二十六時間ロマンチック街道漂流コンサート |
---|
9月と言えば恒例の『小室等ライブ』ですね。颯が幼稚園に入った年から始まっているので、彼が4年生になっている今年は7回目と、数えるのが簡単です。また、今の家に住み始めた年でもあるので、もう6年も住んだのだなぁと別の感慨もあります。小室さんもとうとう還暦です。
『みまき』は、今年のスタンプラリーには
不参加(緑色のシンボル)
今年も父ちゃん一人で行くつもりで、どうせ3時頃までに着けばいいから家で昼飯食べてから出かけようか、そうすれば余分な出費も無いからなと考えていたのですが、家で半日いても仕方ないし、せっかくの機会だから「道の駅」スタンプラリーでもやりますか・・・原則的に我が家は「スタンプラリーのためのお出かけはしない(そうでなくても出歩いて遊んでばかりいるから)」のですが、いざ出かけるときは結構スタンプラリーに絡めてしまうのでした。
まずコースとして考えたのが、 『上州おにし』 ⇒ 『万葉の里』 ⇒ 『上野』と神流川に沿って走り、ぶどう峠を越えてR141に出るという『長者の森』のキャンプでお馴染みのコースです。そのあと八千穂から麦草峠を越えて蓼科へと秋の高原ドライブを楽しみ、 『マルメロの駅ながと』 ⇒ 『ほっとパ〜ク・浅科』をつないで小諸ユースに行こうではないかと考えたわけです。
そのうち父ちゃんだけではなく、家族揃って泊まりに行くことになって、そうなったらダブルの峠越えは途中で颯が気分悪くなるかな。それに蓼科高原のドライブというのは遠回りが過ぎるような気もするので、だったらR141を佐久まで行って『浅科』と『ながと』を逆に回って丸子から東部町に抜ければいい(⇒)・・・この界隈は20年来遊びに行って走っているので、バリエーションはいろいろ考えられます(正月も走ったな)。
翌日は軽井沢で買い物と食事をしてR18・碓氷峠を下って、 『みょうぎ』 ⇒ 『ふじおか』・・・ここは上信越道のPAにクルマを停めたまま歩いて行けるので、松井田妙義ICから本庄児玉ICまで高速道路を使っての帰り道の途中で寄ってこれるのです。
というようなルートを考えたのですが、どうも毎度お馴染みのルートで、特に初日は山道を乗りっぱなしになりそうな感じ。父ちゃん一人なら気にしないけど、みんなで行く以上は家族サービスというものも考えなければなりません。
そこで考えたルートが、 『ぐりーんふらわー牧場・大胡』 ⇒ 『こもち』 ⇒ 『おのこ』 ⇒ 『六合』 ⇒ 『草津運動茶屋公園』を回って長野原から軽井沢・小諸に至るというものです。これまで、何度か長野原経由で小諸に行ったことはありますが、たいてい榛名山の西側を抜けていたわけで、今回のように東側どころか赤城山の麓を経由して行くなんてのは相当遠回りなルート・・・あ、一度、沼田経由で行ったこともあったんだ(^^ゞ
まぁ結局走行距離は蓼科経由とあまり変わらないけど、それでもいつもと違った道を走り、小諸を目的地とするにはかなりおかしなルートを考えたのでした。もちろん、このルートでも蓼科を経由するのと同じ数の5箇所の道の駅を回れるように考えているのですね。道の駅目的の旅はしないと言いながら、このあたり非常に緻密な計算があるのです(^^ゞ
かくして9月27日を楽しみに待つことになったのでした。
ところがここで伏兵が現れ、徹底抗戦を挑んできたのでした。
伏兵というのは「小学校の運動会」で、思えば去年もバッティングして、父ちゃんは朝食も取らずに帰ってきたのでした。幸い今年は9月20日(土)に予定されていて一週間離れていると安心していたのですが、これが雨で延期。予備日が翌日の21日(日)だったのですが、これも雨で子供たちは月曜日の時間割で登校。
22日は予定通りの振替休日で23日が秋分の日と、何故かしっかり連休を確保している間に天気も回復し、グラウンドの状態も良くなってきて、いよいよリベンジの24日(水)・・・どうも天気が思わしくない朝を迎え、電話連絡網では運動会と授業の両方の準備をして来るようにと指示がきた、のですが受話器を置いたら外は雨。再び連絡網が回ってきて、やっぱりこの日も中止だって。
結果的にはこの雨は朝のうちだけで、市内や近隣の多くの学校ではこの日に運動会を決行したそうな。まぁ、夕方からまた降り出して体育館に移動した学校もあったようだけど、ほとんどの学校では運動会を終えてしまったらしいのです。
最近の運動会って
騎馬戦がないからつまらない
順位をつけない学校もあるとか
この日の夕方子供たちが持ち帰ったプリントには「運動会は26日(金)に実施。予備日は27日(土)、それでも降ったら今年はもう運動会はやらない」という、このままずれ込むと小諸行きとバッティングする危機的状況になってきたのです。それもそうだけど、金曜日なんて平日にやられても見に行けない。悪いけどそうなったら父ちゃんたちは行けないからねと子供たちに言い渡したのでした。
もちろん子供思いの家庭はありまして、そういうお宅では25日の昼間それぞれの職場に休暇願いを出したそうなのですが、夕方帰宅すると子供が新しいプリントをもらってきていて「運動会の実施は27日(土)に変更します」・・・何のために上司に頭下げて明日の休みを取ったのかと怒るやらガッカリするやらだったとか。まぁ、結果としては26日もやっぱり雨で運動会ができる状態ではなかったんですけど、だからといってそういう問題じゃないでしょう。今は皆さん仕事や予定を持って生活してるんだから、ずるずると一日延ばしにしないで、初めから一週間とか一ヶ月先の日を予備日として決めておいて欲しいものです。そうすりゃ会社だって前もって段取り組んで休めるようにできるのに。
とまぁいろいろあったけど、運動会は27日に「どうだ、これまで延期してよかっただろう」と言わんばかりの絶好の秋晴れの中で行われたのでした。釈然としない気持ちは残るものの、陽光の下で子供たちが溌剌と頑張っている姿を見るのはいいものですね。
そうそう、それで我が家の小諸行きはどうなったかというと、25日に「運動会は27日」と決まった時点で、運動会が終わった後で父ちゃんだけがライブを聴きに行くことにして、家族分の宿泊をキャンセルしました。日を改めてゆっくり1泊2日で遊びに行こうよ。
ところが、子供たちは運動会が終わってからでもいい、当日の夕食提供がなくてもいい、小諸のお泊りがしたいと懇願します。父ちゃんにしてみても、はたして「日を改めて」行くことができるか怪しいものだから、だったら当初の予定通りみんなで行くかと、当日の朝になって再度の予約をしたのでした。
校門の近くで子供たちをピックアップして出発です。思いのほか終礼が長くって時計を気にしている父ちゃん。母ちゃんに「お父さん、焦ってるよ」と言われ、自分でも飛ばしすぎだなぁと感じながら上信越道をひた走ります。ライブに間に合うためだけなら6時半までに着けば充分なんだけどね。少しでも早く着いてみんなとおしゃべりしたいし、それに・・・
道の駅の屋根は
妙義の山々の稜線をイメージしたのかな?
松井田妙義ICで高速を降り、国道とは反対方向に山の中へ向かっていった先が道の駅『みょうぎ』。予定が大幅に変わったこんな状況でも、とりあえずスタンプ1個をゲットです。残念ながら『ふじおか』は「上り線にしかPAがない」ため寄ることができませんでしたが。
初めて来た『みょうぎ』は思ったより高速道路やR18から離れておらず、妙義神社参拝というか観光を含めて、落ち着いてまた来てみたい場所ですね。本日はトイレ休憩のみで失礼。時計を見るとだいぶ余裕がありそうなので、小諸YHまではR18で行くことにします。高速道路を使っても、遠回りしたりインターが離れていたりで時間的にはさほど変わらないはずだから。
途中でお菓子なんかを買い足したにもかかわらず、小諸YHには意外と早く着きました。小室さんの姿は見えなかったけど、上田マネジャーが「お、着いたな。運動会だったんだって?」と声をかけてくれます。「ええ、今年は運動会と無関係だと思ってたんですけどね(^^ゞ あ、珍しいお酒を持ってきましたよ」
8月に、新宿にあるカタログハウス社で開かれたセミナーを聴きに行ったときに小室さんたちと話していて、小諸のライブの時にはちょっと変わったお酒を持って行くからねと予告していたのでした。その時は「また来月会いましょう」と別れてきたのだけど、あれが8月の初めで今日が9月の終わり、実際にはほとんど2ヶ月ぶりです。
かたやこの日の聴き手の方は、父ちゃんと同じく皆勤賞の中川夫妻、きんぱち。フーさんやナビさんだって4回くらいは来ているかな。それに今年は正月に泊まり合わせた詩織もいたし、バタバタとは10年ぶりくらいの再会じゃなかろうか。毎月のように(それ以上の頻度だったかもしれない)小諸YHに来ていた頃の仲間とこういう機会に再会できるのも嬉しいことです。そして開演間近になって武満母娘や中棚荘(父ちゃんはつい「中棚鉱泉」と呼んでしまう)のご主人夫妻もやってきて、いつものメンバーが揃ってきたぞという雰囲気。大きなコンサートホールで見知らぬお客が集まってくるのと違って、歌い手も聴き手も和気藹々というか仲間意識のある不思議な感覚ですね。
毎年部屋の後ろのほうで聴いていたんですけど、今年は父ちゃん、一番前の席で聴くことにしました。一番前だと、あんまり顔をジロジロ見るのもナンなので、ついギターばっかり見てしまいますなぁ。
あ、ギターで思い出した。ここんとこ、ネットオークションで珍盤を落札しているのですが、そのひとつが『フォーク・ギターの世界』という教則レコード。六文銭時代のものですが、これをみんなで雑談しているところで出したらペーさんが「あ、これは知ってる」。でね、あの頃のフォークギターの名人といえば小室さんもそうだけど、石川鷹彦さんっていう人もいますよね。そのお二方が演奏しているというとんでもないレコードがあって、小室さんのディスコグラフィーに詳しい『青いリンゴ』というウェブサイトでもこの情報は無かったのです。で、どういういきさつでこんなレコードが出たんですかと尋ねようかと思ったら、ご当人が「こんなレコードがあったんだねぇ」とほとんど記憶に無いご様子・・・はっきりいって顔合わせが珍しいというだけで、内容的にはどれほど凄いというレコードではなかったですけど。
まぁ、父ちゃんがこうして古いレコードを集めたがるのも、新しいアルバムが出ないという不満の裏返しなのです。新曲聴きたいよぉ!
でも、とりあえず新しいCDは出ました。このライブの2日前にあたる9月25日発売の『ニューヨーク24時間漂流コンサート』、1981年に出たLPのCD化です。いや、これが焦った。何がって、小諸のライブのときにこれを持ってきて売るかな、だったらサインもらえるな、なんて考えたんですよ。でも念のために上田さんにメールを出して尋ねたら、日程的に間に合わないよということだったので自分で買って持って行こうと思ったのですね。それでamazonに予約を入れたんです。7月に上條恒彦さんのCDを予約したときは店頭発売日に家に届いたので安心していたんですね。ところが今回のCDは25日になってもまだ「発送準備中」。26日にようやく発送になって、家に届いたのは27日の午後2時・・・まだ運動会の続いている小学校から(我が家の子供たちの出番は終っていた)クルマを取りに父ちゃんだけが一足先に戻ってきた時でした。やれやれこれで小諸に持って行ってサインがもらえるぞと、こればっかりは運動会がこの日までずれ込んだおかげといえるでしょうか。これはLP版も持っていたので、ライブの時に小室さんの後ろに立てかけておいたのですが、振り向いた際に見つけて「そぅ、これ、今度CDになるんですよ。もう出た?」・・・小室さんにとっても思い入れのあるアルバムのようです。「だってニューヨークに住んでる友部正人がダコタハウスの前を何度も歩いてたってオノ・ヨーコ見かけたこと無いって言うのに、こっちはばったり会えるし、ピート・シーガーに会ったり、オデッタに会ったり・・・できすぎだよ」
ライブ終了後はこれまた恒例の「打ち上げ」です。歌はレコードでも聴けるけど、こればっかりはナマで楽しまなくっちゃ。ライブには参加しなかった母ちゃんもこちらには参加して、まだ寝ていなかった子供たちまで入ってきます。結衣は小室さんに「運動会どうだった?」なんて訊かれておりましたが、どうも我が家が来るまでの間、とどまつファミリーは運動会が終ってから駆けつけるんだぞ、って話のネタになっていたみたい。
や、どーもどーも。乾杯!
父ちゃんが持ってきた「珍しい酒」ってのは新潟・加茂の『甕覗(かめのぞき)』であります。甕に入った酒を柄杓で汲むというスタイルなもんで、仲間が集まって酒盛りをするときの雰囲気がぴったり合うのですね。ちょっと甘口かなぁなどとも思うのですが、中棚荘のご主人が持ってきた酒(銘柄を忘れたけど、ひょっとしたら『マルト』だったか?)が辛口で、普段はビール党の父ちゃんも珍しく甘辛日本酒を交互に飲んでいました。
やがて打ち上げパーティもお開きとなり、小室さんたちも宿に引き上げ、YHに泊まる人間だけが残ります。この後の展開というのがまた年によって様々で、気の抜けたようにポカ〜ンとなった年もあったかな? 今年はギター持ってリードする人間が現れたので、突然フォーク大会。次々と懐かしのフォークソングが出てきて「まるでYHに泊まっているみたい!」・・・泊まってるんだってば。
挙句にウバさんがピアノを弾く姿も、おそらく10数年ぶりに見たような気がする。最後に今回初めて泊まり合わせたおネエちゃんが元気な声で歌っていたけど、この人プロなんだって。
しかし呑み慣れぬ日本酒を呑んで、大声で唄って、はたして明日の朝というものを無事に迎えることができるのであろうか?
とまぁ心配した割にはスッキリと起きることができて、本日のご予定は・・・本当なら昨日ドライブを楽しんだので、今日は軽井沢を少しぶらついて飄々亭でカレンダーを買ってフレスガッセで昼食を食べて帰ろう(道の駅『みょうぎ』『ふじおか』に寄って)というはずだったのです。ところが前述の通りの有様だったので、じゃぁ今日はドライブしながら帰ろうか、残念だけど軽井沢は諦めよう。
で、スタンプラリーに徹するなら一旦南に下って『ほっとパ〜ク・浅科』からスタートしたいものですが、家族サービスで旅行していることもあり、また父ちゃん自身ものんびり出発したいという気持ちもあってYHで朝食後の仲間たちとのひとときを楽しむことにします・・・小諸YHから一番近い『みまき』は今年のスタンプラリー不参加だったし(1時間早く出発すれば『みまき』『浅科』を回ってこれるんだがなぁ)。
飄々亭とフレスガッセは諦めたけど、せめてここだけは寄って行こうと思ったのが、東信州に来たらお馴染みのツルヤです。軽井沢店10時開店に合わせてYHを出発して、着いたのが9時50分・・・あれっ? もう開いてる。9時半開店なんだって。
しかしまぁ信州旅行のお土産がスーパーマーケットというのは変かもしれないけど、老舗のお菓子よりは手ごろな価格だし、ネーミングだけが違って中身はどこも一緒という観光地土産なんかよりはよっぽどしっかりしたものが買えるので、自社ブランドのジャムやドレッシング、それに車内で食べるお菓子なんかを買ってゆくのです。そうそう、信州とは全然関係ないんだけど、ここはレーズン(カリフォルニア産)も安かったりするのですね。製菓材料店で買うのがバカらしくなるくらい。
買い物を済ませて、中軽井沢から北軽井沢、長野原に向かってクルマを走らせます。もともと初日に走るつもりだったコースを逆送することにしたのですが、走り慣れていないコースなので時間の予想が難しいんです。それでいきおい焦ってしまいがちなのですね。それにしても峰の茶屋からずっと道は下りっぱなしで、こりゃぁ逆向きで走ってきたらアクセル踏みっぱなしだっただろうな。
長野原からは坂道を登って草津へ。街の入り口が『草津運動茶屋公園』・・・運動公園なら判るけど、間に挟まった「茶屋」というのはいったい何なんだ? たしかに喫茶コーナーみたいなのがあるから茶屋と言えなくもないけど、そしたら今度は近くにグラウンドもなさそうなので運動公園というのが意味不明なのですね。軽井沢を出てから登ったり下ったり坂道ばっかりだったのですが、かつてはこの二つの町を鉄道が結んでいました。「日本初のカラー映画」という枕詞で語られる『カルメン故郷に帰る』の舞台にもなった草軽電鉄がそれですが、当時の機関車の模型が展示してあり、まるで童話にでも出てくるような可愛いものでした。
道路の向こう側にも施設があって
ここだけでも結構楽しめる
ツルヤを出てからジャスト1時間、思ったよりいいペースで来ているのでソフトクリームを食べて休憩時間を長く取り、せっかくだから草津の温泉街でも見て行こうと湯畑に向かうことにします。
古い温泉街だから町も道も狭く、つい行き過ぎたりするのを案内看板を探しながら訪ねて行くと、つい先日テレビで見た湯畑の景色が目の前に出現しました。周囲には観光客が多く、クルマも徐行しなければ引っ掛けてしまいそうな状況でしたが、そのおかげでノロノロ走ってもどこからも文句が出ることなしに2周回って車窓からの草津見物はおしまい。六合村に向かって九十九折れの坂道を下って行きます。
草津は、父ちゃん以外の家族は初めてで(それを2周したとは言え、車窓から湯畑を見せただけでゴメンナサイ)、父ちゃんもまた20数年ぶりでしたが、六合村には結婚してから母ちゃんと二人できたことがありましたね。そのときの尻焼温泉を、入浴しないまでも子どもたちにも見せてあげたいなとも思ったのですが、草津から下ってきた道からだと野反湖の方に入って行かなければならなかったので今回はパス。長野原に戻るように少し行くと道の駅『六合(くに)』でした。
昔、六合山荘の売店で
曲げわっぱの弁当箱を買ったことがある
地図などで見たときに「おそらくあそこに作ったんだろうなぁ」と思っていた通り、場所は以前「国鉄六合山荘」があったところでした(今は村営だそうだ)。裏手の高齢者センターは温泉があって、昔「野反湖フィールドフォークコンサート」を何度か聴きに来たことがあったけど、その時はここで入浴したものでした。そうだ、小室さんを初めてナマで聴いたのもこのコンサートだったんだなぁ。この夏、CDを買って久しぶりに坂庭さんの歌声を聴いたけど、坂庭さんの歌で連想したのがナターシャーセブンではなく、野反湖の風景だったことに自分でもびっくりしました。
父ちゃんだけが懐かしがっていますが、他の家族は「腹もへったし、早くどこかでお昼を食べたいよ〜」という雰囲気。特に颯はさっきの下り坂がこたえたのか、少々グロッキー気味です。わかったわかった、先を急ごう。
ルートとしてはこのまま長野原まで戻ってR145で中之条をめざすのが一般的です。途中の吾妻渓谷の紅葉はまだ始まっていないかな。でも、このルートは軽井沢から直接走ることもできるので別に来る機会もありそうです。今日は六合村から走って行くのだから手前で左折して暮坂峠経由で行ってみようじゃないか・・・若山牧水が旅したルートということで観光案内に紹介されているけど、期待したほどの道ではなかったですね(いや、以前一回走ったことはあったんだ)、特に景色がいいわけでもないし。でも、このルートが「日本ロマンチック街道」に指定されているのはちょっと驚きでした。
我が家から長野原(経由で信州方面)に行くときは、高崎から榛名山の西側を通るので中之条や、ましてやここから渋川までの道を通ることはないのです。それでまぁ所要時間などが推し量りきれないところがあったのですが、まずまずのペースなのかな。中之条市街地を過ぎ、国道沿いの蕎麦屋でちょっと遅くなったけど昼食をとって(これが高かった!)、次の道の駅めざして走っているときに思いがけない事態が発生しました。
川の向こうに『あづま温泉』なんていうのが見えたりして、そうか5月にキャンプした東村の中心部はこのあたりなんだ。我が家にしてみれば伊香保温泉のすぐ近くで便利だったけど、東村全体から見れば「村の奥の奥」なんだなぁと納得しながら走っていると国道が通行止め。崖崩れと、その復旧工事のために全面通行止めになっていたのです。そういえば草津の道の駅にそんなことを書いた張り紙があったよなぁ。ここに来る手前に道路工事しているところがあって、そこは片側交互通行で走れたから、それで無事に通過できたと思い込んじゃったんだ。それに、ここの手前でやっぱり工事規制の看板が立っていて、警備員もいたのだけど、1台停まったクルマの運転手と話し込んでいたので先行するクルマともども脇を通り抜けて来てしまったのでした。皆さん突然現れた行き止まりでUターン。
先ほどのガードマンのところまで戻って川を渡り対岸を走るしかなさそうです。渋川が目的地ならそれはそれで納得できるのだけど、我が家の当面の目的地は崖崩れの現場の向こう側にある(地図で見ると約2.5km)道の駅なのです。再び川のこちら側に戻ってこれる橋は近いのだろうか・・・。でもってこの迂回路、この先で右折すれば伊香保温泉に行けるとかで、そのせいなのか渋滞しているのですね。イライラしながら2kmほど行き、伊香保行きの交差点を過ぎると何とか流れが回復しました。しかし、対岸に戻れる橋がない。とうとう渋川に入ったところでようやく対岸に戻って小野上村に戻ろうとすると、ここでもガードマンがいて「この先通行止めですよ」「道の駅まで行きたいんです」・・・さっきのガードマンもこうやって声かけてくれれば少しは気分的に落ち着いたのに。
田舎のドライブインといった雰囲気だった
この先が通行止めになっているというのに温泉旅館の送迎バスなんかとすれ違いながら道の駅『おのこ』着。この先へ行けないし向こうからも来れないのだから、さすがに静かです。これじゃぁ商売にならないとみえて営業時間は午後2時までという張り紙がしてありました。時計を見るとまさに午後2時、ひぇ〜、ギリギリだった。
再び渋川の市街地に向かって走り、R17と合流するのが鯉沢交差点。そうだ、ここは観光シーズンやスキーシーズンは渋滞の名所で、よくラジオで耳にした地名だ。草津方面から戻ってくるクルマと上越・片品尾瀬方面から戻ってくるクルマがここで合流するので、たいへんな渋滞が発生するのですね。で、今ではこの交差点を迂回するようにR17のバイパスができていて、そのバイパス沿いに道の駅『こもち』がありました。さっきの『おのこ』が個人経営の鄙びたドライブインという雰囲気だったのに対して、こちらは村おこしの拠点という感じですね。新しくできる道の駅ってみんなこんな感じだなぁ。物産販売所も人がごった返している。近くの白井宿を案内して回る人力車も客待ちをしていて、結衣は載って写真だけでも撮りたいとせがんだけど、まだまだ先があるからね。
記念写真だけでも
撮っていかない?
渋川に入って利根川を渡り、赤城山麓の道路に入ればなんとなく馴染みのある道。今日は我が家がいつも走るのより一本高い位置の道路を走るのだけど、それでもここまで来れば「時間が読める」感じがしてきます。そうこうするうちに『ぐりーんふらわー牧場・大胡』です。
去年の暮れに結衣と二人で来たときは谷間で分断されているとは知らずに遊具と羊がいる側だけで遊んで帰ったのですが、今日は渋川方面からアプローチしたこともあって、まずは風車のある側の駐車場にクルマを停めます。いやぁ、ずいぶん大勢の人が来ていますね。カップルやファミリーなどが草の上でくつろいだりバドミントンをしたり・・・どうも前橋や渋川近郊に住む人たちの格好の過ごし場所となっているようです。歩いて行くにはちょっと遠いのでクルマで向こう側の駐車場に行って、子供たちは今度は遊具で遊びます。
実はね、当初のコース計画を立てたときに「大胡を一番に持ってくると、子どもたちをどれくらい遊ばせてよいか判らない」というのが悩みだったんですよ。この先時間がよく読めない不慣れな道をはるばる小諸まで行くのに、最初の大胡で長居するわけにはいかないなぁ、とね。幸か不幸か逆回りになって大胡が最後になったことで、子供たちをいつまで遊ばせてよいのかが判ります。家に着きたい時刻から逆算すればいいのです。というわけで4時半に子供たちをせきたててクルマに乗せて出発です。
運動会が終ってからじゃ疲れているし、遊ぶのも中途半端でつまんないよ、と言いながらもしっかり小室さんのライブや旧友との再会を楽しみ、道の駅のスタンプも6個集めて6時前には深谷に帰ってくることができました。まったく遊ぶことにかけてはくじけない家族、いや父ちゃんです。