皆さん、夏休みはどう過ごしましたか?
今年はおとなしくしている方針でしたが
「おまえらがおとなしく過ごせるはずがない」
我が家をよく知っている仲間の言うとおり
結局にぎやかに過ごしてしまいました
よこはま・たそがれ |
風見鶏の館 |
苗場は涼しかったが |
匠の里、巧みなのは村役場 |
結局夏休みだけ涼しかった |
小室等コンサートは・・・ |
蕎麦屋の話・2題 |
横浜 に行ってきました。といっても今回はいつぞやのようにランドマークタワー(横浜ロイヤルパークホテルニッコー)に泊まってなどという贅沢は無しで、お母ちゃんの実家に里帰りです。お盆休みはあちこち混むだろうからと7月のうちに行ったのですが、子供が夏休みに入った3連Qなので、やっぱり混んでいました
。お母ちゃんは「主婦の休日」を決め込むことにしたので、父ちゃんと颯は二人で遊びに行くことにしました。さすがに結衣も連れて歩くのはちょっとシンドイ。
颯は電車が好きなのだけど、普段は電車に乗る機会がありません。だから、おじいちゃんの家から電車に乗って行き先は『みなとみらい21』・・・あはは、このあいだ父ちゃんが行って来て様子が分かっているし、ちょうど新しいショッピングモールがオープンしてL.L.Beanも出店しているのでちょっと覗いてみようかなぁ。
いやはや、たいへんな人出でした。L.L.Beanはそれほどでもないけど、ディズニーやスヌーピーのキャラクターショップは入場制限をして店の前から長蛇の列がショッピングモールの中を延々と伸びていました。
そんな中を颯を連れ回して、遊園地で遊んだり、アイスクリームやコーラで機嫌を取ったりして、最後は船で横浜駅東口へ。みなとみらいのはずれから桜木町駅まで歩かせるのは颯には可哀想・・・ではなく、父ちゃんが大変だもんね。
そごうデパートで買い物をして、くたびれた颯を肩車したら、こいつとうとう眠ってしまった。で、電車に乗って、降りた駅前からバスに乗って(なんと、横浜市営バスは有料なのだ! 深谷を始め、近隣の自治体では路線バス廃止に伴って代替バスを運行させているが、「無料」というのが相場なので、有料の公営バスというのが理解できなくなっている)帰ってきました。
昔はマイカーなんて無かったから、こういう風に親に連れられて休日を過ごすスタイルを、父ちゃん自身も経験していたのですが、それを今度は親の立場になって再現するという・・・なんだか颯を喜ばせるためと言うよりも、父ちゃんが満足するために過ごした一日だったような気がしますね。
ねぇ、颯クン、今日は何が楽しかった?
「バスに乗った!」
そうだ、こいつはバス好きでもあったんだ。だったら、バスだけにしておけば良かったかなぁ。あの汗だくになった一日の疲れは・・・
横浜に行ったとき、我が家では『東急ハンズ・町田店』に寄って帰ってくるのが習わしとなっています(そのあと『トイザらス・相模原店』に寄るというのも・・・とどまつハウスから30分くらいのところに太田店があって、年末にはもっと近くに熊谷店ができるのだけど、それでも寄ってくるというのが「習わし」たるゆえんでしょう。今回は八王子に住む友人、あざらし一家とばったり出会ってしまった)。
で、今回ハンズで風見鶏のマスコットを見つけたのですね。マスコットと書いたけど、もちろんちゃんと動きます。ただ大きさが小振りで、これは屋根の上というより玄関先の飾りにちょうど良い大きさ。門のそばに柱を立てて飾ったら似合うかなぁ。とどまつハウスは似通った外観の建て売り住宅が並んだ袋小路の一番奥だから、何か目印になるものがあった方が訪ねてきてくれた人にもわかりやすいのではないかと思っていたので、これはちょうど良いかも知れません。
さっそく、と言いたいけれど価格の点でちょいとばかり躊躇して、店員にこれをくださいと頼んだところ、在庫切れ。奮発してまで欲しかっただけに残念です。取り寄せてもらうにしても、町田までは取りに来られないし・・・そしたら店員さんはすかさず「入荷したら送りましょうか?」
ん、いや、送料をかけてまで手に入れたいというわけでもないしなぁと思ったら、送料は要らないと言う。だったらお願いしますとクレジットカードを出して手続きを済ませ、家に帰って数日後に、緩衝材をたっぷり詰め込んだ梱包で風見鶏が届きました。うまい具合に手頃な柱が見つかったので、アパート時代に使っていたネームプレートと併せて門の脇のウェルカムポールになりました。
ま、袋小路の奥なので正しい風向きは判らないし、滑りが悪くて風車もほとんど回転しないけど、我が家の目印になるという役目は立派に果たしてくれています。それになにより、取り寄せて送ってくれた東急ハンズのサービスの良さが嬉しい思い出です。
天気予報は青筋たてて冗談を繰り返す。と歌ったのは三上寛だったけど、この夏は冷夏だと宣言した割には暑い日が続いて、前回このページを更新した晩は異常なまでに暑くなり、パソコンが置いてある2階の部屋に入ることができなくなってしまった。翌朝の明け方4時くらいになってようやく中に入ったが、それでも室温が38度くらいはあったろう。
これではたまらんと、 苗場 のリゾートマンションに行くことにした。もちろん我が家の持ち物ではない。父ちゃんの勤め先が持っていて、だれも住んでいないのに電気代が一ヶ月に一万円以上もかかるというとんでもないバブルマンションで、一泊5千円で社員に使わせているのだけど、人が行けばそれだけまたよけいに電気代がかかるわけで、焼け石に水とはこのことなのである。
しかしまぁやっぱり山は涼しい。いや、涼しいを通り越していささか寒いくらいだ。最近キャンプをやっていなかった我が家では「山は涼しい」という基本的なことを忘れていて長袖の衣類をろくに持ってこなかった。それに一日中霧がかかっているような所では身体がジトジトして外遊びするのもなんだかなぁという気分になってしまう。
そこで、海に行くことにした。これまで同僚なんかがこのマンションに泊まって日本海まで海水浴に行ったという話を聞いて「苗場から海に行って苗場に泊まるのでは、家から日帰りするのと変わらないではないか」と思っていたのだけど、まさか自分もそうすることになろうとは。でも、お盆休みのこの時期、苗場を起点にすればまず渋滞の心配がないから、時間が読めて疲れないという点では安心ですね。
どうせ海水浴ったって子供はじきに飽きてしまうだろうからと、寺泊から越後七浦シーサイドラインをドライブして時間つぶし。巻町の越前浜で水着に着替えたのだけど、案の定、颯は波をかぶって、結衣はそれを見ただけで「やだ!」
やっぱり水の辛さと波に足元の砂が持って行かれる感触がビックリなんでしょうかね。颯なんかはこのところ波の出るプールがお気に入りなんだけど、やっぱり海とプールは全然別物なのでしょう。
それでも波打ち際で砂遊びなんかして少しずつ海の雰囲気に慣れさせて、まぁ本当に海水浴をするのは次の機会かなぁなどと思いながら2時間ほどで引き上げることにしました。もともと海水浴の予定がなかったので、水着だけしか用意していかなかったしね。
越後平野はお日様が照って結構夏を感じさせたけど、苗場まで戻ってきたら冷涼な空気に包まれて、マンションに帰る前に温泉にドボン! 日焼けの肌がひりひりしました。
苗場のマンションから帰る日、三国峠から下ってきたところにある、旧・須川宿に立ち寄ってみました。でも、最近は須川宿と呼ぶ人はいないようで、持っているパンフレットには『匠の里』と書かれています。
石工や竹細工、和紙の職人などが作り方を手ほどきしたり作品を販売したりする家が集落のあちこちにあり、そこを観光客が歩いたりレンタサイクルに乗って見て歩くという趣向になっていて、まわるだけなら数時間、腰を据えて作品作りを始めると半日から一日かかってしまうという場所になっているらしい。
実は父ちゃんは今から10年ほど前にこの須川宿を何度か歩いているのです。当時『WALK』というウォーキングをテーマにした雑誌があって、そこにハイキングコースのガイド記事を寄稿していたのですね。このあたりには野仏が点在して、それをスタンプハイクのコースとして設定してあったので、それの取材ということで歩いているのです。あのときはそんな職人さんの家があるようには思えず、通りを歩く人なんかほとんどいない田舎の集落でありました。それが今回行ってみたらすっかり賑やかになって、次々とマイカーが押し寄せて宿場の中には人があふれかえっている。
立ち寄った蕎麦屋で「すっかり様子が変わったねぇ」と言うと、「ええ、5年くらい前にできたそうですよ」という言葉が返ってきて、これが作為的な村おこしで、この店員もよそから来ている人だということが判った。
今は静かな旧街道の宿場に観光客が押し寄せて、どの家もみな土産物屋博物館化してしまうのは、なんだか北国街道の海野宿とか中山道の馬籠・妻籠みたいでガッカリしてしまうのだけど、アイデアとしてはよくぞ考えたものである。だってこちらは歴史的な建物が無いところを「職人の手仕事」で売ってしまったところが偉いじゃないですか。もちろん仕掛け人は地元の新治村で、『豊楽館』という、この匠の里のセンターハウスみたいなものも「農村資源活用農業構造改善事業(ウルグァイ・ラウンド農業合意関連対策)」という名目で農林水産省の補助金を貰って立派なものができている。
あ、いや、決して悪口や皮肉ではなく素直に感心しているのです。先の野仏めぐりをスタンプハイクにしてしまったことだって、なかなかのものですよ。さらに養蚕事業が下向きになってきたので、農家に「一面の白い花もきれいだから」とソバの作付けを奨励して、それを観光に結びつけるアイデアもすごいですね。ここでは地元の農家の奥さんたちをインストラクターにした手打ち蕎麦体験教室があって、自分で打った蕎麦をその場で茹でて食べられるのですね。もちろん父ちゃんは次回来るときには申し込もうと思っているのです。
下界の暑さを逃れて避暑に行っていたのだけど、実はそのころ下界も涼しかったようです。苗場から帰ってきたら深谷も涼しいので拍子抜け。
そんな中、けむたま一家がやって来た。かねがね「脇の下に入れる前に振り切れる体温計を見せてやろうか」「深谷の市民プールはどうして屋内なのか知ってるか? 屋外だとプールサイドが灼けてしまって裸足で歩けなくなるからだ」なとど脅していただけに、まったくのアテはずれ。本来、客を迎えるにはこの方が都合がよいのだけど、チト面白くない。犬のゴン(本名は、なんたらかんたらゴンチャロフという覚えきれないほど長い名前だったはずだが、いつもゴンと呼んでいるので本人も飼い主も忘れてしまったかも知れない)の日除けのために張ったタープも、天候不順の雨よけになってしまった。
とどまつハウスのカーポートには同じクルマの、しかも同じ色のが2台並んでいたので近所の人はヘンに思ったかな。この前には二人ともファミリアワゴンに乗っていて(でも色は違ったぞ)、まったく同時期にお互い相談することなくカルディナに買い換えてしまった。
そのカルディナから出してきたバッグはこれまた父ちゃんと同じL.L.Beanの物で、プールに行こうとしてバッグから出してきたシャツは・・・父ちゃんが2階で着替えてきたシャツと同じ物の色違いでありました。
そんなわけで「前世は双子だったかも知れない」とよく言われるのですが、自分では最近「前世は同一人物だったのかも知れない」と思うようになりました。
あれ、何の話だ。そうそう、プールに行こうとして着替えていたのだった。気候がこんな調子だから泳ぐといっても気分が盛り上がらないのだけど、そこはそれ、屋内プールの利点で中に入ってしまえば気にならない。いつも颯と二人で行っているせいで離ればなれになれない父ちゃんは、この時とばかり颯を預けて100mのスライダーを楽しんだのでした。
なぁんてことをしているうちに父ちゃんの夏休みは終わってしまった。けむたま本人がまだ我が家の布団でグウスカ眠っている間に出勤し、ま、涼しいから溜まった仕事を片づけるのも楽かなぁと思っているうちに夏の暑さが戻ってきた。
どうもこの夏休みはだまされたぞ。
ところで、今回の更新にあたり、けむたま氏には画像作成において絶大なる援助を賜りましたので、この場を借りて深謝いたします。けむたま氏と言えば何故か「骨」と「唐草模様」を連想してしまうのですが、先日テレビを見ておりましたら、まさにその姿がアップになって出てきたので驚いてしまいました・・・え? 他人のそら似?
大盛況のうちに終わりました。いやぁ、良かった〜・・・おっと、その前に訂正とお詫びです。前に「 フォーライフのホームページ には小諸YHでのコンサートの情報が載っていない」と書きましたが、コンサートの数日前に更新され、前後の予定の間に挿入されていました。でも、電話番号が違っていたなぁ。コンサート終了後はすぐにまた更新され、新しいコンサート情報が載るなど、小室さんの事務所ではこのウェブページを有意義に活用しようとしているみたいです(拓郎のページは面白くないなぁ)。
まぁ、フォーライフのホームページの効果は不明ですが、『とどまつハウス』を見てコンサートがあることを知り、そして聴きに来たというのは少なくとも一人はいて、、、でも、仲間の一人だから、自慢にはならんか。
で、コンサートの感想ですが、今回のこのページは7・8月の出来事を中心にお伝えしているので、9月のことは次回に、、、あ、これじゃタイトルに偽りありだ。で、偽りついでに居直って小室さんとは関係ない月田秀子さんのコンサートの宣伝をしておきます。
本当のことを言うと、小室さんのコンサートの感想は少しあらたまった形で ウェブページ を作ろうと思っております。
TSUQUIDA HIDEKO FADO CONCERTO
日本でただ一人のファディスタ月田秀子さんが、深紅のバラの花、しっとりと落ち着いたビロードの歌声で、ポルトガルギターと共に私達を素敵な時空に誘ってくれます。 場所 小諸ユースホステル(Tel.0267-23-5732)
日時 1997年10月25日(土)
開場 18:00
開演 19:00
前売り券 3000円(当日券 3500円) 宿泊料別途
ファドへの誘い 月田秀子
フランスのシャンソン、イタリアのカンツォーネ、アルゼンチンのタンゴ、黒人のブルース、それらと同じ様にポルトガルにファドという歌がある。元々ファドはポルトガルの植民地だったブラジルへの奴隷として連れて行かれたアフリカの黒人達の踊りだった。それがポルトガルに逆輸入され、踊りよりも社会の下層民の生活の悲しみ、喜びを即興的に唄う歌として、19世紀始め頃からポルトガルの港町リスボンで唄い継がれてきた歌といわれている。アラブ、アフリカの民族音楽、中世吟遊詩人のトルバドール、ジプシーなど、港町として栄えた街ならではの異国の香りを含んだ歌である。
ファドが世界的に知られるきっかけになったのは、1954年のフランス映画『過去を持つ愛情』の中でアマリア・ロドリゲスが唄った「暗いはしけ」である。海へ出たまま帰らぬ人を待ちわびる女の歌で、その歌を聴きたいがために何度も映画館へ足を運んだ人がいるほど、悲しみを含んだアマリアの声が有無を言わさず心に染み込んでくる。
プロフィール
・20世紀半ば、東京下町生まれ
・シャンソンを菅美紗緒、山口美保に師事
・1985年、第一回リサイタルを大阪サンケイホールにて開催。以後毎年開催
・ファドの女王アマリア・ロドリゲスの歌声に衝撃を受け、87年ポルトガル国立リスボン大学に語学留学
・1991年リスボン市立マリア・マトス劇場にて、在ポルトガル日本大使館主催、リスボン市後援によるコンサート開催。絶賛を博す
アマリア・ドロリゲス自身にalma(魂)のファド唄い、しかもアマリアを継承するファディスタとして認められる
・1994年12月、NHK総合テレビ番組「にんげんマップ」に『魂の歌・ファドは海を越えて』と題して出演
・1996年11月、小諸YHでコンサート。
昨年末あたりからこのページには毎回蕎麦屋の話を書いていたのですが、前回は書きそびれてしまいました。だから、その分もということで・・・
砂場ですくいそこなったもの
颯が通っている幼稚園の近くに『砂場』という蕎麦屋があります。「あ、砂場だったらウチの近所だよ。じゃぁなにかい、お前んちのガキはこんなところまで来ているんかい」って言う人もいるかな・・・砂場というのは薮や更料と並ぶ古い蕎麦屋の屋号でして、歴史が古いからノレン分けして開いた店や、あやかって勝手に名乗っている店が各地にありまして、実際『砂場会』という全国組織もあるそうです。伝統ある屋号を守っている店ですので、これまで何軒か入った砂場ではどこも蕎麦の味には間違いはなかったです。ただし、フランチャイズチェーンではありませんので、つゆの味は各店各様。好みに合う合わないがあります。
久しぶりに行ったこの砂場のは、ちょっと我が家の舌には辛いかな、という感じですね。じゃぁ何故食べに行ったのかというと、まぁ颯の参観日で幼稚園に行く用事があったからでもあるけど(颯は幼稚園に残って弁当だった)、この店には面白いものがあったのを思い出したからなんです。レジのところに籠があって、まぁたいていマッチなんかが入っていることが多いけど、この店は蕎麦の種が置いてあったのです。
前にも二、三度ばかり貰ってきたことがあったのだけど、アパート住まいでは育てようがなくって友人にあげたりしてたのですね。でも、今度は違う。今年は自分の庭に蒔いて育ててみようと思ったのです。そりゃぁもちろんこれで食費を浮かそうなんて思いませんが、風にそよぐ蕎麦の花の姿は好きだし、それに自分の好きな食べ物がこうやって大地から生まれてくるんだと知ることは素敵ではありませんか。
わくわくしながら蕎麦を食べ、お勘定を払おうとレジに行ったら・・・もうサービスは辞めたのか、蕎麦の種は置いてありませんでした。
蕎麦屋では何を注文するのが正しいか
なぁんて書いたら「寿司屋では何を最初に注文するか」って話を思い出しますね。「トロだ」なんて言う人がいるかと思うと「あんなもの金を積んでマグロの良いものを買ってくれば済んじまう。やっぱり材料のこだわりを見るんなら卵焼きですよ」「いやいや、卵焼きを最初に食べたんでは口の中に甘味が広がって次のものが味わえなくなる。材料のこだわりを見るんなら、海苔の選び方。巻物を頼めばいい」「てやんでぇ、寿司屋といえば酢が命、酢で締めた奴を食えば職人の腕が判るってものよ」・・・なんていろんな意見がありますが、昔読んだ本の中で伊丹十三さんが寿司職人に直接聞いたら「どれも恐くはないですねぇ。店に入ってきて、ケースの中のネタを見て、そのまま帰る客がいたらそれが一番恐い」ってな話だったけど、そんな度胸のある客なんていないよね、上のようなことを言う人の中には。
・・・脱線してしまいました。蕎麦屋の話でした。
ま、寿司屋でもそうだけど、我々は職人をビビらせに行くのが目的ではないのである。自分が美味しく食べるために、あるいは満腹感を得るために行くのである。自分の腹具合や懐具合と相談して食べたいものを食べればよいのではなかろうか。
と言いつつも自分では原則的に初めての店では「もり」を頼むことにしている。蕎麦の味がよく判るということで、これが基本ではないでしょうか。もちろん値段も。
あとはバリエーション。腹が減っているときは「かけ」系にしてつゆで補ったり、種物にして腹持ちをよくしたり・・・山菜蕎麦なんてのは大好きですねぇ。逆に天ぷらそば(かけ)は油でつゆの味が台無しになってしまうので大っ嫌い。値段が高いのが本当の理由かも知れないけど。
8月の暑い土曜日、昼食にしようと蕎麦屋に入って「冷やしたぬき」を注文しました。これはそんなに油がきつくないしね、それに暑いときはある程度油っ気を摂取したほうがバテ防止に良いので、これは利にかなった健康食なんですよ。
で、ふと周りを眺めると、他の客は皆ビールを飲んでいる。別に、例えば早朝野球のチームが試合後の打ち上げをしているわけではなく、別々にやってきた客が皆申し合わせたかのように「まずビール」なのですね。ほら、今やってきたカップルも「ビール」
それを見て「ああ、そうか」と思ったのですね。つまりここから本題になるのですが、蕎麦なんてものは、かしこまったりあらたまったりせずに「昼間っから飲んだりしちゃぁ汗水たらして働いている世間の人に申し訳ないかなぁ」と心の隅で思いながらも「ま、ちょっとだけ」お酒をいただいて、仕上げにツルッと食べるのが粋なのではないかと思ったのです。上田の刀屋とか神戸(ごうど)の玉木屋なんかに、あらたまった座敷ではなく、土間に張り付いたように細長い畳敷きで座卓がいくつか並んだ席があるけど、昼下がりにこういう場所に座って銚子を傾ける老人というのは絵になるような気がするなぁ。
でも我が家はクルマで行くことがほとんどなので、アルコールは御法度。それが寂しい。嗚呼。