飛淵山 龍石寺(秩父札所・十九番)
秩父橋を渡って...という表現は変ですね
「橋を通って荒川を渡る」が正しい言い方になるのかな
まぁ、それはともかくとして、そこではちゃんと標識を見たんですよ
ところが、少し歩いたらもうすでに違う方角に向かってるんです
つまりどこかで曲がる道を見落としている...またかよ
やっぱり逆打ちしているのが原因なのかなぁ
札所のお寺へお参りすることを「打つ」と言います
これは、お参りしたとき、名前等を彫った木の板を
お寺の柱等に打ち付けて願を掛けたことが始まりなのです
四国八十八ヶ所の方の話では
逆打ちは道案内や看板の向きが反対になっているので
順打ちに比べて難しいともいわれる
ちなみに、うるう年に逆打ちを行うと倍の御利益があるとも...
少し引き返すと、やっぱり脇に曲がる道に
向こうから来た場合に見やすいように道案内の札がありました
道の奥、建ち並んだ住宅の屋根の間にお堂らしきものも見えました
そこまでの道は真っ直ぐではなく、曲がったり分かれたりしておりましたが
見当をつけた方角に歩いて行くと目指す龍石寺に着くことができました
なんだかすごく荒涼とした雰囲気です
周りを住宅に囲まれているというのに「あっけらかん」とした印象がするのです
先ほど訪ねた岩之上堂と同様にここも岩の上に建っているのですが
岩之上堂が木々や草花に包まれているのに対し
ここは周りが開けている上に、地面に岩がむき出しになっていて
こちらの方がよっぽど「岩之上」と呼びたくなります
それにしても、なんでしょうね、この白々とした感じは
なんというか、お寺を構成しているパーツ
観音堂も、お地蔵様も、納経所も休憩用のベンチも全部揃っているのに
それぞれが単独で存在しているような印象を受けてしまったのです
とても不思議な空間でした