《1998.03》
すこしずつ夜が明けるのが早くなってきました
寒い間はついつい布団から出られなかったのですが
これからの季節は、また
・・・春眠暁を覚えず
やっぱり布団から出られそうにありません
息をひそめてお正月 冬の遊びは、やっぱりこれ オリンピック考 バレンタインデーの朝、かもでんな号は地球を2周した 深夜のメッセージ お詫びとお知らせ
今年、我が家は静かにひっそりと新年を迎えました。年末に那須で遊んで金を使い果たしたからというわけではありません。ん、いや、それも関係があるのかも知れないけど、家族の者が次々と体調を崩してしまったのです。那須で「悪寒がする、風邪をひくかもしれない!」と叫んだ父ちゃんだけが実はなんともなく、皆から「詐欺だ」と言われましたが、まぁそれにしても一人でおせち料理をつまんでいても美味しくないのです。
毎月1日は地ビールの日だとかなんとか言って準備していた2リットルの御殿場高原ビールも、さすがにこんな気分の中で一人で飲むには多すぎるし・・・(それでも2日の晩にはカラになっていたような)。
だから今年は10数年来の行事だった飯島商店(上田市)の初売りにも行かなかったし、高崎のアウトドアショップに行って買い物もしないでクジだけ引いてくるということもしませんでした。市内の住宅会社のモデルハウスに粗品の手桶を貰いに行ったのと、近所の実家で恒例の新年会をやっただけ(あと、夜遅くに薬局まで浣腸薬を買いにやらされた・・・使わなかったけど)。那須から帰ってまだ5日も休みがあったのに、ほとんどクルマを使わずに過ごしました。
でも、さすがに休みの最後の日に会社まで行くガソリンが不安になって近所のスタンドに行ったのですが、そこで若いお兄ちゃんに「ガラスを拭いて欲しいですか?」と訊ねられ、いきなりそう聞かれたら、ひょっとしたら窓拭きは有料サービスなのかと思って「いらない」と答えてしまいました。・・・後日、そのスタンドに行ったら別の人が何も言わずにガラスを拭いてくれたので、どうやら例の兄ちゃんは単に口のきき方が判らなかったのかムシの居所が悪かっただけのようです。
おっと、何の話だっけ・・・ま、そのあとも1月の終わりにはインフルエンザが我が家にもやって来て猛威を振るってゆくし(父ちゃんは、この時ものけ者だった)で、なんだか盛り上がらなかった1月でした。
ううむ、更新が遅れた言い訳みたいになってきたぞ。
「暖冬とは言ったが、雪が降らないと言った覚えはない!」と気象台が居直ったかどうかは知らないけれど、正月休みが終わった頃にどぉんと降ってくれました。カーポートの屋根がつぶれないかとハラハラしながら一夜を過ごし、後ろ髪を引かれる思いで出勤したのが金曜日。会社の雪かきをやって帰宅し、翌土曜日は会社が休みで、、、お、かなり雪が残っている!
家の前の雪は、前の日に主婦連ががんばってどかしてくれていたのですが、よりクルマの出し入れがやりやすいように、さらに隅に寄せることにします。ここまでは向かいの家と共同作業。このあとお向かいさんは庭の雪を日向や外に出し始めたのですが、我が家の父ちゃんは逆に道路に積み上げた雪をシャベルですくって庭に投げ入れます。いいとか悪いとかではなく、庭に対する考え方の違いでしょうね。どうせ熱帯植物を植えているわけでもないし、「庭は遊び場である」派の父ちゃんは滑り台を作ってしまい、颯を遊ばせることにしました。本当は自分が滑りたいのだけど、庭が狭いので父ちゃんの勢いだとブロック塀にぶつかってしまうのです(できれば根雪になった方がいいくらいなもので、夕方にはジョウロで水を撒いて固めてしまいました)。
お昼なので一休み。雪で冷やしたビールが呑み頃です。2階の部屋に戻った父ちゃんは窓の向こうに素晴らしいものを見つけました。一面雪に覆われた空き地です。
我が家から数10メートルほど離れたところに、自治会で『みんなの広場』として借りている空き地があって、ここがほとんど手つかずの雪原なのです。父ちゃんが窓から見たときに少女が二人いただけ。第2土曜日だったので、てっきり朝から小学生たちが雪だるまを作ったり雪合戦をしたりしてグチャグチャになっていると思っていたのですけどね。まったく、今の子は雪が降ったからといって外で遊ばないのでしょうか・・・昼食を終えた父ちゃんがXCスキー、スノーシュー、子供用のソリというフル装備で出かけたのは言うまでもありません・・・あ、もちろん「手に持って」だよ。
15日の成人の日も雪でした。こんな日はすいているだろうとタイヤチェーンを巻いてショッピングセンターに行ったら、開店直後の時間だというのに、結構客が入っていました。やっぱり皆んな、屋根の下がいいんだな。ま、降りしきる雪の中では父ちゃんだって外で遊ぶの嫌だからな・・・と、数日前に目をつけた『あるところ』に取り敢えず今日は様子を見るだけと寄ってみたら、しっかり雪まみれになって遊んでいる親子がいました。ううむ、負けたなぁ。
で、この雪が比較的解けやすかったのだけど、なんとか17日の土曜日まで残ってくれたので、結衣を連れてクルマで5分ほど離れた『あるところ』まで行ってきました。颯はまだ幼稚園だったから。
『あるところ』というのは『深谷グリーンパーク』という公園でして、○○運動公園みたいに広いグラウンドやトラックはないけど、遊水池にもなる窪地の広場や、南側に土手のある芝生の広場があって、このアップダウンがXCスキーにとっては楽しい変化になります。もうひとつ四季の広場というのがあって、この広場の奥にはモンゴルの住居『ゲル』をイメージした温室が二つ並んでいて、モンゴルの大平原を行く気分(周りの余分なものが見えないという自己暗示をかければ、だけど)。
でね、ここが何でスキーリゾートかと言うと、入り口近くに例の『パティオ』があって、中にサウナとジャグジーがある。つまり汗をかいたらここでサッパリして帰れるわけで、実に便利が良いのです。ま、パティオの利用料800円というのが少々玉にキズだけどね。いつか紹介したかもしれないけれど、サウナ以外にも流れるプール、波の出るプールに100mのスライダーもあり、競泳用プールが使いたければお2階へご案内〜、てなトコなので、これで遊べばモトは取れるかなと思うのですね。
この日たまたまTBSテレビの中継車が来ていて、結衣と遊んで家に帰るとちょうどオンエア。で、午後、幼稚園から帰ってきた颯や母ちゃんも連れてもう一度遊びに行ったら、中継はまだ続いていて(ワイドショーみたいな番組の中で2回にわたって中継されたようです)、これは現場の野次馬として見てきました。
「テレビを見て来た人、先着50名様にチューリップをプレゼント」と言うので、しっかりその場で貰ってきちゃった。たぶん、本当に家でテレビを見て駆けつけても、貰えた人は少なかったのではないでしょうか。このプレゼントは翌日もありました。
翌日・・・はかなり雪も解けてしまったのでスキーは持たずにプール目当てに行ってきたのですが(チューリップ目当てではありませんよ)、「関越道の花園インターから15分」と紹介したテレビの効用か、他県ナンバーのクルマが目立ちましたねぇ。
高校の保健体育の教科書に「オリンピックを主催するのは国ではなく都市である。オリンピックに参加するのは国ではなく各国オリンピック委員会(NOC)である」というようなことが書いてあって、そのナショナリズムを排した理念に感動したものです。父ちゃんは全共闘やヒッピームーブメントの世代ではないけれど、そういうのを見知っている世代だから、「国家」というものがのしかかってくるのがどことなく嫌なのですね。
でまぁ素晴らしいと思ったオリンピックですが、実際には開催地の自治体がいくらがんばっても、国のプロジェクトとして取り組まなければ無理な規模だし、経済発展がここまで来ましたとアピールしたいという国家の威信というものもある。参加する方だってやっぱり国家の威信というものがあって、特に東欧諸国ではステートアマなんてのもいましたね。「優勝したのは私です。国家ではありません」と言っても「トレーニングの場は誰が提供したと思っているのだ? 飛行機代を払ったのは誰だと思う?」と言われれば黙るしかない(そういえば、長野オリンピック参加選手の飛行機代は組織委員会が払うと言ってたような気がするけど、どうなったのだろう?)
しかし、経済が発展しきった国での開催にあたり、税金からそんなに投入できないよということになってスポンサーに頼るということが目立ってきた。それに東欧諸国が崩壊したら国家の概念もおかしくなって民族的な単位で参加する地域が現れたり、自分をオリンピックに出してくれる国の国籍を取ろうという選手も現れたりして、ナショナリズムが崩れかけてきた。その分コマーシャリズムの台頭だと眉をひそめる人もいるけど、誰かが費用を出さなければいけないのだから仕方ないでしょう。スポンサーの意向を伺いながらコトを進められるのは困るけど、ワールドワイドに活躍する企業がオリンピックをサポートするのは、ナショナリズムが薄められるようで、父ちゃんは支持しています。
さて、翻って長野オリンピックであります。よくぞ長野でできたものです。地理的に南にあるということではなく、長野の県民性から考えて「オリンピックを主催するのは都市、すなわち長野市である。他の市町村は知らんけんね」と言われかねないと思っていたのです。長野と松本はかねてから仲が良くないし、伊那谷モンロー主義(干渉しないさせない)という言葉さえ聞いたことがある。ある意味では古代のポリス国家的なところがあって、長野市は自力でがんばらねばならんなぁと思っていたのです。
だから開会式で「御柱(おんばしら)」が登場すると聞いたときは、父ちゃんも「なぜ長野とは関係無い地方の行事を持ち出すのだ?」と思ってしまったのですね。演出の浅利慶太は阿呆ではないかと思ったのだけど、どうやら彼は、あえて他の地域の祭りを持って来ることで長野県民の気持ちをひとつにまとめようと考えたようです。「あ、おれたちにも関係あるんだな」と。そう考えれば日本選手団の入場のバックに『信濃の国』を使ったのもうなずけます。長野県民を一つにまとめられる歌はあれしか思いつきませんからね。
しかし、ビデオで開会式を見て拍子抜けしたのは『御柱』。てっきり観客席の最上段から人がまたがったまま滑り落ちて来るものと期待していたのですけどね。ガッカリ。
あと、肝心の競技については・・・全然見ていないのでノーコメント。朝、出勤間際に新聞を斜め読みしている状態では感動も何も湧かないのであります。閉会式の様子は・・・ビデオで見たのがオリンピック終了後2週間も経ってからなので「いやぁ、良かったねぇ」と言おうにも、誰も相手にしてくれないのでありました。
それはそうと、スノープル君は幸せな余生を送っているのかなあ。冬季オリンピック招致活動のマスコットとして活躍したものの、長野開催が決まったとたんに御役御免になって、スノーレッツにその座を奪われたオコジョのスノープル君です。もう一度逢いたくてウェブ上をいろいろ探してみたけど、 信濃毎日新聞社 のサイトで「本物の」オコジョの写真にスノープルの名の由来が添えられていたのを見つけただけだった。お元気ですかぁ。
と書いても、判らない人には意味不明の言葉でしょうが、つまりは我が家のクルマ(メーカーでは『カルディナ』と呼んでいる)が、2月14日に通算走行距離が8万kmになったということであります。93年の2月の終わりに買ったわけですから、ほぼ丸5年での達成ということになります。
このペースが早いのか遅いのかは何とも言えないのですが、さすがにクルマがくたびれてきたのは事実です。かもでんな号の名前の由来になったデコイをあしらったエンブレムは、塗料がかなり剥げてきました。シートもヘタッてきて、父ちゃんはヒップポイントを高めにしてキチンと座る姿勢が好きなのですが、ダイアル調整で目いっぱい後部を高くしてもまだお尻が沈んでしまう感じです。それにサンルーフの開け閉めがうまくいかなくなってきたり、カーステレオにCDを突っ込んでも吐き出してしまったり(それもなぜか輸入CDばかり)。それに、買って半年ほどで運転席のドアのパッキンが外れやすくなってきて、後席のドアと干渉したり・・・けむたま氏のカルディナも最近そういう傾向にあるという話を聞いたし、勤め先のコロナ(前半分はカルディナと同じクルマ)もそうだから、これは構造上の欠陥かもしれませんね。
前のクルマよりワンサイズ大きなクルマを買ったのに、運転席はむしろ窮屈だというのも理不尽です。ま、このクルマを買ったのは颯が生まれる年で、母ちゃんと赤ん坊が後ろの座席に座るということを考えて後席や荷室が広いクルマというのが選択の条件だったわけで、その点に関しては充分に満足しています。が、後ろに人や荷物を載せると簡単に車体が沈み込んでしまうのは困りものです。駐車場の車止めに何度こすったことか・・・泥よけどころかマフラーをぶつけたこともある。
買う前に良く確かめればいいのでしょうが・・・よくよく思い出してみれば、これまでミラ、ファミリアワゴンと乗り継いできて、一度も試乗どころか展示車さえ見ないで買っているんですね。結構売れ筋のクルマを買っているのですが(ファミリアの場合、ワゴンはともかく、ハッチバックやセダンは当時良く売れていた)、父ちゃんの行ったディーラーには現物が置いてないのです。逆に展示車を見に行ったミニカ、カリブ、リベロ、アベニールは買わなかったわけで、どういう性格してるんでしょうね。
クルマに限らず、電化製品やキャンプ用品などを買うときは、カタログを集めてスペックを比較し、さんざん検討して選ぶのですが、どうやらこのクルマに関してはハズレ・・・いやいや、買った時点では最善の選択だったし気に入っていたし、それに、これまで我が家の思い出づくりに貢献してくれたことは、まぎれもない事実です。決して忘れてはなりません。
というわけで、もうしばらく『かもでんな』号と仲良く付き合って行こうと思って(もちろん、すぐに買い替えられない事情は他にもあるけど)、先日車検を受けてきました。 それで、いつも思うのですが、このクルマを買ったディーラーのサービスの人たちは実に気分のいい人が揃っています。正直言って、担当のセールスマンはあまり好きになれないタイプなのですが、クルマを買った後は整備の人たちとのお付き合い。いつも笑顔で応対してくれて、点検のときに見学させてもらってもいいかと訊ねると快く承知してくれて丁寧に説明しながら作業を進めます。昨年引っ越したのを機に点検整備に出す営業所を代えたのですが、こちらでもまったく同様。
もし次のクルマをトヨタ以外で買っても、メンテナンスはこの人たちに頼みたいなと真剣に思っているくらいです。
2月の半ばを過ぎたある朝、会社に行こうとした父ちゃんが携帯電話を手にとって、「あれ、夜中に誰かから電話があったんだ?」
電話機のディスプレイには『チャクシンアリ AM12:27』と表示されていたのです。「誰だろう、こんな真夜中に・・・」
電話機は部屋の外に置いていたし、我が家は皆9時には寝てしまうのでベルが鳴ったのは判りませんでした。父ちゃんの携帯電話は昨年暮に取り替えたばかりで、新しい電話番号を知っているのは10人といないし、こんな時間なら携帯より家の電話にかけてくる人間ばかりです。それに相手がデジタル式の携帯だったり、NTTの一般加入電話であれば原則的に相手の電話番号が表示されるはずですが、それが無い・・・「きっと、どこかの酔っ払いが公衆電話から間違えてかけてきたのだろう(公衆電話からだと番号が表示されないのは実験済みなのです)」
そう納得して会社に出かけた父ちゃんが、携帯電話が鳴ったまさにその時刻に祖母が亡くなった事を知るのは、夜、帰宅してからでした。
12年も病院で寝たきりで、自分がどこの誰かさえ判らないような状態だったのですが、最期に孫のことを思い出したのかなぁ・・・
3月の半ば過ぎまで「謹賀新年」というメッセージを出しっぱなしにしてしまい、うーむ、実にカッコ悪い。長らく更新をサボりまして申し訳ありません。なにせ最近は家で起きて過ごす時間が2時間前後。この中で顔を洗って朝食を食べて、風呂に入って晩メシ食べて、子供と一緒に遊んで歯を磨いて・・・あ、このあと一緒に寝てしまうのが悪いのか。
夏のうちはまだ4時とか5時に起きてパソコンに向かったけど、このごろは布団から出るのがおっくうだし・・・はい、気合いを入れてがんばります。前から室内改装のアイデアがあるのに、ちっとも実行に移せないからなぁ。
今号から居をニフティのユーザーホームページのサーバに移しました。前に書いたけど、ニフティがインターネットプロバイダとしても充実してきて、なんとかこちらの要求レベルを満たしているので、別のプロバイダと契約して2個所に家賃を払うよりも、というわけです。別荘として残しておくほどの余裕も無いしね。
それから、『とどまつハウス』のアウトドアサイトであった『FOOLクラブ』のウェブページはしばらくの間閉鎖します。これこそアイデアだけが頭にあって、中身がちっとも追いつかない。、何度もアクセスしてくれる人に申し訳ないから、一時お休みして、いつの日かリニューアルさせていただきます。