電話と電報

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携帯電話の事を書いて思い出したけど
子供の頃に「相手の都合を無視する失礼な通信手段」
だという教育を受けたせいでしょうか
社会人になるまで電話をかけるということが
非常に精神的負担でした

例えばクラブ活動などの連絡事項があって
女性の同級生にかける必要があるときも
「男の声で電話があったら相手の親は心配するんじゃないか?」
そう思うと、もう電話ができないのです
相手が男でも、今テレビを見ているかなぁ風呂に入っているかなぁ
そう思ってなかなか電話できませんでした
いよいよ今日中に電話しなければ間に合わないというときになってようやく
意を決してダイヤルを回す(死語)のが夜8時56分と決まっていました
たいていのテレビ番組が一区切りつく時刻だから
テレビを見ていたとしてもこの時刻なら席を外せるという配慮です
もちろん、10時過ぎなんて電話は絶対しません
寝ているかもしれないじゃないですか

社会人になって、さすがに仕事上電話をかける機会が増え
嫌がっていては仕事が進まないからかけますが
それでもやっぱり多少は「意を決し」なければできませんねぇ
(でも最近は手紙を書くことのほうが苦になってきた)

電話は緊急大事な用件のときに使うもの
「ヒマつぶし」にかけることには抵抗があります

緊急大事といえば、以前の主役は電報でした
タモリさんが何かのテレビ番組で言ってたけど
「昔は、今日は残業で遅くなるって家に電報打ったものだ」
それがいつのまにか一週間前から予約するものになってしまった

友人がアメリカに長期出張していたとき
別の友人の結婚祝いに電報を打とうとしたら
向こうのオペレーターが理解できなかったそうです
「電報は急ぎのときに使うものだ
 前もって判っていることならグリーティングカードを送れ」