信号無視をする論理

もうずっと前になるけど
友人がこんなジョークを言ったことがあった
「周りに誰もいないような夜道の赤信号で
 じっと青になるのを待っているのは日本人とドイツ人だ」

まぁ、クソまじめな国民気質をからかったのでしょうか
ワタクシも10数年ほど前にブリュッセルとパリに行ったことがありますが
彼の地の歩行者は、クルマが来ていないと赤信号でも横断していましたな

ワタクシはそれを見て、こう考えた
そもそも信号機はどうして発明されたか?
たぶんこういうことじゃないかと思うのです
 「自分がまっすぐ行こうとする」
 「脇から相手がやって来る」
 「このままではぶつかってしまう」
 「合図するものを作って、それに従い交互に通ろう」

つまり、信号機に従うということは
相手とかわした約束であって、信号機とかわした約束ではないのです

だからクルマがやってこなかったり周りに誰もいないという状況では
約束する相手がいないのだから信号機は存在意義が無いということになるのかな
相手がいるからこそ信号機であって、いなければ光を放つオブジェ
きっとそういう論理なのでしょう
契約社会の合理的価値感だなぁと思ったのでした
 自分で勝手に思っているだけなんだけど

あ、ところでブリュッセルやパリの街角で
日本人であるワタクシはどうしたか…
郷に入れば郷に従えって言うじゃぁありませんか (^^ゞ

黄信号で書いたことと矛盾してるって?
ええまあ一応「クルマが来ていない」という状況限定です(苦しい言い訳)