感謝とテーブルマナー

永六輔さんの本だったと思いますが
ある学校で、給食の時間に「いただきます」と言わせてはいけないことになっている
という話を読んだことがあります
つまり学校が「宗教や思想に関することを一律に強制してはいけない」
という考えが根底にあるのでしょう
だから家庭で「いただきます」と言っている児童が自発的に言うのは構わないと

別のところで聞いた話ですが
こちらは学校で「いただきます」と言わせようとしたのかな?
すると親が、ウチはちゃんと給食費を払っている
払っているからには食べるのは当然の権利だ
恵んでもらっているわけじゃないから「いただきます」を言う必要はない
と反発してきたというのです

なんか…だよなぁ

結局「いただきます」を誰に対して言っているかっていう問題なのでしょうね
永さんの子供の頃は八百万の神に、お百姓さんに、そして戦地の兵隊さんに感謝しました
今は…せいぜい料理を作ってくれた人かな
材料の生産者や流通に携わった人たちのことは、正直あまり考えないものです


何でまたこんな話を始めたかと言いますと、今日ね
「教育の一環として、テーブルマナーを取り入れている幼稚園」の話を読んだんですよ

テーブルマナーも形にとらわれると面倒くさいものです
やれ音を立てるな、肘を付くな、迷い箸をするな、な、な、なさい!

そのとき、ふと思ったのですよ
「そうだ、美味しく食べればいいんだ」

ランチタイムに仕事場近くのファミレスに入ると
料理の脇に書類をひろげてつまらなそうにフォークを動かしている姿を目にします
本を読みながら箸を使っている人もいます
自分が何を食べているか見てないんだもの、あれじゃ味なんか判らないよ

自分が積極的に食べ物に向かってゆくことが
そして人と会食していればその場の雰囲気に調和することも大切でしょう
つまり「食卓につく」ということですね
ただ単に席に着くというのではなく調和して食事を盛り上げる一員になること
それが食べ物に感謝することであり、テーブルマナーだと思ったんですよ

また、美味しく食べるということは自分の心身が健康であるということでもあります
体調が悪かったり不機嫌なときは食事も美味しくないしね
感謝しながら美味しく食べている姿は、きっと道端にしゃがみこんで食べていても
美しく見えるのではないでしょうか?
美しく見えれば、それはすなわちテーブルマナーにかなうということですよね

「感謝」と「テーブルマナー」が「美味しく食べる」という言葉でつながったのでした


なぁんて偉そうなこと書いてしまいましたが
ワタクシ、平日の朝食は自分でも「これはよくないなぁ」という食べ方をしています
すなわち右手に持った新聞とテレビのニュースを交互に見ながら
左手に持ったトーストを口に運んでいるのです

トーストに塗られたジャムが、クルミだったかバナナだったか覚えていないのです
お恥ずかしい!