がいても大丈夫でしょう。
 実はこういうことを見越して我が家は6人用の広いテントを使っているのです。実際にこのテントで食事をするのは初めてですが、以前は団体キャンプの時など、テントの中で宴会をするのは当たり前でしたよね。そのころのキャンプのマニュアル本には決まって「ロウソクが立ち消えしたら酸欠に注意」なんて書いてあったものです。ま、さすがに3歳と1歳の子供を連れてテント内でロウソクを使う度胸はないので蛍光灯ランタンですが、しっかりツーバーナーを持ち込んで温かい鍋料理に舌鼓を打ちました。
 しかし、こうなるとちゃぶ台が欲しくなるなぁ。いかん、また道具が増えてしまう。

 父ちゃんがほろ酔い気分でトイレに行くと、昼間顔を合わせなかったオーナーが管理棟でくつろいでいるのが見えたので声をかけました。
「先週は済みませんでした」「なんだ、もう来たのか。酒飲む?」
 しっかりワンカップをいただいて(図々しい奴)、夏のコンサートやここで出会ったキャンパーの話などをして十六夜の月を見ながらテントに戻ると、母ちゃんが「まったく、もう」と迎えてくれました。今夜の月はおぼろ月。冷え込みも、心配したより和らぐかも知れません。

 しかし父ちゃんにとっては寒かった。どういうわけだか父ちゃんは真夏のキャンプでさえも寝ているときは寒がりなのです。夜更けに起きているときは、周りの人が震えていてもサンダル履いて笑っているのにね。

 朝です。近くで人の声とガサゴソという音が聞こえます。どうやら隣の空きサイトで誰かが栗を拾っているようです。ウチも後で拾おうかなぁ。
 日溜まりの中で椅子に座り、のんびりとした朝のひとときを過ごします。暑くもなく寒くもなく、実にいい気分です。母ちゃんが片づけ物をしている隙に、父ちゃんは帰りの荷物を軽くしようと空き缶を1本生産しました。「まったく、もう」

 周囲、といっても離れて点在するキャンパーたちものんびりしているので、こちらもつられてゆっくり構えていたのですが、そろそろ皆さん撤収を始めたようです。それではこちらもとタープを降ろし、フライを剥がしたら内側がびっしょり・・・そりゃそうですよね、テントの中に鍋を持ち込んであれだけ水蒸気を出していたのですから。草原にフライを広げ、やはりびっしょり濡れていたテントを干しているうちに、我が家の撤収は遅れてしまいました。片づけが遅いのは毎度のことですが。
 キャンプ場を出たのが12時。オーナーは「みんな早いねぇ。もっとゆっくりしてゆけばいいのに」と笑っていました。

 帰りは昨日とは違った温泉に寄って行きましょう。通り道にあるのは知っていましたが、入るのは初めてになる浅科村の「穂の香之湯」に寄ることにします。ここは露天風呂があったので颯は「おんものお風呂!!」と嬉々として飛び込みます。考えたら父ちゃんと颯は、去年の秋からあちこち出かけては温泉に入ってきているのです。
 汚れも落としていい気持ち。信州まで出かけて一泊ではあわただしいかと思ったけど、気持ちの上ではのんびりできて何よりです。

 それ以上に何よりだったのは、ようやくこのキャンプ場が「遠いキャンプ場」ではなくなったこと。来年のコンサートの日は予約をしても大丈夫、かな。

 そうそう、キャンプ場の名前をまだ言っていませんでしたね。長野県和田村にある「ミヤシタヒルズ」です。


セトモノは燃やせるか?


 とどまつハウスのある町は、10月から「ゴミは透明か半透明のビニール袋に入れて出しましょう」ということになりました。とりあえず試行期間らしいけど、紙袋や段ボール箱は駄目ということなのです。父ちゃんが机の周りを整理するときは、水気を含んだものは無いし、この方が燃えやすいだろうと、いらなくなったショッピングバッグやスーパーで貰ってきた空き箱を使うことが多かったのですが、これからはこれは駄目だということになります。まあ、ゴミを収集する人にとっては中が見えない袋や箱は困るからなんでしょうね。スーパーのお買い物袋は「半透明の袋」の部類に入るそうで、OKとのことです。自治体によっては「指定の紙袋」というところもあるようですが、ホント、このあたりはマチマチだなぁという気がします。
 マチマチと言えば「プラスチックは燃えるゴミか否か」という問題もあって、これは焼却炉の性能によるという話を聞いたことがあります。プラスチックは燃えると高温になるので、焼却炉によっては壊れてしまうのだそうです(夏場はスイカの皮など水気を多く含む生ゴミが増えるので、こういうのが混ざった方がいいという説もありますが)。

 さて、我が町では何が燃えるゴミなのでしょうか?

紙類 ダンボール・雑誌・新聞紙・チラシ・紙パック・紙くず・タバコの吸い殻・生理用品・
紙おむつなど
布類 衣類・毛布・布切れ・雑巾・カバン・くつ・革製品など
台所のゴミ
庭のゴミ
生ゴミ・食用油・少量の庭草・少量の小枝(太さ約5cm以下)・少量の落ち葉
ビニール類
ほか
ビニール・発泡スチロール・プラスチック・セトモノ・焼却灰

 ここで考え込んでしまったのは「セトモノ」・・・だってガラスは燃えないゴミに分類されているのにどうして???
 セトモノというのは陶磁器全般のことだろうと思うのですが(つまり「伊万里」や「益子」も含まれると解釈します)、これってガラス以上に燃えないような気がします。あ、ガラスの場合は燃えるんではなく溶けるのか。
 同じように「焼却灰」というすでに燃えた後の物が含まれているのでなんとなく想像がつくのですが、最終処分地が一緒だからということで燃えるゴミと一緒でいいですよと言っているのではないでしょうかねぇ・・・市役所から配られたポスターをもう一度よく見たら「セトモノ・焼却灰は入れ物に表示して出してください」と書いてあった。これは最終処分地に直行するんだね、きっと。

 ともあれ、「セトモノは燃えるゴミだ」と聞くと、なんとも不思議な気がします。

 卵の殻やシジミ、いやハマグリの殻(見栄を張ってどうする)は特に明記されていないけど、我が町では「燃えるゴミ」に分類しても大丈夫なようです。


ファドのコンサート


 というから、てっきりNHKの『おかあさんと いっしょ』の公開録画でもあるのかと思ったら、どうもそうではないらしい。おっと、『お母さんと いっしょ』云々が意味不明の人のために説明しておくと、「ブーフーウー」とか「にこにこプン」といった一連のぬいぐるみ劇の最新版が「ドレミファどーなっつ」というやつで、それに出てくるキャラクターの一人に「ふぁど」というのがいるのです。詳しくは颯に聞いてください。
 で、小諸ユースホステルのウバさんと電話で話していて「今度ウチでコンサートやるのよ」と言われたのは子供向けではなく、大人の歌らしい。「ほら、ファドって音楽があるでしょう、あれよ」と言われても受話器のこちら側では頭からクエスチョンマークが沸騰したヤカンのように噴き出している。生返事をして受話器を置いたらFAXが送られてきた・・・少しは判ったような気がしたけど、生半可な説明をしてウソが広まっても申し訳ないので、丸写しをさせてもらう。
 これを見て興味を持った人がいたら、直接小諸ユースホステルに問い合わせて、もしよろしければ聴きに行ってください。

TSUQUIDA HIDEKO FADO CONCERTO

 日本でただ一人のファディスタ月田秀子さんが、深紅のバラの花、しっとりと落ち着いたビロードの歌声で、ポルトガルギターと共に私達を素敵な時空に誘ってくれます。
 場所 小諸ユースホステル(Tel.0267-23-5732)
 日時 1996年11月16日(土)
  開場 17:00(少し早めに来て、ポルトガルワインで静かに流れる時間をお楽しみください)
  開演 19:00
 前売り券 3000円(当日券 3500円) 宿泊料別途
 ファドへの誘い      月田秀子

 フランスのシャンソン、イタリアのカンツォーネ、アルゼンチンのタンゴ、黒人のブルース、それらと同じ様にポルトガルにファドという歌がある。元々ファドはポルトガルの植民地だったブラジルへの奴隷として連れて行かれたアフリカの黒人達の踊りだった。それがポルトガルに逆輸入され、踊りよりも社会の下層民の生活の悲しみ、喜びを即興的に唄う歌として、19世紀始め頃からポルトガルの港町リスボンで唄い継がれてきた歌といわれている。アラブ、アフリカの民族音楽、中世吟遊詩人のトルバドール、ジプシーなど、港町として栄えた街ならではの異国の香りを含んだ歌である。
 ファドが世界的に知られるきっかけになったのは、1954年のフランス映画『過去を持つ愛情』の中でアマリア・ロドリゲスが唄った「暗いはしけ」である。海へ出たまま帰らぬ人を待ちわびる女の歌で、その歌を聴きたいがために何度も映画館へ足を運んだ人がいるほど、悲しみを含んだアマリアの声が有無を言わさず心に染み込んでくる。

 プロフィール
・20世紀半ば、東京下町生まれ
・シャンソンを菅美紗緒、山口美保に師事
・1985年、第一回リサイタルを大阪サンケイホールにて開催。以後毎年開催
・ファドの女王アマリア・ロドリゲスの歌声に衝撃を受け、87年ポルトガル国立リスボン大学に語学留学
・1991年リスボン市立マリア・マトス劇場にて、在ポルトガル日本大使館主催、リスボン市後援によるコンサート開催。絶賛を博す
 アマリア・ドロリゲス自身にalma(魂)のファド唄い、しかもアマリアを継承するファディスタとして認められる
・1994年12月、NHK総合テレビ番組「にんげんマップ」に『魂の歌・ファドは海を越えて』と題して出演