《1999.02》
来た、見た、滑った
【第12回・奥日光XCスキー大会参加之記】

 2月14日の朝が来た。晴れ渡った空の下、ナオさんとクルマを連ねて日光市街から奥日光へと向かう。前日の状態から一夜を過ごしたのではきっと路面の雪が凍り付いているだろうと覚悟をしていたのだが、意外や意外、いろは坂には雪がほとんど無い。もう一度巻く羽目になるだろうからと、昨日から雪の「ゆ」の字も見当たらない日光市内をチェーンを巻いたまま走っていたのは何のためだったのだろう。さっきだってカッ飛ばすナオさんのクルマを追いかけるのは大変だったのだ・・・と、坂を登り切り中禅寺湖畔を過ぎると、竜頭の滝の上に出る坂道が真っ白。これでこそチェーンを巻いた甲斐があったものだと喜んだのだが、よく考えてみればヘンな話だ。雪の無い道を走る方が楽なのに。

 三本松の駐車場に着く。時計は8時25分だから妥当な頃合いなのだが、晴天に日が高く昇っており、明るさだけの判断では到着が遅れたよう錯覚を起こす。だからこそ駐車場に停まっているクルマが少ないのに余計にビックリしてしまった。
 先に着いていた友人夫妻が我々の到着に気がついてやって来た。
 「おはよう、今年はなんだか少ないね」
 「そうだね。昨日の前夜祭も参加者が少なくて、そのぶん抽選会で当たる確率が上がったから、マグカップをゲットしちゃった」
 前日のあの地吹雪、夜道を下ってゆくのが億劫になって前夜祭に出なかったのだが、そんなことなら出れば良かったかな・・・なんと、この友人夫妻は昨日の昼前にこちらに着いたものの、地吹雪の中で滑るのを嫌って日光市街に戻り、前夜祭に出るために再び登って来たのだという。こういう意地汚い人間には景品をあげなくてもよろしいよ、関係者の人(^^)

 「そうそう、一般高校男子の15kmは、もう優勝者が決まったよ・・・エントリーが一人しかいなかったんだ」
 彼に言わせれば、30歳代女子もエントリーが少ないので、奥さんが出れば入賞の可能性があるとのことなのだが、友人・妻はハイキング10kmの常連である。2年前にはゴール後に「女の子で一番!」とはしゃいでいたので、たしかに競技の部に出ても上位に食い込むかも知れない。でも、たっぷり楽しんだ方が面白いような気もする。
 「まつおさんはキロ100円だからなぁ。俺なんかキロ500円だぜ」
 何の話かと思ったら、エントリー料と参加種目のことなのである。競技の部5kmに参加する彼はエントリー料を2500円払っている。ハイキングの部は1500円なので、その中でも一番距離が長い15kmは安い費用で楽しめることになる、のかな。しかし、キロいくらでは、肉屋で肉を買っているみたいではないか。

 冗談を言い合っている間にも参加者のクルマが増えてきて、光徳のスタート地点とを往復するシャトルバスも動き始めた。
 「じゃぁ、先に行ってるよ」
 キロ500円の友人・夫とキロ150円の友人・妻を見送り、こちらも光徳まで持って行く手回り品とスキーの準備を始める。結構冷え込んでいるので、ナオさんは着るものの選定に迷っているようだ。
 「ありゃりゃ、ペットボトルが凍っているよ」
 ナオさんが水筒代わりに用意しておいたスポーツドリンクが、車内で凍っていたらしい・・・と、他人のことを笑ってはいられない。昨夜は同じペンションに泊まっていたのだ。ぼくのドリンク(これは缶だった)も凍っている。ぼくのは水筒に移し替える都合があるので、これは大変だ。ナオさんが自分のを車のヒーターで溶かしたついでにやってくれた、感謝(だってペットボトルなら蓋ができるから、溶けた分だけ飲んで、あとはまた持って滑れるけど、まさか飲みかけの缶ドリンク持って滑れないものねぇ)。

 それやこれやで多少もたつきながらバスに乗ったのだが、やっぱり参加者が少ないのかなぁ。まだこの時間のバスの座席にも余裕があるぞ。
 窓から戦場ヶ原を見ながらナオさんがぼやく。
 「・・・しかし、寒いなぁ」
 「でも、(地吹雪に見舞われた)昨日に比べたら極楽だよ」
 傍らに座っていた御婦人がこの会話に気づいて、こちらを向き、にこりと笑う。
 「昨日からいらしてたんですか。ほんと、昨日は凄かったですね」

 ちょっとした、ただそれだけの会話だったが、仲間意識というものが芽生えてくる。そうだ、みんなでこの大会を楽しみにやってきているんだ。胸の中に温かなものが広がってきて、バスは光徳のアストリアホテルに着いた。

一週間経っても
なかなかまとめられないから
だらだら書いてはアップしてゆこうかと
思っている


 バスから降りて、ホテルのロビーへ。ナオさんが受付を済ませたので、地下にある更衣室(といっても「大広間」のことだが)へ。紐をほどいて靴を脱ぐのが面倒なので、着替えの入ったデイパックを入り口から手の届くところに放り出しておしまい。ナオさんは律義に奥の方に入ってバッグの中を整理している。ま、これはさっき受付で参加資料などをもらったせいでもある。
 再びロビーに戻ってくると、裏庭をスタートする競技の部がすでに始まっていたので、ガラス越しにしばし見学。ついさっきバスの中で「これくらいの寒さ、昨日に比べりゃ極楽」と言ったくせに、いっこうに表に出ようとしない。いい加減なものである。ま、それでも友情のひとかけらくらいは残っていたので、友人・妻の姿を見つけた時にようやく、声をかけるために外に出る気になった。

 裏庭は15秒ごとのスタートを告げる計時機の「ポッポッポッ、ポーン」という電子音に混じって選手を呼び出すアナウンス、それにハッキリとした声ではないけど、集まった選手や家族や野次馬のざわつきで結構賑やかなのである。さらにお節介なことに気象情報のアナウンスも混じる。
 「気温はマイナス9度だってさ。寒いわけだ」
 「そのせいかな、さっきからまた神経痛が痛み出した」
 「このヤッケ、脱げないなぁ」

 競技参加者に無責任な野次馬の声など聞こえるはずもない。彼らは己の栄光目指して次々とスタートしてゆく。スタート後直線を数10メートル滑り、一瞬下りながらの左カーブ、そのまま坂を登ってテニスコートのフェンスの向こうに消えてゆく。
 「あそこに行くまでは抜かれたくないな」
 友人・夫のつぶやきが妙におかしい。ジーパン姿で滑ろうというのに、そういう見栄はあるんだね。しかし、レーシングスーツっていうの? あのド派手な色と柄で身体にピチッしたやつは。
 「あれ、格好いい! 来年は俺、あれ買うぞ、あれ着て滑るぞ!」
 思わず叫んだのはワタクシでありました。しかし、それを聞いたナオさんの反応の冷ややかなこと。
 「でもまつおさん、あれ着てヨタヨタ滑っていると、余計に格好悪いよ」
 「・・・・・・・・」

 でも、やっぱり下手な人ほどいいウェアを着るべきだと思う。ぼくもドライブのついでとか家族とハイキング程度の時はジーパンで滑るけど、ある程度まとまって距離を滑る時は柔らかいタイツを使う。それはジーパンだとゴワゴワして疲れてしまうからだ。また、途中でパーカーを脱いでしまうのは、滑っているうちに暑くなるのももちろんだけど、腕を振るたびに袖と脇が擦れ合うのが邪魔になってくるからなのだ。
 その日がとても寒くて吹雪いていたりとか、スノーハイキングが目的で途中で休憩時間が長いようでは話が違うが、滑ってくるだけの時なら身軽で動きやすいスタイルの方が疲れないので、初心者向きだと思うのだが、いかがだろう。
 よぉし、来年は派手なのを買ってやる・・・けど、何処に行けば売ってるんだ? 国道沿いのアルペンやビクトリアには無さそうだぞ。

 アホな会話をしている横を小学生がスタートしてゆく。みんな上手いなぁ。さっき我々の近くで、お父さんなのかコーチなのか、ワックスベンチで仕上げのチューニングをしてもらっていた子がいたし、子供たちが脱いでいった防寒衣を集めて抱え込んでいるお母さんもいる。
 皮肉な味方をすれば親馬鹿といえなくも無いけど、ここでは野球やサッカーと同じくらいXCスキーが熱いスポーツになっているのが痛快だ。ほら、あのこ子まだ1年生なのかな。颯爽という表現には程遠いけど、それでも懸命に滑ってゆくじゃないか。うわっ、次の子は、身長が倍くらいあるぞ。ウェアもフォームも決まっているし。これで同じ『小学生の部』じゃ不公平ってもんだ。

 友人・夫にもスタート地点に集合の声がかかる。ゼッケン順に並んだ列の先頭にはスタート小屋(テント)があり、はじけた豆のように15秒間隔で選手が跳び出してくる。
 「ううむ、競技の部のエントリー料が高いのは、このテントと計時機のレンタル料が含まれているからだな」
 もう彼に冗談を言う時間はなかった。彼は人並みに防寒のパーカーを脱ぎ(それでもまだ厚着だと思うが)、やがて「ポッポッポーン」の音に送られ、キロ500円のコースに自らの栄光を求めて滑り出したのだ。

 「・・・とりあえず、見えてるうちは抜かれずに済みそうだな」

 見送った我々3人の感想はさめていた。
 友人・妻が彼のスタート前に受け取ったパーカーを受付で配っていたビニール袋に入れて名札を付けている。
 「それ、ここに置いてゆくの?」
 「そう、場所は決めておいたから」
 「雪に埋めていっちゃえば? 盗まれずに済むぜ」

 さあ、今度はいよいよ我々の番だ。ホテルの前に立て掛けてあったスキーをピックアップし、ハイキングの部のスタート地点である光徳牧場に向かってアプローチの坂道を下っていった。

ううむ
これだけ書いて
まだ一歩も滑っていない


 例年より参加者は少ないようだったが、それでも光徳牧場は、なにやら華やいだ雰囲気に支配されていた。我々もさっそくスキーを履き、準備運動をするのももどかしく、牧場の中心に向かって滑り出す。この牧場は全体になだらかな斜面になっていて、アストリアホテルの側から柵の中に入ると、本日のスタート地点、そして光徳沼に向かって気持ち良く滑って行けるのだ。すでに昨日から多くのトレールが付けられているのだが、その上を颯爽と滑るのは実に気分がいい。昨日はあまりスキーが滑ってくれなかったが、今日は調子いいぞ。
 しかし、Uターンしたら一歩の伸びが悪くなるし、トレールから外れて荒れた雪面を歩こうとしたらよろけそうになってしまう。こりゃあスキーの滑り具合以前に、人間のバランスが取れていないんだ。大丈夫かね、こんなていたらくで。

 立ち止まってのストレッチを加えながら、牧場の中をウロウロする。準備運動というよりも、動いていないと寒いからなのだが、やがて出発係の声が響き渡る。
 「ハイキング15kmに参加する人は集まって横に並んでくださ〜い」
 ええっ? まだスタートまで20分もあるよ。今から並んでいたんじゃ寒くて仕方ない・・・知らん振りして身体を動かしながらナオさんたちとおしゃべりを続けたけど、アナウンスが何度か繰り返され、他の参加者たちも少しずつ整列し始めたので、そろそろおとなしく並ぶとしよう。
 今回は途中で脱ぐのではなく、最初からパーカーを着ないで滑るつもりだったが、今脱いでしまうとスタートまで寒そうだ・・・ええい、思い切って脱いでしまえ。
 パーカーを丸めてウエストバッグに押し込むと、バッグはパンパンに膨らみ、ベルトをギュッと絞めたら腰への圧迫感が心地良い。緊張感がみなぎってきた。

 出発係がスタートの要領を説明する。15km組の後方に5分遅れて出発する10km組、その後ろにはさらに5分後出発の5km組が並んで、いよいよスタートの隊形ができ上がってきた。
 上空にヘリコプターが現れて牧場の上を旋回し、徐々に高度を下げてくる・・・うへぇ、風が吹いて寒いぞ。ちょっと離れててくれ。
 あらっ、テレビカメラを持った二人組がコースを横切って行くではないの。さっきまでの場所なら、スタート直後の自分が写りそうだと喜んでいたのに、場所を変えたんじゃ写らなくなってしまう。
 高まる緊張感と適度なずっこけで、わくわくしながらスタートの時を迎える。

 「10秒前〜!  、、、5、4、3、2、1、スタァトォ〜!」

 最後は参加者も一緒になってカウントダウン、合図と共に滑り出す。しかし、横に並んだ状態でスタートして、数10メートル先の牧場の出口ではトレールが2本に絞り込まれる。列車の操車場ではないけれど、せめて100とか200メートルくらいの範囲を持たせて収束させて欲しい気がする。でないと牧場の出口で押し合いへしあい、間に入れてくれ、これこれワシのスキーを踏むなの阿鼻叫喚・・・が、今年はほとんど無かったような。
 わりとすんなり牧場の外に出て、光徳沼のほとりも前の人にぶつからぬよう何度も立ち止まるということが無かった。やっぱり参加者が少ないのが効いているのかな。ま、こちらも今年は前の方でスタートしたから、団子状態を巧くかわしたのかも知れない。
 沼を過ぎたあたりで10km組のスタートの合図が聞こえてきた。去年はこのすぐ先で10km組のトップに追い越されたのだから、やっぱり今年はスターと直後の渋滞を抜け出すのが早かったんだなぁと思いながら逆川沿いの森の中のコースへ。
 この森の中は、光徳周辺のコースの中でも大好きな場所の一つだ。静かな森の中を緩やかに左右にカーブしながら進んで行くのは実にいい気分になれる・・・大会の日以外は。この日は大勢の人間がまだスタート直後で一団となって滑るので、ペースが乱れたりスキーを踏まぬように気を使ったりと、森を楽しむどころではない。
 でも、今年は違った。前後の走者はストレスのモトどころか、むしろ素敵なペース メーカーで、ぼくは彼らを見ながら無意識に手足を振るだけでスイスイ滑って行けた。ポールの突きや足の蹴りに力を込めようと思わなくても、流れるように滑って行けるのだ。(註:書き手の主観世界での話です。他人が見たらどういうフォームで滑っているのかということについては、暴露コメントがつくまで不明であります)

 この森の中を、まだ3歳だった息子を乗せたソリを牽きながら滑ってきて、お湯を沸かしてカップ麺を食べたことがあったなぁ。半分横取りするつもりが、一人で1個食べちまったっけ。あれはどのあたりだったかなぁ。
 快調に滑っているうちに、思い出の場所はとっくに通り過ぎてしまったらしい。目の前に国道を走るクルマが見えてきた。左にカーブすればもう光徳入口のバス停だ。森を飛び出し、道路を渡れば一転して青空が頭の上に広がる。
 いや、正直言って、この国道沿いの湿原を三本松に向かって滑るコースは雪が少ないのではと不安だったのだ。日あたりもいいしね。しかしどっこい、例年並みかと思えるくらいあるじゃないか。2年前まで10km組で参加していた頃は、この区間のコース脇で休憩している人を見掛けたものだが、さすがに15km組ではまだここで休もうという人はいない。もちろんぼくも休憩ポイントはもっと先の予定だ。
 やはり昨年一度15kmにエントリーしてコースの様子が頭に入っていると違う。思えば昨年は見知らぬコースというよりも15kmという距離に対する不安感から、はやる気持ちを殺しに殺し、抜かれるままに抜かれて滑ったものだ。しかし、それで完走できた自信と、今年は雪不足のショートカットで13kmに短くなっているという安心感で気を大きくして滑ることができる。本当は昨年以来ますます運動不足になり、アルコール摂取量は増えているのだから、単純に「去年できたから」というのは理由にならないんだろうけど。しかしどうして、たまに勤め先の3階まで階段昇ると目眩や息切れを起こす人間が、XCスキーを履いたら準備運動もしないで走り出して平気なのだろうか。現代の科学では解明できない神秘の力のなせる技だろう。

 あれれ、話がおかしな方向に脱線してきたぞ。ヘンなことを考えていると足取りが乱れてしまう。ちゃんと前を見て進まなくっちゃ・・・おっと、背後から人の気配が近づいてきた。
 振り向かなくても、後ろから迫ってきた人がかなり力が入って勢いがついているのは、息づかいで感じられた。追い越された時にゼッケンを見ると、数字と文字の色から10kmの部にエントリーしている人だと判った。昨年はスタートしてすぐに10km組に抜かれたが、今年はここまで抜かれずに来たか・・・ちょっと飛ばしすぎかな。結局三本松に達するまで10km組に抜かれたのはこの人一人だけで、そのあとぼくは三本松から光徳に向かう道との交差点を、15km組だけが滑る戦場ヶ原東縁の迂回コースに向かって直進していった。

ますますゴールが遠く感じる
この続き物のことです
歳とると話がくどくてゴメン


 三本松園地の裏手を行く木立ちの中のコースは、地面を覆っている笹が雪で隠れきれず、ごま塩を盛大に奢った幕の内弁当のように黒い点がコース上に広がっていた。日陰だから雪が溶けにくいだろうと思っていたが、それ以前に枝葉に遮られて降り込んでいないようだ。
 この木立ちを抜けると戦場ヶ原の東の端、風光明媚、日あたり抜群の場所になる。少し離れた場所を走る国道から見た感じでも「雪が無いなぁ」と思えるところなので、ここは滑走不能、ショートカットになるはずだ。それでも少しは行けるところまで行くのかなと思っていたのだが、三本松園地を過ぎたところの最初の農道との交差点にコース係員が立っていて左折の指示を出している。去年はこの先雪の反射する陽光が眩しい平坦なコースをペースを堅持しながら赤沼まで滑り、折り返してさらに東寄りの湿原と丘陵の境目の緩い起伏のコースを滑ってきたのだったが、自分にとって初めての場所という気分的な面もあったのか、コースがフラットな割には苦しく感じたものだった。
 「ここでショートカットだと、楽だなぁ」
 思わずコース係員に声をかけて左折したのだが、次の瞬間、あまり楽ではないことが判った。
 道路も湿原も畑も、確かに雪で覆われているのだが、風で飛ばされてきたらしい細かい砂が雪に混じっており、さながらコーヒー味のアイスクリーム。全体が薄茶色なのだ。いや、色が着いているだけなら気にしない。むしろ眩しくなくて嬉しいくらいなのだが、スキーがちっとも滑ってくれないのには参ってしまった。足を前に出したぶんしか進まない。ここに来るまで気分良く軽々と滑っていたのが、そろそろ力を込めなければ進めなくなってきたようだ。
 砂混じりの区間は数百メートルで終わったものの、もうスキーはスタート直後ほどには快適に滑ってくれなくなり、コースが登りに移ったこともあって、体が熱く、そして汗が噴き出してきた。

 でも、苦しいけど登り坂って好きだな。昔、サイクリングやっている時もそうだった。ギアを落とし、ゆっくりゆっくり登りながら、自分自身や自転車に語りかけたっけ。内省的、とでも言うのかな。自分が自分のためだけにこれをやっているのだと感じる時がここにある。気持ちが自分一人の世界にスゥ〜っと入り込んで・・・いかん、なんだか妖しい雰囲気になってきた。

 もう少しだよな、確かこの先だったよなと去年の記憶をひっくり返し、まあそれが記憶違いであってもいつかはたどり着く坂道の頂上にやって来た。予定通り、ここで最初の休憩。コースを離れ、水筒に口をつける。ショートカットをあてにしてここを1回目の休憩ポイントにしていたが、フルコースを滑っていたら待てなかったかも知れないな。ああしんど、ごくごくごく。
 休憩といっても立ち止まったのはほんの1、2分くらいだろう。この先は長くて緩やかな直線の下り道。立っているだけで進んで行けるので、滑りながら身体を休めることができるだろう。
 そう思ってコースに戻ったのだが甘かった。滑りが不調なのだ。前を行く走者との距離が開いてゆく・・・結局手足を使って推進力を補ってやる羽目に。こりゃぁこの先が思いやられるぞ。

 下りきったところで三本松から光徳へ行く道に合流。ここからまた10km組、5km組と一緒になる。3種類のゼッケンが林の中の無雪期はハイキングコースとして使われている道を進んで行く。
 去年も同じ感想を持ったような気もするが、ここはストレスのたまる区間だな。レベルの違う走者が混在し、ペースが合わないのでリズムが乱れてしまう。トレールは2本あるけど、片方がかなり空いていないとスピードを上げて強引に追い越すことになってしまい、これまたリズムを乱してしまう。
 林の中のハイキングコースは並行する林道から1mちょっと高いところにあるのだが、途中で2個所ほど、合流してくる林道を横切るために下に降りてすぐさま登るところがある。ここで皆充分な間隔をとって一人ずつ滑ろうとするので渋滞になってしまう。しかしここはまた追い越しのチャンスでもある。登りでもたついている人の脇をすり抜けて・・・おっと、斜め前の人がバランスを崩してぼくの進路をふさぐ。避けようとしたらコース脇の細い木にスキーが絡まってしまった。
 2個所のギャップ越えの先には、川越が待っている。といっても謎のロシア兵が潜むサツマ芋の名産地ではない。土手を下り、水の枯れた川底を走り、反対側の土手を登るのである。ここもハイキングコースの一部になっているらしく、数年前に砂防ダムが完成して護岸整備もなされたが、上り下りする道が残されているのだ。
 先ほどのギャップ越えより数段スケールが大きいので足がすくんでしまう初心者も多いのだが、実はこちらの方が簡単に滑れるのだ。直滑降で滑り降りて自然にスピードが落ちるまで滑っていてもまだ川底の半ばほど。あとはゆっくり滑って開脚登行で登ってゆけばいい。全行程が一直線なので、落ち着いていれば転ばないはずだ。それに、さらに実を言うと開脚登行さえ必要無いのである。
 滑り降りた時の勢いをできるだけ残して・・・あらら、スピードが落ちてゆく。走れっ走れっ・・・そのまま川底を横切り、登りに差し掛かったら足裏のキックゾーンを思い切り雪面に叩き付けるように、蹴った反動で身体を持ち上げるように、早い話がピョンピョン飛び跳ねながら(ちょっと格好悪いが)一気に上まで登ってしまう。今回はダッシュを始めたタイミングが早かったので疲れたが、少しは渋滞の前方に出られたに違いない、ぜいぜい。

 しかしまぁ毎度この川越でこれをやって自分からリズムを乱してしまう。おかげでこのあとしばらくは下を向いて黙々と進むだけだ。ここは雪質が悪くなりやすい場所なのだが、今日はそれほどでもないようだ。でもそれなのにスキーのコンディションと疲れがスピードアップを邪魔してしまう。やっぱり初めに調子に乗って飛ばしすぎたかな・・・!
 アストリアホテルが目の前にあった。いつもは「そろそろ見える頃だな」と期待しているのだが、今日は唐突に目の前に現れた感じだ。うん、疲れてはいるが、5km組10km組と合流してからここまで、今日はなんだか時間が短く感じるぞ。よしっ、もうひと走り。あと5kmだ。

(註:謎のロシア兵=上田まほろばYHや小諸YHに出没する中野某のこと。精密機械工場で使用する防塵服で身を包み、幅広のXCスキーでのしのしと斜面を登ったり転げ落ちたりする奇妙奇天烈なスタイルと行動からこう呼ばれる。頭から足まで一体化された防塵服は雪の侵入を許さないと本人は自慢するが、積年の使用により性能の劣化は著しいというのが軍事アナリストの一致した見解である)

たぶん次回ではゴールインできるだろう
それまでビールが残っているかな
今年は参加者が少ないので
大丈夫だとは思うのだが


 アストリアホテルの前でコースは二股に分かれ、5km組はここでゴール。こちらは山に向かってコースが続くのだが、坂道の麓、常設コース案内板の前で2度目の休憩。ドリンクで喉を潤し呼吸を整える。
 ここまで5km組と10km組は同じコースを滑ってきた。(15kmははみ出して迂回する)5km組はここで終わりだ。だから差し引きで残りは5kmという計算なのだが、実際はもっと短いような気がする。アップダウンのメリハリがあるから距離を感じないだけなのかも知れないけど、変化を楽しんでいるうちにあっという間に終わってしまえる区間だ。登り坂はしんどいけれど、着実に登ってゆけば必ず頂上に着ける・・・なにをぶつぶつ言っているかというと、自己暗示、自分に対する元気づけなのである。昨年は我慢に我慢でペースを抑えてきたせいか、この地点で全然疲れを感じなかった。ところが今年は調子に乗って滑った上にスキーが滑らかに滑ってくれないので、スタミナをロスしている感じなのだ。
 さぁ、あとひとっ走り。ここを登って林道を横切れば豪快に下って、そのあともう一回登れば・・・コースの概要を(もちろん自分に都合よく)イメージして出発。滑り出す前にチラッと腕時計を見たらスタートから1時間10分ほど経過していることが判ったが、それが自分にとって、あるいは去年に比べて早いのか遅いのか判断がつきかねた。

 やっぱり登り坂は快適に進まない。再スタート直後の坂は、調子が良ければポールの突きだけで滑りながら登れるのだが、今日はまるっきり『歩くスキー』。バンガローの前を過ぎて急坂になってくると早々に開脚登行に切り替える。しかも足運びが悪くて何度もスキーのテールを踏みつける始末。ううむ、疲れが出てきたなぁ。
 それでも黙々と登れば頂上がやってくる。これまで山王林道に沿って登ってきたが、ここで林道を横切り、今度は反対側を下ることになる。ここではちょっとした駆け引きが必要になってくる。前を行く走者との間隔を充分に取ることはもちろんだが、失礼ながらこの人ちょっと危なっかしいなぁ途中で転びそうだなぁと思えたら、下りが本格的になる前に追い越しておく必要がある。この先、下りながらの左急カーブがあり、馴れない人にとっては恐怖のカーブ。コースから飛び出してしまうのではないかと足がすくんで転倒続出の場所なのだ。いや、ぼくだって光徳でXCをやるようになって、ここで何度転んだことか。今でこそ転ばずに滑って行けるが、それでも転んでいる人を避けながら滑る自信はない。
 下り始めて間もなく、斜め前にいる人との間隔が急に詰まってきたので(つまり、かなり減速しているようだ)「先に行きま〜す!」と声をかけて前に出させてもらう。そのまた前にいた人は、かなり上手そうだったので安心していたのだが、連れを待つつもりか例の急カーブのところで立ち止まって(とてもじゃないが、ぼくには転倒以外の方法であそこで止まることはできない)コースの外に立っているではないか。これではぼくがカーブを飛び出すわけにはゆかない。思い切り右膝を内側に入れ、板を立てるようにして内エッジで踏ん張り、なんとかカーブをクリア。その勢いを活かしてさらに緩いカーブが続くコースを滑って行くが、前にいた2人組を追い越そうとしてトレースを外し、柔らかい雪でスピードが落ちてしまった。ま、今日の板の滑り具合なら、トレースを外さなくてもそろそろ勢いがなくなる頃だったろう。

 というわけでまた足を使ってよいしょよいしょとミズナラの林の中を進んで行く。おや? 5km組のゼッケンを着けた走者がいるぞ。5kmじゃ物足りなくなって延長かな。「5kmの人がいるよ、頑張ってるねぇ」という女性の声も聞こえてきて気づいたが、少しずつ周りに人が増えてきた。
 やはり登り坂が続くとペースが落ちてくる人が元気な人に追いつかれて集団化してくるようだ。少し先の「心臓破りの坂」と言えば参加者が「ああ、あそこね」と納得する急登は、まるでゲレンデのリフトのように等間隔で一列に並んで登ってゆく走者たちの姿があった。
 15年以上も前、初めてここを登った時には恐ろしく急で長く思えたこの斜面、ここ数年だんだん短く緩やかになったような気がしていたのだが、今年はまたちょっと長くなったようだ。
 登り切ったところで最後の休憩。いや、そのままゴールまで行ってもいいと思ったのだが、やはり予定通り休むことにした。間合いをとる、とでもいうのかな。たとえ1分でも、ちょっと立ち止まれば気分転換になり、この先の下りで集中力が増すだろうし、ダイナミックなコースだから息をぜいぜい言わせながら行くよりも楽しんで滑りたい。

 もっとも、気分的な間合いもそうだが、物理的な間合いも必要なのだった。少し先には豪快な下りが待っている。うまい具合に前の走者とは充分な間隔が空いていたので一気に滑り降りる・・・さっきの登りもそうだったけど、ここも初心者の頃は無限に長く思えたよなぁ。滑っては転び、滑っては転び、それでもまだ下には着かない。それが今では、え? もうおしまい? ってなもんだ。
 なんて偉そうに言ったが、簡単に滑れるのは下りの前半。ここはほとんど一直線だからね。後半は右へ左へと下りながらのカーブが続いて、しかもコース幅が狭いので、おっかなびっくり滑って行く場面だ。
 充分な間隔をとって下ってきたはずが、ここでまた集団化。前の人に追突しないようエッジを立てて減速するが、もともと勢いで下るしかワザがないのだから、こんな高等技術をいつまでも使っていられない。前方のスキを見て板をフラットにしてスピードアップ。一番きびしいカーブを無事に曲がったその先に転倒者発見! あ、あ、早く投げ出した足を引っ込めてくれ・・・!!!・・・☆★☆
 目から火花が出た。避けきれずに転んだ際に膝をスキーの角の上に落としたようだ。どうも大会に参加するようになって、毎回ここで転んでいるような気がする。コース上に人が多いから仕方ないのかな。それにしても、今年のは痛かった。
 まだ少し下りが続くのだが、もう全然勢いがつかない。下りを過ぎ、牧場の柵の横までやってきて、いつもならこの桜(だと思うが自信無い)並木の枝が作るトンネルの中をフォームを意識して滑ってゆくところなのだが、今日は痛む左足を引きずるようによたよた進む。しかし、ここまで来れば、ここまで来ればあとわずか。ゴールに向かって緩い坂道を登ってゆくだけだ・・・しかし、これが長く感じるんだよねぇ。

 順位やタイムを競うわけでもない、完走して「ああ、オレもまだまだやれるじゃないか」と言えればそれでOKの大会である。しかし、速く滑ってみたいという欲もある。気持ちの上ではあるけれども、身体がついてゆかない。ここでラストスパートはもうできそうにないなぁ・・・おや?
 ふと、前を滑っている人が自分のペースメーカーになっていることに気がついた。さっきから間隔が開きも縮まりもしていない。ならばと思って右側のトレールに移ってみることにした。こっちの前方にいる人は少しスピードが速いのだ。
 思った通り、それにつられて自分のペースも上がってきた。この他力本願のラストスパートで坂道を登り切り、道路を渡っていよいよゴールへ。しかし、せめてゴールは平坦か緩い下り坂の先に作って欲しいよな。そうすれば風を切って爽やかなゴールインが味わえるのに。運営に携わった人たちのご尽力には頭が下がるが、やっぱりこれだけは何とかして欲しいと思いつつヨタヨタとゴールイン。

 係員から完走記念のメダルを手渡され、「1026ば〜ん!」とゼッケン確認の声を聞きながら、ストップウォッチモードにしていた腕時計のボタンを押す・・・あらら、うっかり2回押しちゃったかな、針がゼロリセット・・・チラッと見た限りでは1時間47分だった。去年より遅いようだが、2時間切ったからよしとしよう(家に帰って過去ログを調べたら、去年は2時間18分だった。ショートカットを考慮すると、同等かそれより速く滑ったことになるのだろう)。
 まあ何であれ完走できて良かった良かった。スキーを立てかけ、痛む足を引きずりながら(スキーを置いた時に滑って転び、もう一度膝を打ちつけた)給食所の方に歩いて行くとナオさんや友人夫妻の笑顔が待っていた。
 「さっき、なくなりそうになったからあわてて1本確保しておいたよ」
 受け取った缶ビールを飲みながら、やっぱり来年は欲を出してビールが残っているうちにゴールインしなければと思った。

 さぁ、温泉に入って汗を流そう。

大会の翌日は
大・筋肉痛大会
階段を昇るのが大変だった