中山道 大湫宿

 

木曽11宿に対して美濃16宿というそうな

「ええなぁ」の旅の話を小出しにして一週間持たせましたが (^^ゞ
月も変わったので、そろそろお仕舞いにしますね


今回使った「誰もが『ええなぁ』と言うところ」というフレーズは
古くからの友人は覚えているかもしれませんが、18年前に使ったものです

あの頃はまだブログやホームページといった媒体もなく
『お手紙通信』などと称して近況報告の冊子を不定期で作っては
20人くらいの友人に送りつけていたのですね
不定期といっても、最盛期には月一回くらいのペースでした
で、どうせ郵便で出すんだったらと旅先に持参して
その町の郵便局の消印で送っていたわけです
窓口が開いていれば風景印なども使ったりしてね

それとまた、あの頃は中山道に興味、というかこだわっていて
ちょうどこの旅の頃には46号か47号くらいが発行できる見込みだったのですが
江戸から数えてそれくらいの宿場町が恵那地域であるぞと判ったのです
というわけで、もともとは木曽旅行がメインであったのを
午前中半日は恵那を訪ねてみようと思ったわけです

それで的を絞ったのが47宿目の大湫(おおくて)宿
ちょうど東海自然歩道のルートにもなっているので
ここから歩き始めて恵那まで行き、再び鉄道に乗って木曽福島に行こうと思ったのです

思ったのはいいけどね
行ってみたら大湫宿ってのは高台の上なんですよ
下車駅からは延々と上り坂が続くわけです
18年も前の話で記憶も断片的
どの駅で降りたのかさえも覚えていなかったのですが
スタート地点に行くまでに相当疲れてしまった...という記憶だけが残っております
その坂道の途中で高速道路の脇を通った記憶も

  今回久しぶりに恵那を訪ねるにあたって地図を見ていて
  武並駅で降りたと思い出したのだけど
  それも記憶違いで、実際は釜戸駅だった

瑞浪から中央高速に乗って帰ってきたのですが
だいたいこのあたりだったのかなぁ、と思えるところで
一本の道がカーナビの画面に表示されました
助手席に座っていた息子に合図して写真を撮らせようと思ったのですが
一瞬にして通り過ぎ、写真を残すことはできませんでした

当時撮った古い写真を載せておきます

「東海財団」なんてまだあるのかな?

ちょっと古臭く変色させてみました


当時の記憶を呼び起こそうと、例の『お手紙通信』を引っ張り出してきたら
けっこう面白く書いてありますね...内容まで覚えている友人はもういないだろうから
これを丸写しして今週一週間のネタを持たせようかな (^^ゞ

そうそう、この47号を恵那から出すぞって決めた後に46号を発行したのですが
このときは長野県の南御牧郵便局まで持っていって発送しました
...京都から数えて46番目の八幡宿なんです