墓を考える
墓の中に死者はいないと言います
千の風になって大きな空を吹きわたっているという詩の一節もありますし
極楽浄土で阿弥陀仏と過ごしているという宗教の教義もあります
そうは言っても、亡くなった人と出会える「場」というか
遺された、あるいは現世に生きている人のよりどころとして
墓地というのは意味があるのだと思います
2か月ほど前に雑誌で読んだ佐々木幹郎さんの連載エッセイで
まだ中学生だった息子さんを亡くされた人の話があり
夫婦喧嘩をしたり一人になりたいときは息子さんの墓石と対話しているらしい
というのも墓地の方から一人で戻ってくる彼を見かけることがあり
そうなのかなと想像すると同時に
墓というのは生き残っている人間の役に立つのだと思う
そんな内容のことが書かれていたのですが
共感を覚えてしまいました
生き残った人間の役に立ってもらうためには
墓は近くになければなりません
本来は先祖と一緒の場所に葬るべきなのかもしれませんが
核家族化、就業の多様化で先祖伝来の地から離れて一家を持ってしまっていたので
市内の霊園に墓所を得て、新規に墓を作ることにしたのです
ところで父は、生前魚釣りが好きでした
葬儀のときにはこの写真を使ってくれと、生きているうちから指示していたのも
笠をかぶって川を背景にした鮎釣り姿の写真でした
それに合わせて、と言うよりもワタクシ自身の好みを反映させて
「流れ」を意識した墓をデザインしてみました
台石で川の流れを、棹石は川面にそよぐ風、香炉は橋のイメージです
これだったら大きな空を吹き渡っている父もここに戻って来て
糸を垂らす気になるでしょう
父と対話する「場」として似合っているような気がします
でも、父は魚釣りに夢中になって
ワタクシの話し相手になってくれないかもしれません(笑)
昨日の納骨では
藤崎摠兵衛商店(寄居町)の純米酒『長瀞』と
甘泉堂総本店(岐阜市)の『鮎菓子』をお供えしました