《2003.12》
 省悟さんが... 












食玩に登場した『花嫁』(C/W『風』)
一つの時代を象徴する歌でした
 12月17日の朝でした。いつものように『ズームイン!!SUPER!』を見ながら朝食を食べ、新聞を見ていたのです。朝の忙しい時間だから、頭からパラパラめくりながら、目に留まった記事だけを読むという、昨日と変わらない、毎日繰り返される儀式でした。最後に社会面を読もう、いや、見ようとページをめくった時、いきなり目の中に「坂庭省悟」という文字が飛び込んできました。黒い傍線が引かれて。
「えっ!? 嘘!!?」
 同姓同名の別人だよな、そうあって欲しいという祈りにも似た願いは一瞬でかき消されました。さかにわしょうご=ミュージシャン・・・クライマックス・・・「花嫁」に曲をつけ・・・。他人であるはずはない、あの省悟さんの訃報でした。

 自分では熱心なファンとは思っていないのですが、省悟さんが好きでした。しばらく聴いていなかったんですけどね、去年の秋、小室さんのコンサートがきっかけで知り合った大泉の久保田さんが『野反湖フィールドフォクコンサート』に毎年通っていたということから、急に自分も第3回目まで通ったコンサートで聴いた省悟さんの声が懐かしくなり、いや、そうだ、その日の昼間ロフトの奥で省悟さんのサインが入ったソングブックを見つけたんだ。そのソングブックは第3回目のコンサートで、ゲストの小室さんが歌っているときにステージの後ろで休憩しているフォークス(当時省悟さんが参加していた笠木透サンをリーダーとするグループ)の皆さんにサインしてもらったヤツで、この本を見つけたその晩に小室さんのコンサートを聴いて、打ち上げのときに久保田さんと知り合って話しているうちに彼もまた野反湖に通っていたこと(父ちゃんが行かなくなってから通い出したそうで、時期がずれてるんだけどね)が判って、なんか同じことを繰り返して書いているようだけど、意外に人と人とのつながりなんて近いもんなんだよねと思ったところで省悟さんが自分の心の中で結構ウェイトを占めているミュージシャンだということを再認識したのでした。
 今年になって、初夏の頃だったかな、省悟さんのウェブサイトがあるということを知って、そこでCDも手に入ることを知り、歌手生活30周年記念ライブのCDを買って何度も聞き返しているんですけど、省悟さんの歌声を聴いて浮かんでくる情景ってのが野反湖の風景なんですね。省悟さんといえばナターシャーの一員、京都円山公園音楽堂というイメージが強くって、もちろん父ちゃんもレコードはいっぱい持っているけど、やっぱり、あの「澄み切ったかすれ声」は野反湖の大空と大地の中で響いてこそ心に染み入ってくるような気がします。

野反湖の雄大な自然美がフォークスには合っていた
ここで聴く「サシバよ渡れ」「この想い」が大好きだった
 父ちゃんはどうも70年代(それも前半)フォークに固執しているところがあるのですが、当時リアルタイムで夢中になっていたわけではなく、拓郎を聴いた後から風船や岡林を聴くようになるという、順序が逆になっているのですね。省悟さんの歌も、もちろんクライマックス時代の「花嫁」は聴いているけど、メインは80年代になってから聴き始めたようなもので、そういう意味では疾風怒濤の青春時代ではなく、ちょっと落ち着いて物事を考えられるようになってから聴いているので、ある意味ではやみくもに傾倒することなく聴いているし、別の意味ではより感情移入して聴いているのかもしれません。

 野反湖のコンサートへ行かなくなってから15年余り、しばらく遠ざかっていた省悟さんが戻ってきて(ではなく、自分が戻っていったのかな)、来年あたり群馬に来るような機会があればナマのステージを見に行きたいなと思っていた矢先の訃報で、それも叶わぬこととなってしまいました。
 でも、省悟さんが亡くなる前にファンに戻れて、ああ間に合って良かったという気分でもあります。漫然と死亡記事を読むのではなく、多くの熱烈なファンに混じって早すぎる死を悼み、ご冥福をお祈りしたいと思います。

朝日新聞東京本社版
(2003年12月17日朝刊13版)
 でも不思議ですね。あの日の朝刊には他にも大きなニュースがいっぱい載っていたのに、赤いサンタクロースの衣装が目立つカラーの写真もあったというのに、ベタ記事の坂庭省悟という活字が真っ先に目に飛び込んできたのですから。コンピューターの検索能力も凄いけれど、人間の「自分に関係のある情報を識別する力」もまた計り知れないほど凄いものだと思いませんか?
 それともう一つ、実はその数日前に『第4回フォーク・キャンプ・コンサート』という1969年にマヨネーズ(省悟さんがプロデビューしたときのグループ)も参加したライブのLPがCDで復刻されたことを知って注文していたのですが、それが手元に届いて帰宅途中のカーステレオで聴いていたのが、まさに省悟さんが息を引き取る直前の時刻だったのです。もちろん省悟さんがご病気だということも知りませんでした。
 CDを聴いた後、妙に省悟さんの歌が次から次へと脳裏に浮かび、翌日は風呂の中で珍しく声に出して「この想い」なんかを歌っていたものです。上に書いたように、来年、機会があればナマで聴きたいなぁなんて思いながら。
 一夜明けて例の新聞記事です。省悟さんのウェブサイトのBBSにはファンからの追悼のメッセージが続々と書き込まれていました。読んでいると、父ちゃんと同じような体験をした人がいるようです。普段あまり新聞に目を通さないのに今日に限って、とか、省悟さんの歌が耳に湧いてきた、とか・・・虫の知らせとかいいますけど、「想い」のエネルギーはまだ現在の科学では計量できませんが、きっとあると思います。