今日は『下水道の日』
…なんだそうです
JR神田駅の脇に『パリー通り』というのがあります
喫茶店やパチンコ屋が並ぶ、いかにも国電駅裏の路地といった風情で
この通りのどこが『パリー』なのかと不思議に思いがちなのですが
これには深い訳があるのです
どれくらい深いかというと、地下数メートル…
実はここから靖国神社に向かって明治17年に作られた下水道が
今も現役で延びているのだそうです
で、作られた当時の人たちは
あのパリーの下水道と同じような地下設備を持っていることを天下に誇示したくって
『パリー通り』と名付けたのだそうです
パリの下水道で思い出すのは『レ・ミゼラブル』のクライマックスシーンですね
作者のユゴーに言わせると下水道網はほとんど迷路であって全貌はよく判らない
「東洋のアルファベットがごちゃごちゃ書き綴られた状態を
暗黒の背景に平らにして見た」ようなもので
ペストの汚染源、死体の捨て場、罪人の隠れ家、新教徒のたまり場、汚物の山
…17世紀頃にはほとんど放棄されて廃墟だったそうです
1805年、ナポレオン皇帝がパリを訪れたときに内務大臣が
「帝国でもっとも勇敢な男がおりました!」
「誰だ? わしか?」
「いえ、ブリュヌゾーといって、パリの下水道を全踏査しようと言ってます」
という会話があったとか無かったとか
このブリュヌゾーが20人の人夫を連れて下水道の探検を開始したわけですが
内部は毒水と病原の地獄
泥さらいをしながら進んだ最初の分岐点で8人の人夫が脱落
その後1人が行方不明、気絶する者あとを断たず…
それでも7年かけて測量探検を完了したそうです
という話を荒俣宏さんの本で読んで
実際に神田駅南口通り・神田駅前商店街を訪ねたのは
1991年の4月でした
交番のお巡りさんに「パリー通りはここだよ」と教えてもらい
「パリー通り」の名を残す看板などは見つからなかったけど
通りの入り口近くに「パリービル」という名の建物を見つけて帰ってきたのでした
ところが
数年前にこのサイトを見つけて
どうやら本当の意味での「パリー通り」は
別の場所なのだと知りました
コメント
匿名
駅脇のパリー通りの名前の由来でございます。上のコメントに御座いましたパリービルは、昭和57年頃東北新幹線が上野駅から東京駅に延伸された際に完成しました。これは新幹線が延伸されるため土地が収用され、戦後から営んでおりました「パリー」という名前の昭和のよき時代のいわゆる「キャバレー」を続けていくことができなくなったからでございます。(取り壊されるしばらく前には「パリジェンヌ」という名前で営業しておりました。)昭和39年に亡くなりました初代経営者は神田地域に貢献し功績を残し、それを称えられ店の名前から「パリー通り」と名付けられました。平成に入り時間がたちましてからいつしか「ふれあい通り」と改名されましたが・・・佳き昭和の時代、懐かしい話です・・・
まつお
▽匿名さん
ご教示ありがとうございます!
そういえば、リンクは切れてしまったようですが
下水道由来の「パリー通り」は別に存在したということが判ったものの
こちらの「パリー通り」の由来が不明になったままでした
地形や由緒にちなんでつけられた地名がだんだん消えてゆきますね
もう交番のお巡りさんに訊ねても「パリー通り」は判らないのでしょうね