《2004.08》 ■ 野反湖の熱くて涼しい夏 

 ここまで書いた今年の夏のレポートでは、なんだか父ちゃんは野尻湖にこだわっているようですが、本当は野尻湖(のじりこ)ではなく野反湖(のぞりこ)にこだわっていたのでした。

 野反湖フィールドフォークコンサート、1986年に高崎の登山用品店で見つけたチラシに誘われて第1回目のコンサートに出かけたのをきっかけに、2回3回と続けて行っていたのですが、4回目からは行かなくなっていました。開催時期が変わって都合が合わなくなったり、その後結婚して生活パターンも変わったり出演者の顔ぶれも変わったり…いろんな要因があったのですが、それでも主催者からは毎年律儀に開催の案内が実家宛に届いていたのです。そして、2002年に届いたハガキには「力を貸してほしい、連絡ください」といった内容の文章が手書きで添えられ、この時点で17回続いたコンサートが疲弊して継続の危機を迎えていることをうかがわせました。
 まぁそれでも父ちゃんは野反湖へ行くことがなかったのですが、翌年になってネット上で坂庭省悟さんのウェブサイトに出会い、無性に彼の音楽を聴きたくなってきました。そして父ちゃんにとって坂庭さんは、ナターシャーの一員でとしてはなく、その後のフォークスのメンバーとして野反湖で歌っているイメージが強烈だったのです。「今年は思い切って野反湖に行ってみるか…」そう思ったのですが、コンサートはついに開かれず、そして年末には坂庭さんが帰らぬ人となってしまいました。
 ところが、2004年、野反湖フィールドフォークコンサートが新しく始まることになりました。ファイナルを迎えた経緯は知りません。でも、「みんなで集まって何かやろうよ」という熱意が、またコンサートを始める原動力になったのでしょう。主催者の一人である冨沢さんにこちらからコンタクトを取るのは16年ぶりになるのですが、BBSに「今年こそ行くよ」と書きこんだところ、それを見たのでしょう、ARMYが「俺も行くよ」とメールをくれました。おお、たまにメールのやり取りをしたり、4年程前に一度電話で話したことはあるけれど、彼とも10年くらい会っていないぞ。
 妙に疎遠になってしまっていた古い友人たちと会うのだけど、単に懐かしむだけではなく、また何か始めるきっかけにしたいよね。8月21日が楽しみでした。

この景色に出会うと登り坂の辛さを忘れる
…ま、クルマで来たんだけどね
 少し涼しい曇り空の下、野反湖へ向かう坂道を登ってゆきます。それまで自分以外のクルマとはほとんど出会わなかったのが、富士見峠の手前で突然の渋滞。どうやら峠にある展望舎に出入りするクルマがあってそのために流れが乱れているようです。そうだ、自分もここで停まってみよう。
 ここは、それまで九十九折れの山道を登ってきたのが、急に目の前に湖の景色が広がって見えるという思わず息を呑む絶景のポイントです。初めてここに立った時は7月の終わりで、ちょうどノゾリキスゲ(ニッコウキスゲ)が一面に黄色い花を咲かせていて感動したものです。今日は目立つ花もなく曇り空が湖の輝きを抑えていますが、それはそれで穏やかさを感じさせ、天上の楽園、別天地という言葉が頭の中に湧いてきます。この景色を見ただけでも「来て良かったなぁ!」と思いました。
 美しい湖畔の景色を横に見ながら先に進み、ダムサイトの上を通ってキャンプ場に着きます。コンサートは午後1時からなので、それまでにキャンプ場の受付を済ませてテントを張っておかなくては。というつもりで早目に家を出たのですが、途中スイスイ走れたのか、かなり早く着いてしまいました。さっき連絡の取れたARMYも、あと1時間くらいしないと着かないようだし。
 ところでリハーサルくらいはやっているはずとキャンプ場の中を歩いてみたら、「ようこそ野反湖へ」という看板が掛けられたステージのある広場があるけど、ステージの上には看板以外に何もなく広場は無人。ええっ、ここが会場なの〜!? PAも無ければ背景に野反湖が見えない…あまりの寂しさに気持ちが萎えてしまったのですが、いやまてよ、かつてコンサートをやっていた場所は…バンガローの立ち並ぶ丘に登ってみると、ありましたありました、野反湖をバックに特設ステージがしつらえられ、ちゃんとマイクやスピーカーが用意された中でリハーサルの真っ最中でした。いやぁ、ロッジからさらにこんな坂道を歩いて登ったとは、それにこの広場はもっと広かったような…人の記憶は薄れるものですね(^^ゞ。
準備の仕上げは
照る照る坊主を吊るすこと
 今ステージで歌っている人がこむろゆいさんかな? CDは持っているのに顔は知らなかったりするのですが、他に女性の出演者がいないようなのできっとそうでしょう。で、広場の脇のテントで談笑しているのがやっぱり出演者たちで、後ろのテントは音響関係者…一人あちこち歩き回って皆と話している白いTシャツ姿の男性がいて、ひょっとしたら…たぶんそうだよ、面影もあるし…思い切って声をかけてみたらやっぱり冨沢さんでした。「よく来てくれましたね!」「来て良かったです!」と胸よりも腹をぶつけながら抱き合ってしまったりもしたのですが、往年の「六合村の若者」もすっかり(外観は)「中年のオジサン」になっていました。もちろん冨沢さんも父ちゃんを見てそう思ったに違いありません。
 しばらくリハーサルの様子を眺めているとポケットの携帯電話が鳴りました。ARMYからのようですが、うまく繋がりません。六合村では応徳温泉から先はサービス圏外になっているのですが、野反湖へ登ってくる山道の途中や湖畔では、見通しによっては使えるのです。で、何とか感度の良い場所に移動したのですが、考えたらそこから固定電話にかけるならまだしも、ARMYも山道を移動中とあっては満足な通話ができるはずがないですよね。それでもようやく繋がって(ということは上まで登ってきたか)、まもなく到着ということが判りました。でもね、確かにそれらしいクルマがダムに向かってやってくるのは見えたけど、一向にここまでやって来ない…一本道なのに。
「いやぁ、久しぶりなんですっかり忘れてダムサイトの向こうの駐車場にクルマを停めちゃった。周りを見てもキャンプ場は無いし、変だなぁって」
 人の記憶は薄れるものです(^^ゞ

電工袋にはテント、タープ、寝袋が入る
リヤカーに載せて、いざキャンプサイトへ
 さて、キャンプ場の受付です。1時からのコンサートの前にチェックインできるかと心配していたら(以前来ていた頃はコンサートが3時からだったので、昼過ぎに着けばいいからと心配していなかった)ここは受付開始が8時30分からなんだって。登山や釣りのベースにする人が朝から動きやすいようにという配慮なのかな。
 それは有難いのだけど、テントキャンパー用の第2キャンプ場までは徒歩10分というのがこのキャンプ場の特徴なのです。テント泊で登山している人なら当たり前でしょうが、オートキャンプに慣れきった身体にこれは辛い。かつて若かりし頃は3往復してテーブルセットや缶ビール1ケース、ギターまでも運んだものですが、今回ARMYと申し合わせたことは「一度で済まそう」
 ずいぶん前にパソコン通信のキャンプ仲間の情報などから「リヤカーが貸してもらえる」という話は聞いていたのです。ということは、あの階段状の坂道や人間一人が渡る幅しかない橋なんかはどうなったのだろうと思っていたのですが、行ってみてそれらを迂回する道が整備されたことが判明しました。歩く道のりは増えたけど、確かに楽になりました。でもそれだって少ない荷物で済めばそれに越したことはないです。今回はバックパッカーに近いシンプル装備のキャンプとなりました。
 テントを張っていて「あっ、クルマにペグを忘れてきた」と気づいたのですが、我が登山用のテントはペグの代わりに落ちている石を使ってもフライをピンと張ることができるのでした。唯一ペグが一本必要な前室の張り出し部分も、今回は前室を使わないことで誤魔化します。代わりにタープ(これのペグは同じ袋に入れていた)を張れば…お、なかなか格好いいではないですか。
ポールを離して張り出し部を広くする
まだフライは張っていない
 リヤカーが通れる道が整備されたのと時を同じくでしょうか、炊事棟やトイレも綺麗な建物に替わっていましたね。特にトイレの立派さには圧倒されてしまいます。しっかり水洗だし。食料もすべて持ち込んでキャンプ中は買い物や温泉などには出かけない、せいぜい徒歩でハイキングするだけだと決めてしまえば、ここは素晴らしく快適なキャンプ場でしょうね。でも、家族揃って2泊するとなると、リヤカー2往復で済むかな?

 設営を済ませたらコンサート会場に戻ります。駐車場でリヤカーを返却し、クルマからクーラーボックスと昼食を出して第1キャンプ場の坂道を登り…ふう、息が切れてしまった。はぁはぁ。
 草津のコンビニで買ってきたおにぎりを食べ、人心地ついたところでいよいよ開演です。オープニングは出演者が皆ステージに立って、インストロメンタルのメドレー。耳に馴染みの曲ばかりだと思ったら、省悟さんのレパートリーですね。新しくスタートした野反湖フィールドフォークですが、どうしても省悟さんの追悼コンサートみたいになってしまうのは、これまでの省悟さんとのかかわりからすれば仕方ないでしょうね。正直言って、こちらも90パーセントはそのつもりできているのですから。
 しかし、出演者それぞれのステージではしっかり自分たちの演奏や歌を聞かせてくれました。これまで名前だけを聞いていたりCDでしか知らなかった人たちをナマで聞くことができて…やっぱりプロは違うね。
 父ちゃんにとっては初めてナマで聞く人たちばかりでしたが、SAMの赤木一孝さん、松崎博彦さんは以前もここで聞いたことがあります…ということは、この二人も省悟さんと同じくらいこのコンサートに出演していたんですね。赤木さんは当時フォークスのメンバーで第1回から出演していたし、松崎さんは(父ちゃんが聞いた中では)第2回のゲストで出ていたと思います。で、松崎さんの名前を見聞きすると、なぜか「そば焼酎・雲海」という言葉が頭に浮かんでくるのですが、彼がコマーシャルソングでも歌っていたのでしょうか。ちょっと記憶がハッキリしません。今回、その松崎さんがソロで歌った「感謝」という歌は胸にジーンときました。父ちゃんも聞き覚えがある歌だったので、てっきりSAM(フォークス解散後、坂庭・赤木・松崎の3名で結成)のオリジナルかと思ったのですが、家に帰ってCDを探したらSAMではなくフォーククルセダース(一昨年、期間限定で再結成した)の『戦争と平和』というアルバムに収められていました(加藤和彦さんが作曲して歌っています)。お葬式のときにぜひとも流してほしい曲であります。
 どうしても省悟さんのことを考えながらになってしまいがちなコンサートでしたが、なんと、その省悟さんが声で登場しました。彼が残したテープを基に9月末に発売予定のCDがあるのですが、その『帰ってくるよ』という歌を会場に流し、平井宏さんと五十川清さんがナマで伴奏をつけるという思いがけない企画。まさに天国にいる省悟さんが「帰ってくるよ」と語りかけているようで、さっきの『感謝』といい、きたやまおさむ氏はなんと素敵な歌詞を作るのかと改めて感動しました(自切俳人的なナンセンスな歌詞とのギャップも感動的だけどね)。
トウモロコシの次はキャベツとベーコンの煮込み
アルミホイルとフライパンで器用に作っていた
 会場の広場には主催者が用意したブルーシートが敷かれており、最初はそこに座っていたんですが、そのうち立って後ろをウロウロ。広場の後ろの、一段高くなったところから野反湖と一緒にステージを見るのがこのコンサートの素晴らしさを一番感じますね。雄大で美しい風景と一緒に音楽が広がって行くのがなんともいえない気分です。「寝っ転がろうが何しようが、思い思いの格好で聞けばいい」とかつて笠木透さんが言った野反湖フィールドフォークの楽しみ方の伝統は残っていて、飲み物食べ物持参、後ろの方にいる人ほど過激になって椅子とテーブルをセットしてお茶する人もいるし、七厘でトウモロコシを焼いているグループもいます(我々も昔はソーセージを焼いてビール飲んでたけど)。そういや、別の野外コンサートだったけど、最前列でご飯炊いて食ってる奴を見たことがあったなぁ。
 ただ、今回はビールをぐびぐび飲むには少々涼しかったみたい。天気も曇ったままパッとしなかったけど、コンサートが進むにつれてだんだん涼しくなってきて、一人また一人と上着を羽織りだし、最後まで半袖だったのは父ちゃんともう一人くらい。父ちゃんも駐車場まで行けばクルマの中にパーカーが入っていたのだけど、坂道をまた登ってくるのは…いや、たとえ10分ほどでも、コンサート会場を離れたくなかったということにしておきましょう。

 この雄大な景色の中で、素晴らしい音楽を聴き、またそのコンサートを作り上げ、聴くために集まってくる…素敵で感動的で良かった良かった大成功だという感想は皆持っていると思います。でも、辛口なことを書けば、興行的には観客数が少なすぎるよね。音響機材や出演者の交通費など、実費さえ賄えないんじゃないか?
 正直、「意気に感じる」部分で成り立っているのかもしれません。だからこそ続けてゆくうちに疲弊して17回で一度は終わってしまったのでしょう。でもね、やっぱりみんな「祭り」を作りたかったんだ。だからこうしてまた始められたんだと思う。新しく始まった野反湖フィールドフォークコンサートには「第○回」ってのがついてないじゃないですか。第18回でもないし、新・第1回でもない。毎年続けることの呪縛から解き放たれて、やりたくなったらやればいい。「がんばらないけど、あきらめない」と丹下さんが歌った歌が、「マイペースで続ければいいんだ」と野反湖フィールドフォークに対する応援歌に聞こえて仕方なかったです。
 と、16年ぶりに出かけていった無責任な客の一人の勝手な感想ですが、あの景色に、コンサートに、冨沢さんに、再会できて嬉しかったです。もっと早く思い立っていればナマの省悟さんとも再会できたのかもしれませんが、それは仕方のないこと。逆に言えば、省悟さんの訃報が今回の再会を後押ししてくれたのかもしれませんし。また、新しく出会ったものもあるし…。

US-1は今や廃番
 さて、コンサートの余韻を味わいつつ、再びキャンプです。霧が出てきて涼しい(というより寒い)上にジトジトして、バックパッカー風のシンプルキャンプとしては、侘しさという点においてムード満点ですな。
 とにかく荷物を減らそうってんで、椅子もシートも持ってきていない。テントのドアパネルを地面に広げて、それがシート代わり。ガスバーナーは『US-D』でさえ大きくてかさばるからと『US-1』を持ってきて、ケトルでスパゲッティを茹でてそれがそのまま食器。もちろんインスタントのソースやスープ類は皆あらかじめ紙箱から出して必要な分だけの小袋を持ってくるという念の入れようです。あまりの手抜き振りをARMYに笑われるかと思ったら、彼はもっと簡素化しており、水を入れると発熱するパック(カップ酒や温まる駅弁などでお馴染みの消石灰)を利用してカレーやご飯を温めておりました。
 たまにはこういうシンプルな旅人風のキャンプもいいものですね。あとで改めて書こうとは思っているのだけど、8月はキャンプ続きで、しかもそれぞれ違うタイプのキャンプというのが面白いです。とは言うものの、昨年キャンプ道具を少し整理してソロキャンプ用のグッズ類をかなり手放してしまっていたので、正直「しまった」と思いましたねぇ。小型ランタンなんか、4台持っていても吊るせるタイプのが1台も無い。これはオートキャンプでも調理コーナー用に欲しいので、ユニフレームさん、ぜひ作ってくれぇ!

座ったままで手が届く範囲に道具を並べた
 そうそう、すっかり書きそびれていたけど、ARMYは男の子持参、じゃない同伴だったのです。これが人見知りしない子でねぇ、初対面だというのに「おじちゃんおじちゃん」となついてくるのでありました。なつくのはいいけど、おじちゃん今、火を使っているから近くに来ないでね。え? 味見したい? なに、もっと? …O.ヘンリーの小説に、金持ちの子供を誘拐したもののあまりにやんちゃで手に負えず、お金を払うから引き取ってくれと言った男たちの話があったっけなぁ。
 キャンプに連れてくるのは初めてなんだそうだけど、これだけ物怖じせず元気に振舞っていれば大丈夫でしょう。コンサートの最中も結構はしゃいで、ARMYもなだめるというか静かにさせるというか、コンサートそっちのけで子守モードになっていた場面もありましたが、結構嬉しそうでした。彼もオヤジになったんだなぁ。そしてそれを見ている自分もきっと同じだ。
 ウチも本当は颯を連れてくるつもりで、奴もずっと楽しみにしていたのだけど、別のイベントと日程が重なってしまい、残念ながら今回は我慢してくれということになったのです。埋め合わせにいずれ二人でどこかドライブに行ってP泊しようということになったのだけど、行ける日が見つからないまま夜が寒い季節になってしまいそうです。

 いや、しまいそうではなく、とっくになってしまっている。冗談ではありますが疲労凍死という言葉が頭に浮かんできたほどです。それなのにテントマットを持ってきていないし、テントの下にもビニールシートを敷いていないし(霧が雨に変わったら水がしみてくるぞ)、大丈夫なのかねぇ。
 食事も簡素だし、それにタープを張っていても風に乗って霧が顔にかかるのでので酒盛りをする気分でもない。だからまだそんなに遅い時刻ではないだろうと思っていたのですが、しゃべっているうちに霧の向こうでは星がずいぶん動いていたらしい。近くのテントから「少し静かにしてもらえますかぁ」と声が飛んできた。気がついたら周りは皆消灯していました。夏休みのピークを過ぎ、テントの数も少ないし、ほとんどの人は登山や魚釣りのベースとして利用しているのでしょうね。ちょっと気まずい空気が漂ったところで我々も寝ることにしました。翌朝「夜中に寒さで目が覚めた」と言う人の声が聞こえましたが、確かに地面から冷えが伝わってきたものの、自分としてはそれほどでもなかったな。いつかのゴールデンウィークの「上から冷気が降り注ぐ」経験から較べると、朝が待ち遠しいとは思わなかったから。

 で、その朝です。曇っていたおかげで明け方の放射冷却による冷え込みはありませんでしたが、前夜からずっと肌寒いのは相変わらずです。朝食は牛乳とドライフーズのつもりだったのですが、それじゃぁ体が温まらないので、昨夜と同じメニューになってしまうけれどスパゲッティを茹でることにします。二食分持ってきておいて良かったぁ。しかし肌寒いと言いながらもビールは飲むのですから阿呆ですねぇ。まずコーヒーを飲んで身体を温めてからビールを飲むというのが最近のキャンプでの朝ビーのパターン。そこまでして飲むかと呆れてしまいますが、今回は特に荷物を軽くして帰りたいという大義名分があるのです(^^ゞ
炊事棟よりも大きなトイレ(左)
我々はこのカメラの位置より少し下にテントを張った
リヤカーを使うと高いところに設営したくなくなるのが欠点
 散歩かたがたロッジまで歩き、リヤカーを借りてきました。ロッジの床下に大小サイズが違うリヤカーが用意してあって、「2時間以内に返却のこと」と書いてあったし、こちらもコンサート会場に行くついでだったので一旦返却していたのですが、実際のところ周りのキャンパーは占有してテントの脇にそのまま一晩停めていました。まぁオンシーズンを過ぎてキャンパーの数も減り、リヤカーの台数も余っているので管理人も大目に見ているのでしょうね。混んでいるときにはリヤカーが足りなくなって、放送で返却を呼びかけることもあるみたいです。
 曇っているけど霧は収まっていて、タオルで水滴を拭き取ってしばらく放置すればタープも生乾き程度にはなりました。この天気では草むらに寝っ転がってノンビリしてゆくという気分にはならない、それよりも温泉で温まりたい。そそくさと撤収です。ARMYが「下の温泉は9時半に開くって聞いた」と言うので、はて観光案内なんかでは10時って書いてあったけどなぁと思ったけど、早いなら儲けだと山を降りることにしました。楽園のような美しい景色も、この曇り空と肌寒さでは温泉の魅力には負けてしまいます。
 また来年もここに来たいものだな…こうやって毎年恒例の行事が増えてきて我が家は同じパターンで出歩くようになり、そのうちにっちもさっちも行かなくなってある年を境に行かなくなった、というもののひとつが野反湖フィールドフォークコンサートだったのですね。ミヤシタヒルズのアンデスコンサートも行かなくなったなぁ。
 冨沢さんたちがこのコンサートを新しく始めたのを契機に、また自分もここに来れました。今回はソロだったけど、今度は家族を連れて…おっと、そうやって気負うから重荷になっちゃうんだね。都合がついたらまた来ればいい。軽い気持ちで、しかししぶとく思い続けていればいいんだ。それから、コンサートとは関係なく、もう少し秋の気配が深まった頃にここを訪ねるのも素敵でしょうね。でも、きっとキャンプではなく日帰りハイクになるだろうなぁ。だって寒そうだもん。