《2002.10》
 この日も午前様 

非売品のCD
50歳の誕生日パーティの引き出物用に作ったとか
 あ、見つかっちゃった(^^ゞ

 10月に群馬県大泉町に小室サンのコンサートを聴きに行ったときの話を書こうと思ったのだけど、自慢タラタラの内容になってしまいそうだし、おおっぴらに話すことでもなさそうなので、自分だけの思い出として残すことに(けっこう忘れっぽいので「備忘録」ってわけ。『あのねノート』全体がそういう意味合いなんだけど)しました。
 というわけで、このページには外部からのリンクはないし、また、外部へのリンクもありません。ですから、このページを読んだ人は趣旨をご理解の上、決してこのページにはリンクを張らないでください。それから、読み終えたら matsuo.watanabe@nifty.ne.jp 宛に「あのページ、読んだよ」と報告してください・・・おっと、これは「秘密を知ってしまった要注意人物リスト」に載せるためではなく「よくぞ隠しページに気づいたなぁ!」と賞賛のレスを差し上げるためです。ひょっとしたら粗品を送るかもしれません(これは期待薄)。

 附記:当初このページを作ったときは単独のウインドーで表示していたため、ブラウザのアドレスバーのファイル名が連続していないことからこの隠しページの存在が推測されたのですが(そして直接入力で読むことができた)、2004年1月のリニューアルでフレームを使った構成になり、アドレスバーにファイル名が表示されなくなりました。このため、直前のページの最後の部分にこっそりとリンクアンカーをつけることにしました。

 やっぱり1月のことから書いておいたほうがいいですね。フォーライフのウェブサイトで小室サンのページを見ていたら、31日に大泉町公民館で「町民教養講座・小室等講演会〜出会いは旅の中で」というのが催されることが判ったのですね。それまで大泉町へは行ったことがなかったけど、勤め先から小1時間もあれば行けそうなところです(実際行ったら、勤め先から40分、なんと家まで30分で戻れた)。それで公民館に電話して入場券を取り置き、というかまず町民以外の人も入れるのかということを確認して、正月も今日で終わりという日に仕事を定時に切り上げて出かけたわけです・・・あらかじめ地図で場所を見つけておいたけど、やっぱり初めての町で夜のことだったので戸惑ったなぁ、間違えて別の施設に行ったりもしました(^^ゞ
受講料は300円だった
 それでも公民館に着いたらまだ他には誰も来ていないような状態で、そりゃそうだろう、地元の人を対象にした催しなのだから夕食を食べてギリギリに来るのですよ、きっと。で、手持ち無沙汰にロビーで別の行事案内のポスターやらチラシを眺めていると、もうひとり同じように手持ち無沙汰な人がいて、顔を見たら六文銭ファクトリーの上田サン。「こんばんは」と声をかけたら最初は「どなたでしたっけ?」という顔をしたけど、「毎年小諸YHで・・・」といったら思い出してくれました。今夜は仕事帰りでスーツ姿、いつもの雰囲気とはギャップがありすぎたようです。
 で、しばらく上田サンと話しているうちに、もう一人地元の顔見知りみたいな人(10月に、この人が石塚サンという公民館の職員だったことを知る)が現れて、2人で上田サンの話を聴いているうちに開場時刻になって、ぼくはホールに、上田サンは小室サンのいる控え室にと別れたってわけ。
 やがて始まった講演会は、そう、講演会なんだ。折からの時事問題(田中真紀子外務大臣更迭)に触れてスタートしたけど、それがやがて小室サンがNPOにかかわってベラルーシやタイに行った話へと移っていったのですね。でも、講演会だというのに演台がなく、足元にはモニタースピーカーが置いてあって変わった雰囲気だなと思っていたらそのうちにギターが出てきて、ロシア語やタイ語で歌ったのは講演に関連しているのだけど、結局最後はコンサートみたいになってしまいました。終わりの挨拶に立った公民館長が「今日は皆さんトクをした」って言ってたけど、まったくそのとおりです。
 講演会が終わってホールから出てきたら、ちょうどステージにギターを取りに行って戻る上田サンにばったり会ったので挨拶をして帰ってきたのだけど、数日後に上田サン、小室サンそれぞれからメールが届いたのですね(もっとも、その前にこちらから「楽しかったですよ」とメールを出したのだけど)。
 上田サンいわく、「あのあと打ち上げで、今度はコンサートをやろうと盛り上がり、秋には実現しそうです」
 小室サンいわく、「来てくれてありがとう、上田に呼びにやらせたけどすぐに帰ったみたいだね。今度は遠慮なく楽屋を訪ねてください」・・・このメールを貰ったときは感激しましたが、それもこれも小諸YHの古屋夫妻のおかげですね。あの人たちに対する信頼があってこそ、ぼくに対しても親しくしてくれるだと思います。

『ここから風が』は当日歌われなかった
主催者が勝手につけたサブタイトル?
 というエピソードがあらかじめあって10月のコンサートに繋がってゆくのですが、その前にコンサートの開催を知ったのが8月、やっぱりフォーライフのウェブサイトでした。主催者が『NPO法人・森の会:大泉支部』というところで、電話で問い合わせたら「どうして(コンサートのことを)知ってるのぉ!?」
 どうもまだ前売り券をどうやってさばくか悩んでいる状態みたい。こちらもちょうどお盆休み前で仕事を早く切り上げたので、会場の「大泉町文化むら」の場所を確かめるのにちょうどよいと前売り券を買いに行くことにしました。なかなか立派なホールを持った施設です。
 上田サンに「大泉行くからね」とメールを出したら、彼からも「客数が少ないと大変だから、友人にも声をかけてね」と返事がきました。
 とまぁ、8月にこういうやり取りがあったから、9月に小諸YHで会ったときもその話題が出て、藤原サンや中川夫妻も「行けたら行きたいなぁ」というムードだったのですね。ライブと打ち上げが終わって宿に引き揚げるとき、小室サンがぼくの肩を叩いて「今度は大泉だな!」と言ったので「楽屋に寄らせてもらいますね」「もちろん、もちろん!」・・・酔って上機嫌だったので、朝になって忘れてなければいいけど(^^ゞ

 やれやれ、ようやく10月です。といっても小諸YHのライブから2週間後ですけどね。1月の講演会同様、この日も勤め先から直行・・・のつもりが昼間用事ができて休暇を取ってしまったので、家から向かうことになりました。夕方の道路が混み始める時間でもあり、道の駅『めぬま』に寄ってスタンプを押してたりなどしてたら時間を食って、仕事が終わってから出てくるのと変わらなかったですね。
 会場の『大泉町文化むら』に着くとすでに当日券の販売と入場受付が始まっていて、前売り券を出すと通し番号の入った整理券をくれました。指定席ではないので、開場時に混乱しないよう、指定時刻になったら番号順に並べとのことですが、25番目に入場する権利は放棄することになりそうです。なぜなら・・・
 ロビーにいた主催者側のスタッフの一人に声をかけて小室サンの楽屋を尋ねます。「私が来ることはマネジャーの上田サンも承知してますから」と言葉を添えたのは、小室サンの名前を出すのって嘘臭いじゃないですか。病的なファンがスターの名前を出して「友達だから会わせろ」って、ありそうでしょ。上田サンの名前を出すほうが真実味が出るってもんです。
 でもって案内されて楽屋に行くと、うん、やっぱり「控え室」ではなく「楽屋」だなぁ。壁の一面が鏡台を並べた造りになっていて、部屋の奥にはロッカー、カーテンで仕切られるようになった更衣コーナーと、小さな洗面室もありました。テレビなんかでは見たことあるけど、実際にこういう部屋に入るなんて初めてです。小室サンは数台並べて置かれていた長机の一つに向かって、主催者側スタッフかその友人の女性に頼まれてサインを書いていました。あの紙は、入場受付で配っていたチラシだな。
「こんばんは、お土産持ってきましたよ」「おお!」
ぼくがこのカセットを持っていると言うと
小室サンは「いやぁ恥ずかしいなぁ!」と照れた
 ぼくと4合瓶の地酒と、どちらが歓迎されたのやら・・・そして、入り口近くでハーモニカの手入れをしていた八木のぶおサンに紹介してくれました。写真やウェブサイトのムービーなどでは知っていましたが、会うのはもちろん初めて。ちょっと年齢が計りきれない人です。鏡台の前に置いた黒くて幅の広いベルトには、何本もの、きっとキーごとに取り替えて演奏するのでしょう、ハーモニカが挿してあります。ホルスターと呼べば格好いいけど、失礼ながら電気工事屋サンのベルトを連想してしまいました。でも、本番ではこれを腰に巻くことはなかったので(もともと収納用だけだったのかもしれない)、腰から次々と抜いて吹くということはありませんでした。
「わたなべサン、今日は國明サンが飛び入りで出ることになってるんだ。間に合えばだけど」
 上田サンによると、名古屋での仕事を終えた清水國明サンが6時に東京に着くことになっていて、その足でこちらに向かって8時にステージにあがる手筈なんだそうです。なるほど、テーブルの上に置いた紙に書かれた本日の曲順メモは、途中で國明サンとのジョイントを想定した曲になっています。でも、うまく8時までに来れるかなぁ。金曜日のこの時間じゃぁ・・・ちょっとキビしいと、主催者側スタッフの青年が顔を出して報告です。しかし、國明サンが来ると知ってたら『まゆげの唄』のCDを持ってくるんだった。小室サンと二人で歌っているこのCD、発売直後に小室サンのサインは貰ってるんだけど、國明サンのサインも加われば完璧なんだよなぁ。
 プロの興行会社による主催ではなく、地元の有志団体が企画したせいでしょうか、ロビーではウェルカムコンサートって呼べばいいのかな、アマチュアグループによるマンドリンの演奏が開かれています。小室サンは面白そうだなぁと言って見に行ってしまいましたが、やがて戻ってきて、
「上田、あれ準備できてるか? ・・・そうだ、わたなべサンに撮ってもらおう」
「ああ、それがいい。わたなべサン、プロだから」
 何の話かと思ったら、どうやら小室サンは知人の娘さんの結婚式に呼ばれているらしいのですが、当日出席することができない。それでビデオレターみたいなものでメッセージと歌を贈ろうとしていて、本日この楽屋で撮影するべくビデオカメラを用意してきたというわけなんですね。なるほど、さっきからそれっぽい金色の封緘シールが貼られた手紙がテーブルの上にあるのが気になっていたのでした。で、それをぼくに撮ってもらおうという発想の飛躍がものすごい。
 そういえば先日、小諸で例によって芝田クンがバシャバシャ写真を撮っているときに上田サンが
「彼はすごいなぁ。そう言えば、わたなべサンもプロだよねぇ」
 と言ったことがありました。ぼくも結構「個人的な記録用に」としてライブの様子をビデオに収めていた(昨年はカメラが壊れてうまく写ってないし、それで今年は撮らなかった)し、その一部はCD-ROMに焼いて上田サンにも渡してあったから、そのあたりの印象で「わたなべサンに撮ってもらおう」ということになったみたいです。でも、それは買いかぶり過ぎってもんですよ。
「それでも上田が撮るよりはましだよ」
 どこで調達してきたのか、高級アマチュア向けの3CCDの大きなカメラを持って(でも、型としては少し古く、時々うまく動かないことがあるらしい)突然のビデオ撮りが始まりました。共演を頼まれた八木サンも照れくさそうです。でね、確かに小室サンのメッセージはここにはいないどこかの人に宛てたもので、きっと披露宴の会場ではその人をはじめ多くの招待客や家族が見ることになるのでしょうが、今この時はぼくだけが、ぼくだけに向かって小室サンや八木サンが演奏し歌ってくれているのです(ちなみに歌ったのは結婚式にふさわしく『あげます』でした)・・・こりゃぁ大変な贅沢だぞ! ただね、手を伸ばせば届きそうなところいる二人を、小さな白黒画面のファインダーで見ていたというのは、なんとも勿体無いなぁ。
 はたしてうまく撮れていたのか? プレイバックの方法が判らず、上田サンと二人で取り説見ながら何とか再生してみて写っていることは確認したのですが、ファインダーを使ってのプレイバックでは音声までチェックできない。まぁ大丈夫でしょう、それに最悪でももう一度撮影する機会があるからと、信用されたのかされてないのか。本番前のハプニングライブを終えて、そろそろ客席に行くことにします。本番直前は、きっと気合を入れたり気を鎮めたり、なにか「儀式」があるでしょうから邪魔しちゃいけませんよね。
 大ホールの客席は、かなり後ろのほうまで人で埋まっています。が、後から入っていったにもかかわらず前から3列目の中央が空いていたのがラッキー。席はもう2人分空いていたので、中川夫妻が見つかればなぁと思ったのですが、大勢のお客さんの中で見つけるのは難しそうでした(結局来れなかったと後日メールをもらった)。

 主催者による挨拶(途中でハプニングがあることを匂わせていた・・・國明サンの事だろう)で始まったコンサートは、もちろん、たいへん素敵でした。考えたらこれまで小室サンのコンサートは野外や小諸YHのホールで聴いただけなので、これだけ音響が良く、ホリゾントで背景の色が変わるなんて初めてです。ということだけではなく、これまでギター一本の、文字通りソロコンサートで聴いていたのですが、今回は八木サンとの共演で、この八木サンのハーモニカがまた素晴らしかったです。言っちゃぁ悪いけど、小室サンが歌っているときより間奏で八木サンの演奏が始まるのが楽しみで、歌よりも演奏を楽しんだコンサートみたいでした。小室サンのアルバムで『武満徹ソングブック』というのがあって、これも八木サンのハーモニカが素敵なのですが、このゾクゾクするような心地よさをライブで楽しめたというわけでした。曲間のトークを極力控えめに、次々と演奏される曲にうっとりです。
二人の掛け合い中にこの曲が流れた
「なんで本人がおるのに
 レコード流すんや?(清水)」
 1時間ほど経って、ちらっと舞台の袖に目をやった小室サンは、八木サンとなにやら打ち合わせを始めました。ははん、さては國明サンがまだ来てないのかな。もちろん飛び入りのゲストのことは客席には内緒、再び八木サンと演奏を始めます。歌い終わるころ、照明の届かないステージの隅にギターを抱えた男性がそっと現れました。客席の一部から「あれっ、何だろう?」というざわつきが起こったところですかさずぼくが拍手をします。お客さんの多くも國明サンだと気がついたようです。小室サンも『赤とんぼの唄』でフォロー。
 國明サンが登場したら、これまでほとんどトークもなく黙々と歌と演奏を続けていたステージの雰囲気が一変します。まるで小室サンと國明サンの掛け合い漫才。フォーク界の大御所とコミックソングの『あのねのね』の組み合わせは一見不似合いに見えるけど、これまでにも多くのアウトドア系のイベントやコンサートで一緒に仕事をしているらしいのですね(そんな中から『まゆげの唄』が生まれたそうです)。明るく楽しい歌と会話で会場を笑いの渦に巻き込み、大いに盛り上げて國明サンはステージを降りてゆきました。その間、八木サンは少し離れたところに静かに立っているので、國明サンが「気ぃ悪ぅしてません? 俺やったら後から出てきてデカイ顔しやがってと怒るやろな」

 再び小室サンと八木サンの歌と演奏が始まります。そしてフィナーレ。アンコールでは國明サンも登場して、会場も一緒に歌います。ファミリーコンサートや野外コンサートの雰囲気ですね。2時間ほどの間でバラエティに富んだ内容のコンサートでした。

 客席が明るくなって振り返ると、後ろまでお客さんがいっぱい入っていました。小さな町のコンサートですから、小室サンのファンだけではなく地縁血縁で義理でチケット買わされた人もいるとは思いますが、決して損はないコンサートだったと思いますよ。
 終演後、ぼくはまた楽屋を訪れました。國明サンがしきりに「そうか、ああやって堂々と歌い直すという手もあるんですね」と感心しています。先ほどのステージで小室サンは歌詞を間違えて後が続かなくなり、これまでにも「もとい!」といって歌いなおすのは何度か聴いていますが、今夜は何も弁解せず堂々と間違えたフレーズを歌い直しちゃったのですね。
 その國明サンは、自分のマネジャーが呼びに来たので「じゃぁまた」といって帰ってゆきました。本当に駆けつけてくれたんだなぁ。
 もうお客さんは皆帰ったのでしょう。直接聞こえてくるわけではないのですが、会場全体が静けさを取り戻しつつある雰囲気が伝わってきます。関係者もそれぞれの持ち場で片付けにかかったのか、いつの間にか小室サンとぼくだけになっていました。
「わたなべサン、このあとスタッフの皆さんが打ち上げ開いてくれるんだけど、一緒に来ない?」
「え? それじゃ厚かましいですよ」
「気にすることないよ」
 そりゃあんたは招(よ)ばれる身だから簡単に言うけど、招待するほうから見たら、突然知らない奴が加わったら面白くないだろうと思うよ、さっきの國明サンのセリフじゃないけど。でも、戻ってきた上田サンも「構わないからおいでよ」と誘ってくれるし、とうとう小室サンは公民館長に「友人なんだけど、一緒に連れて行っていいかな?」と承諾させてしまった。そのときに「彼、1月(の講演会)にも来てくれたんだ」と付け加えたら、公民館長はニッコリ笑って「ええ、見覚えありますよ」だって。直接何か話したわけじゃなかったけど、近くとはいえ県外から聴きに来た髭を生やした男ってことで覚えていてくれたのかな。

 そんなわけで『文化むら』の裏手にある居酒屋について行くことになってしまいました。もちろん内心嬉しくてたまらないのですが、考えたら厚かましいことこの上ないですね。もう一人の出演者であった八木サンは翌日朝から仕事があるからと店の入り口で挨拶だけして帰ってしまったというのに、さっきまで観客だったのがあがりこんじゃうんだからね。中にはぼくのことを小室サンのスタッフ(楽器持ちとか運転手なんか?)と勘違いして「あちこち旅が多くて大変なんでしょうね?」と訊ねてくる人もいて、近くの町に住んでいるファンなんですとも言えないよなぁ(^^ゞ
 でもまぁ、小室サンへのお土産に持ってきた深谷の地酒が「わたなべサンから差し入れがありましたぁ!」とこの打ち上げに提供される形になって、ぼくもそれほど肩身の狭い思いをしなくなり(上田サンが気を遣ってくれたのか、それとも単に自分が早く飲みたかったのか)、それでもクルマで帰らなくっちゃならないから酒だけは遠慮して、美味しい料理をいただいてきました。もともと帰り道で、国道沿いにある吉野家の牛丼でも食べて帰るつもりだったから、こちらも空腹だったのだ。
 打ち上げの席にいたのは町長に議員に教育委員会、公民館・・・主宰者のNPO法人『森の会・大泉支部』は、「森を守ろう」という趣旨に賛同して会費を払えば誰でも入れる団体なのだけど、この場に集まった顔ぶれを見ると「行政寄り」っぽい空気を感じてしまいますね。でも、これまでの経験上、地方の町ではどうしても「役場勤め」の人間が人口に占める割合というか、何かの活動団体の構成員には多くなってしまうような気もするのでたまたまそうなってしまったということでしょう。それにしても、1月の講演会といい、公民館長の企画力はたいしたものだ。目の前で酔って大声で話している石塚サン(今は太っているので雰囲気がかなり違っているけど、確かに1月に一緒にいた人だ)によると、この館長はフォーク世代で、いつぞやはカラオケハウスで一人で歌いまくったらしい。で、好きなフォーク歌手の系譜が、高石友也、笠木透・・・ちょっと待って、もしや、、。
寝っ転がったり、ソーセージを焼いて食べたり
野外コンサートは楽しかった
(1988.7.30:野反湖フィールドフォークコンサート)
「ねぇ館長さん。六合村のTサンって人、知ってます?」
「・・・(にっこり笑って)友人ですよ」
 ああ、やっぱりだ。Tサンというのは群馬県の六合(くに)村で『野反湖フィールドフォークコンサート』を永年開催してきた人物で、といってもぼくは第3回を最後に聴きに行かなくなっていたのだけど、館長さんは逆にその頃から聴きに行っているそうだ。たまたま今日の昼間、その第3回コンサートのときに貰った笠木透サンのサインを見つけて懐かしんでいたのだが・・・そうそう、コンサートの第一部が終わって休んでいるところにサインを貰いに行ったのだ。そのとき第二部のステージで歌っていたのが小室サンだったっけ(^^ゞ
 まったく妙なところで縁がつながってしまったものだ。しかしこうなると気持ちがますます楽になってくる。1月に公民館のロビーでチラシを眺めたりした時に「なかなか面白い催しをやっているな」と感じたことでもあったし、この館長に会いにこれからも大泉に来ることがありそうな気がしてきた。
 小諸YHでもそうだけど、小室サンは律儀に各テーブルにやってきてはひととおりみんなと言葉を交わすようにしている。対照的に上田サンはどかっと腰を据えて呑んでいる。ウーロン茶を飲んでいるぼくを見ながら「わたなべサン、悪いなぁ」今夜は代行車で太田市のホテルまで行って泊まりだそうだ。
 打ち上げの参加者の中に、先ほどのマンドリンクラブのメンバーもいるらしい。共演だ共演だという声が出て、小室サンも「上田ぁ、俺のギターと楽譜を持ってきてくれ」・・・あ、でも結局ギターは店にあったのを使ったのかな(呑んでもいないのに酔ってるぞ)、突然の合奏で盛り上がり、やがて、とりあえず中締めにして呑み直そうというのを潮時に帰ることにしました。これ以上付き合ったら、それこそ厚かましすぎるし、それに八木サンじゃないけど、ぼくだって明朝は仕事です。
 さすがに深夜なので、今度はきっかり30分で家まで帰ってきたのだけど、時計を見たらやっぱり日付は変わっていましたなぁ。
 コンサートそのものの記憶が薄れてしまうほど、その前後に夢のような楽しい出来事が続いた一日でありました。