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2005年11月14日 の記事

Nov142005

雷電くるみの里 (たびメモ 2)

数年前にスタンプラリーにハマってからは
ドライブというと「道の駅をどうつないでゆくか」に腐心している気がしますが
実際のところ立ち寄っても特に何をするわけでもありません
ラリー期間中の対象駅であればスタンプを押しますが
あとはトイレに入ったり、飲み物を買う程度
博物館が併設されていれば興味を持つこともあるけど
あとは売店や農産物直売所を冷やかしても
実際に買うことは滅多にありません

あ、『おかべ』『めぬま』『どまんなかたぬま』はジェラートが目当てだな
それと『おかべ』の蕎麦と野菜は例外
…あそこは生活圏内なのでドライブではなく「外食」と「買い物」です
 なにせ朝刊に大売出しの折り込み広告が入るのですから

と、こ、ろ、が、、、
この『雷電くるみの里』はきわめて珍しい道の駅で
これまで4回立ち寄って(うちスタンプラリー2回)
4回とも食事処に座って何かを食べているのです

今回は雨も降り出して、もう何処かに寄りたくもなし
さりとて宿にチェックインするにはまだ時間が少し早い
そんなタイミングで5回目の訪問となりました
宿からさらに10kmくらい先になるのですが
それもちょうどいい時間つぶしでしょう

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もちろん目当ては「くるみおはぎ」
売店にはパック入りのお持ち帰りもあるけれど
贅沢に一人ずつ器に盛ってもらえる食事処へ
130円で幸せな気分です

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ムスメはクッキー、100円也
これも細かくふるった砂糖がまぶされて和菓子のよう


翌日はお土産用にパック入りでも買って帰ろうかと思い
6回目にして初の「食事処に寄らない訪問」になるかと思われたのですが
予想に反して晴天となってしまったために行き先を変更し
道の駅には寄ることなく次の目的地に向かったため
辛くも記録更新の可能性は残ったのでした

《《 戻る次へ 》》
Nov142005

忘れ物

土曜日の新潟行き
渋川を過ぎたあたりで大変な忘れ物に気がつきました

それは「関東道の駅スタンプラリー」のスタンプ帳

ちゃんと道路地図と一緒にプラスチックケースに入れて
前の晩、財布や携帯電話と一緒に置いてたんですよ
ただ、寝る前にちょっと場所を動かしたのが命取り
朝の慌しさの中で見落としてしまったのだろうな

まぁ、今年は「スタンプ集めのためのドライブはしない」という方針で
通りかかったら押印しようというスタンスではあるのですが
  前の週の信州旅行は9月に回った範囲と同じだったので
  スタンプ帳を用意していても出番がなかった

その気になってもなかなか行けない遠方だっただけに、ちょいと残念です

今回狙っていたのは2パターンあって
上信越道で帰ってくれば『オアシスおぶせ』
  ここは高速道路のPAにクルマを置いて
  人間だけが歩いて利用できるのです

関越道で帰ってくれば『水上町水紀行館』『月夜野矢瀬親水公園』
  水上でいったん高速を降り、一般道を月夜野に行くのですが
  月夜野から再度高速に乗ると夕方の「通勤割引」を使えるので
  全体を通しで走るより安くなるのでありますね (^^)

実際には上信越道で帰ってきたので『オアシスおぶせ』だったのですが
日が暮れて真っ暗になっていたし、といって夕食を食べてゆこうという時間でもない
買い物やトイレの用事もないのでそのまま通過してきました


今回立ち寄った道の駅は北陸地区の2駅でした
『越後出雲崎・天領の里』と『あらい』
『西山ふるさと公苑』は西山ICの脇といってもいいような場所にあるのですが
夕方にぜひ寄ってゆきたいような場所でもないと思ったのでパス

『越後出雲崎・天領の里』はすでに別の記事で書いた通り
資料館で楽しんできました

『あらい』は『オアシスおぶせ』同様に高速道路のPAから利用できる場所で
殺風景なPAとは正反対に食べ物屋、みやげ物屋、それにホテルまで揃っています
あえて寺泊の魚屋街に寄らなかったのは、ここの鮮魚センターを知っていたからです
寺泊じゃ箱買いになってしまうからね
今晩のおかず程度に買うならば、ここのパック買いで充分です
  もっと言うなら、寺泊の「角上魚類」という魚屋は
  ウチからそう遠くないスーパーに出店しているので
  わざわざ買って帰ることもないと言えなくもないのだが…

冒頭に「大変な忘れ物」と書いたわりには全然深刻がっていないのは
やっぱり今年はスタンプの数を目標に置いてないからでしょうね

両親を連れて親戚を訪ねるという用事、といいながら
しっかり道の駅巡りの秋のドライブを楽しんでいるのでした

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Nov142005

ぐるり新潟ドライブ

 

本来はビール党なのだが...

12日の土曜日は親戚を訪ねる用事があって新潟に行っておりました
出発時は雨、だったのですが前方の空が明るいので楽観
はたして高崎まで行くと雨があがり、渋川を過ぎれば澄み切った空と紅葉の山々

朝日を浴びて山が綺麗です
関越トンネルの手前で休憩

…と、秋のドライブを楽しんだのも谷川岳まででした
国境の長いトンネルを抜けると、そこは雪国ならぬ雨降りだった
とうぜん「ありがとう湯沢IC」で途中下車。そのまま六日町ICまでは国道を走ります
再び高速道路に乗ろうとしたら、ICから出てきたバスに見覚えが
ありゃりゃ、さっき関越トンネルで追い越したバスだ
こちらは国道を走って時間を食っているのですから
きっとバスもどこかで休憩していたのでしょう
それにしてもあまりのタイミングのよさに車内(ワタクシ、息子、両親)で笑いました

雨の中で旗を振っている人は大変です
規制区間はおよそ40km

六日町から長岡までは、災害復旧工事のための一車線規制中でした
もちろん災害とは昨年の中越地震のことです
一年経ってもまだこれだけの工事をしているという現実を肝に銘じなければなりません
そして、震災後まもなくから一車線は確保されているという素晴らしさも


平野部では天気も回復し、新潟での用事も済んで海沿いのドライブを楽しみます
…海なし県の住民の「性(さが)」でしょうか (^^ゞ
地元の人は紅葉を見に山へ行っているのか、道路はがらがらでした
越後七浦シーサイドラインを通って寺泊へ
ちょっと遅めの昼食は、いつものあそこです
といっても、いつもはキャンプ帰りの入浴とセットで2階の大広間なのですが
今回は食事だけなので大生簀のある1階のレストランです
魚屋街の2階にも食堂があるのは知っているのですが
きっと観光客でざわついていると思うんですよ。観光バスの団体なんかもいるかな?
ここなら(たぶん)同じような値段で落ち着いて食べられるのでお勧めです

刺身御膳。1,260円
おととし去年と続けてここで海水浴した

食後はさらに進んで出雲崎へ
ここの道の駅にある『時代館』という郷土資料館は一度入ってみたかったんですね
これまでもトイレや売店には休憩で立ち寄っているんですが
キャンプ場まであと10分、早く行ってテント張ろうよという場所にあるので
まだ入ったことがなかったのです
ということで初めて中に入ったのですが、これがなかなか楽しめました
江戸時代に佐渡の金を運んだ歴史を中心に
当時の商家や昭和初期らしい商店と生活用具など判りやすく楽しめる展示です
去年まで道路の向こう側にあった『石油記念館』も内部に併設され
「なつかしい!」「ふぅん」「へぇ~」

今風に言えば「幕府の巡視艇」
紙風船つくりの実演もあるようだ

出雲崎といえば紙風船ですが
可愛いフグ(ふく)の紙風船をお土産に買ってきました

鯨波海岸の風車(米山SAから)
大きなワラ細工の牛と馬(道の駅あらい)

さて、ここからは西山ICから北陸道で長岡に出て関越道で帰るのが最短距離
だけど往きと帰りで違ったルートを取りたがるのがワタクシ流
北陸道で上越を目指し、そこから上信越道経由で帰ってしまおう
せっかく紅葉の秋だもの、いろんな景色を見て楽しみたいじゃないですか
が、残念なことに秋の日は釣瓶落とし…
戸隠はおろか、妙高高原さえ夕闇の中となってしまいました

Nov142005

今日は『埼玉県民の日』

…なのだそうです

これまで何度か、「以前九州に住んでいた」と書きましたが
最初は博多に居て、そのあと佐賀県の田舎町に引っ越したのですね
小学4年生があと一週間で終わるというときです

  孫正義さんの出身地とされていますが
  彼は幼稚園の頃にはもうこの町には住んでいなかったようです
  生年月日を見ると同じ学年なので、どこかですれ違っていたかもと思ったのですが

博多からこの町にきたときにカルチャーショックがありました
「小学校が制服である!」
  男子が黒い学生服、女子がセーラー服とスモックを合わせたような服で
  まるで戦前や戦後まもなくの写真を見ているような世界は
  それまで私服で通学していたワタクシにはびっくりでした
「給食を食べるのが箸!」
  先割れスプーンではなく、箸でした
  今考えたらその方が先進的で文化的なのかもしれませんが
  当時は田舎臭いなぁと思ったものでした

そんな田舎町で6年過ごし
父の転勤に伴って埼玉県に引っ越すことになりました
すると、かつて埼玉に住んでいたという同級生の母親が
「たいへんですねぇ、ここと違って埼玉は田舎ですよ」
そう言うのです

そんな筈はない!

だって埼玉は花の東京に通勤通学している人も多く
綺麗な住宅が立ち並んで…と
教科書に載っていた「衛星都市」「ベッドタウン」という言葉や写真を思い出し
こんな田舎とは較べものにはならない洒落て文化的な町を想像したのでした
きっと、浦和や所沢あたりのイメージだったんでしょうね
実際に住むようになったのは県北の町で
転校した先の高校で生徒に向かって話す教師の語尾が
「…だんべ」

強烈なショックでありました
さらに(その高校は違ったのですが)公立高校で男女別学があると知り
戦後民主主義の基本は男女共学にありと信じていたワタクシはまたまたビックリ
だって終戦後30年経ってるんですよ!

会社から帰ってきた父親は父親で
「カラーシャツやストライプの入ったシャツを着てゆくと
 女子社員が、ハイカラですねって感心するんだ
 見ると周りはみんな白のワイシャツばかりなんだ」

まだ「ダ埼玉」という言葉が生まれる前のことでした


そんな埼玉に住むようになって31年ですよ
いちおう周りも洒落てきたのか、それとも自分が慣れたのか
住めば都というけれど今ではすっかり気に入っています

あ、県民の日に公立の学校が休みになるというのは
埼玉に来て初めて知りました
九州に居たときは「県民の日」という言葉さえ聞いたことがなかった
といっても自分が恩恵にあずかったのは高校の2回だけでしたけどね
…そうか、ウチの子供たち、この週末は3連休だったのか

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