一輪の花

 


震災の後、なぜだか無性に大塚まさじさんの歌が聴きたくなった
聴くだけだったら何枚かCDを持っているのだけど
ある日、彼のホームページにアクセスしてみると
昨年同様、いや、昨年よりちょっと早めに
埼玉に来てくれることが判った...

昨日(3日)、上里町の『あこぱらハウス・蔵』に行くと
オープニングアクトおよびPA担当の長豚剛さんがいて
「震災以来、自分の気持ちもそうだし、ライブイベントも中止になるものが多く
 なんだか気分がマイナスなんですよ...せめてゼロのレベルまで引き上げないと」
そう言って笑った顔は、いつもより力が入っていないように見えた

さて、予定の開演時刻を大幅に過ぎて始まったライブ
...やっぱりナマで聴いて良かった

CDと違って凝ったアレンジが無く、ギター一本というせいもあるのだろうけど
まさじさんの言葉がぐいぐいと身体に入り込んでくる
日頃BGMで聞いてお馴染みの歌がほとんどだったのだが
今まで、これほどまでに歌詞を受け止めていただろうか


こう言うと怒られるかもしれないけれど
まさじさんの歌には、大それたメッセージは無いように思う
身の回りのこと、友のこと、恋人のこと...
日々の営みの中で、ともすれば何気なくやり過ごしてしまう
「些細な」と言ってもいいかもしれない喜怒哀楽を歌ったものが多いように思うのだ
  もちろんそこには人生の真理があるわけであるが

しかし、これまで気にも留めていなかったような
身の回りの当たり前にあった出来事や感情の機微が
いま、なんと愛おしく思えることか

自分が愛し、守り、再生させなくてはならないものは
身の回りのささやかなこの世界なのだ

がんばろう、復興だ、くじけるな...鼓舞することも大事だけれど
政府はなにをモタモタしてるんだ...批判することも簡単だけれど
まだまだそんなエネルギーも余裕もない
ただ自分の身の回りの小さな世界を守りたい、再生したい

まさじさんの歌は、傷ついた心、疲れた心を癒してくれる
傷ついたまま熱くなったって、いずれパンクしてしまう
長豚さんの言うように、まずゼロのレベルまで戻さなくては
そんなことを考えながら、癒されたひと時を過ごすことができた

  探し物は遠くになくて 探し物は足元にある

アンコールで歌った「一輪の花」の一節なのだが
この震災後という状況の中で、すごく心に迫ってきた言葉だった

ナマでまさじさんの歌を聴くことができて、本当に良かったと思う

  この一週間ほど前に福岡・飯塚で行われたライブのレポート記事を見つけました
  読んでいて、昨夜のライブを思い出してしまったぞ


奇しくも昨日は西岡恭蔵さんのご命日でした
今日はその奥さんだったKUROちゃんのご命日
アンコールではもう一曲「プカプカ」を今の歌い方ではなく
特別に「正調」で歌ってくださいました

ええ感じですなぁ...オーライ