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2005年9月10日 の記事

Sep102005

発車時刻標

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ツッチーさんの撮った写真を見ていたら
自分でもいつかこんな写真を撮ったことがあったのを思い出した

1991年4月6日、JR成田駅
アルバムのキャプションには
「JR成田駅では時刻表と呼ばずに時刻標というらしい」

旅の道標でもあるのだから
案外この方が似合っているかもしれない

Sep102005

暗愚楽巴里観光

神田に「パリー通り」を探しに行った月の初め
実はワタクシ、新婚旅行で本物のパリにいたのでした

パリといえば下水道、しかも一般人でも見学できるのです
これはぜひ見て帰らねばパリに来た意味が無い!

ところが、週2回の一般開放日と、こちらの滞在期間が合わないのですね
これは口惜しい…で、もうひとつの地下名所に行ったのでした


カタコンブ…共同地下墓地と訳され
白骨が散らばっているところだという予備知識はありました

子供の頃読んだ『ベン・ハー』でのイメージが強いけど
あれはローマのカタコンブだった

地下鉄の駅を降りて、さてそれらしいところはとキョロキョロしていると
通りの向こうの一軒の建物の前に10数人の高校生らしいグループがガヤガヤしています
行ってみると果たして『CATACONBES』と書いてありました
ツレアイがこの連中を見つけなければ判らなかったような地味な建物です

2時に門が開き、建物の中で入場料を払って狭い螺旋階段を下って行きます
深いですねぇ。ぐるぐるといつまでも回りながら降りてゆくうちに
自分が今どれくらいの深さのところでどちらを向いているのかが判らなくなり
そして地下世界に着きました
なにせ深さの感覚が無くなっているから
もし天井が落ちて崩れてきたらなんて一向に考えなかったけど
あとから思い出してみれば梁も支えもない洞窟だったわけで、ちと怖い

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いちおう数メートルごとに白熱灯がぶら下がっていたのです
例の高校生のグループや我々のすぐ前にいた小学生らしい子供とその父親の組は
ちゃんと懐中電灯を用意していて(あぁ、ホテルに置いてきたちゃったなぁ)
ときどき現れる分岐の奥を照らして覗き込んでいました
(どこかの鍾乳洞みたいに立ち入り禁止の柵や網で塞いであったんです)
しかし、彼らが照らした先を一緒になって覗き込んでも、奥には何もなさそうです
ホネがあるってのは記憶違いだったのかなぁと思いながらさらに歩いて行くと
石を彫って作ったような宮殿のミニチュアが現れました
少し行くとまたそこにも…これじゃなんだか胎内巡りだ
高崎の洞窟観音のほうがまだ面白いと心の中でつぶやいたら…出た! ホネだ!

白骨が散らばっているというのは確かにワタクシの記憶違いでした
歩く道の両側に、床から天井までぎっしりと骨が積まれていたのですから
おそらく大腿骨でしょう、山村の民家が家の外に薪を積み上げるような並べ方でぎっしり
それにモザイク模様のように頭蓋骨をはめ込んであります
数人分の骨が地面に散らばっているのでは生々しく見えてしまいますが
これだけ大量に、それも綺麗に積み上げられているとむしろ壮観に思えてきます
歩いても歩いても続く人骨の壁
…いったい何人分何年分集めればこれだけの数になるのだろう
(帰国してガイドブックを本屋で立ち読みしたら、およそ600万体だと)
誰がこれだけ綺麗に積み上げたのか
それよりもまずここは天然の洞窟なのか手で掘ったのか
…予備知識がないのでただただ呆れるばかりで言葉が出ませんでした

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すっかり忘れていましたが
最初にあれだけ階段を下ったのだから相当登らなくては地上に戻れません
足が痙攣を起こす直前にようやっと地上にたどり着いて時計を見ると
だいたい4~50分くらい地下にいたようです
それはいいけど周囲の景色が変だぞ。出てきた場所が入っていった場所とは違ってる
それも、最初に入っていった建物の裏手というレベルではなさそうな雰囲気なのです
まぁ表通りに出れば何とかなるさとクルマが元気に走っている通りに出てみましたが
それでもまだ景色に見覚えがない
でもまぁ右か左に5分も行けば地下鉄の駅が見つかるだろう
さてどっちに行こうかと思案していたら後ろから声をかけられました
振り返ると品のいい小柄な老人が立っていて
「さてはお前たち、カタコンブから出てきて道に迷ったのだろう」と言う

なに、ワタクシにフランス語が解ったのではなく、この老人が英語で話しかけてくれ
さらにその中の「カタコンブ」「ロストウェイ」という言葉だけが解ったのですが

フランス人は自国語に誇りを持っていて、知っていても英語を使わない
という先入観があったのだけど、こんな親切な人がいるんだなぁ
…もっとも、この界隈でウロウロしている奴がいたら
カタコンブから出てきて迷子になったバカな旅行者だと
町中で承知しているのかもしれない

ともかく実はそうなんですと言って地下鉄の駅の場所を教えてもらい
右に100メートルほど行ってみたら、最初に降りた駅の隣の駅でした
つまりカタコンブは駅と駅の間、ひとつの町の下にある
…というよりはこの町全体があの骨の上に乗っているわけなんですね
ツレアイは気味悪がったが要するにフランス人はそういうことを気にしない国民である
と、こう思ったわけです。やっぱり肉食人種はタフなんだなぁ、と

Sep102005

今日は『下水道の日』

…なんだそうです

JR神田駅の脇に『パリー通り』というのがあります
喫茶店やパチンコ屋が並ぶ、いかにも国電駅裏の路地といった風情で
この通りのどこが『パリー』なのかと不思議に思いがちなのですが
これには深い訳があるのです
どれくらい深いかというと、地下数メートル…
実はここから靖国神社に向かって明治17年に作られた下水道が
今も現役で延びているのだそうです
で、作られた当時の人たちは
あのパリーの下水道と同じような地下設備を持っていることを天下に誇示したくって
『パリー通り』と名付けたのだそうです

パリの下水道で思い出すのは『レ・ミゼラブル』のクライマックスシーンですね
作者のユゴーに言わせると下水道網はほとんど迷路であって全貌はよく判らない
「東洋のアルファベットがごちゃごちゃ書き綴られた状態を
暗黒の背景に平らにして見た」ようなもので
ペストの汚染源、死体の捨て場、罪人の隠れ家、新教徒のたまり場、汚物の山
…17世紀頃にはほとんど放棄されて廃墟だったそうです

1805年、ナポレオン皇帝がパリを訪れたときに内務大臣が
「帝国でもっとも勇敢な男がおりました!」
「誰だ? わしか?」
「いえ、ブリュヌゾーといって、パリの下水道を全踏査しようと言ってます」
という会話があったとか無かったとか
このブリュヌゾーが20人の人夫を連れて下水道の探検を開始したわけですが
内部は毒水と病原の地獄
泥さらいをしながら進んだ最初の分岐点で8人の人夫が脱落
その後1人が行方不明、気絶する者あとを断たず…
それでも7年かけて測量探検を完了したそうです


という話を荒俣宏さんの本で読んで
実際に神田駅南口通り・神田駅前商店街を訪ねたのは
1991年の4月でした
交番のお巡りさんに「パリー通りはここだよ」と教えてもらい
「パリー通り」の名を残す看板などは見つからなかったけど
通りの入り口近くに「パリービル」という名の建物を見つけて帰ってきたのでした

ところが
数年前にこのサイトを見つけて
どうやら本当の意味での「パリー通り」は
別の場所なのだと知りました

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