その日
月が明けて3日過ぎているのですが
帰宅してもまだ『月刊みすず』の最新号が届いていません
今年になってから届くのが遅くなったような気がするぞ > みすず書房
この雑誌は、詩人の佐々木幹郎さんの連載が読みたくて定期購読しているのですが
前月号では4月の初めに亡くなったお父様の最期の様子と出棺について触れられており
これまでにもしばしばお父様に対する愛情あふれる文章に接していて
そんな子が、父親との別れをどう迎えたのか
そして、いずれ自分にも訪れるであろう「その日」を
自分はどんな気持ちで迎えるのだろうかと思いながら読んだものでした
先週の月曜日、「その日」が突然やってきました
夕方、仕事の帰りに病院に寄って「また来るね」と別れてから4時間も経たないうちに
「容態が急変しました」との連絡で呼び出され
妹に電話をして実家の母をクルマに乗せて病室に入るまで
20分ほどしかかからなかったと思うのですが
待っていたのは「もう呼吸をしていません」という医師の声
肺に水がたまって呼吸や寝起きが辛くなり、自宅での生活がいよいよ苦しくなり
「俺、入院するわ」と病院に行って4日目でした
...最期までせっかちなんだから
生前からの希望もあって、葬儀は家族だけで小さくおこないましたが
それでもやるべきことが次々と押し寄せてきて結構忙しいものです
(小さい葬儀だからこそ、自分でやることが多いともいえますが)
これが性格なのか家風なのか、わりとケロッとして一連の諸行事を済ませましたが
さすがに肉体的にはくたびれております
正直言って、悲しむとか力を落とすとかいう感情は湧いていないんですよ
一段落した後でドッとくるのかもしれないけど、それはまだ判りません
幹郎さんの文章を読んで、自分のときはどうなんだろうと思いましたが
ドラマや小説のような激しい感情の動きもなく
最後までどこか照れや遠慮が残っているようでした
でも、良くも悪くもこれがワタクシと父親の
親子あるいは男同士の付き合い方だったのでしょう
最近、自分がだんだん父親に似てきているなと思うんです。性格や物言いなんかがね
なんかこのまま自然に、自分が父親に変身してしまうんじゃないかって気もします
こうやって家族は続いてゆくのかもしれません
出版社のウェブサイトでの紹介によると、今月号の幹郎さんのエッセイは
新緑の森の中で着々と、いや、試行錯誤しながら楽しんで作っている
ツリーハウスの話題が載っているようです
オトナたちが欲得抜きで真剣に遊んでいる様子は
なんだかホッとするものがあります
ワタクシも元気に楽しく過ごして行きたいと思っています
コメント
エンドウマメ
ご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申し上げます。 ウチの両親は
笠木さんと同じ72歳・・・親父は糖尿病で、お袋は大腸癌で
それなりの気持ちでいる必要が、そろそろ来る時があるのかも?
数年前の、母方の祖母が亡くなった時も・・・右往左往でした。
まつお
▽エンドウマメさん
お悔やみありがとうございます
今はまだ父の死を受け止められない、ってワケじゃないけど
いまひとつピンと来ないんですよ
死んだことは認識しているのですが
それがどういうことなのかが判っていないんです
ただただ手続きや行事を処理することに追われているようです
まぁ、それにしても疲れがたまっているようです
さすがに昨日は朝起きるのが辛く
よほど仕事を早退しようかと思ったのですが
お昼くらいにスッと身体が楽になったので何とか乗り切りました
どうせ休むんだったら
元気な時に有給取って遊びに行った方がいいですからね(笑)
雀屋
この度はご愁傷さまでございます。
このご挨拶を型どおりに言える様になったころから、自分が死に対して一種の諦めと言うか、順番通りに人が逝く事をそれ程嘆き悲しまなくなった気がします。
それはよく考えたら、自分が老いるという事を体感しだした頃と重なってる気もします。
私も母を亡くした時は細々と雑事に追われて疲れました。
体が疲れると心も疲れます。ご自愛下さいね。
まつお
▽雀屋さん
お悔やみありがとうございます
早いもので、月曜日に父が亡くなって、もう二度目の週末です
今日も新潟から親類が弔問に来てくれました
葬儀そのものは家族だけでおこなったので
後から聞きつけた人が次々と...
急に静かになって淋しさがこみ上げるということは無い反面
だらだら疲れが溜まってくるのは否めません
昼寝が気持ち良かったぁ
やっとかめ
今日まで「続き」を読んでいませんでした。
通常行われる葬式というものは冠婚葬祭に限らず、
数々の儀式の中で一番形式張ったものだと思います。
感情さえも形式的というような。
そうした方が良いという様々な理由もわからないではないんですが、
状況が許すのであれば(田舎では絶対に無理ですが)
まつおさんのような家族だけで行う葬儀の方が良いと思っていました。
うちの父の場合は、納得できる亡くなりかたじゃなかったので
周りで型にはめてしまうことに対する抵抗もあったんですが。
今はまだ実感がないのかもしれませんが
自分のペースで気持ちの整理をしていけば良いんじゃないでしょうか。
くれぐれもお体には気をつけて。
まつお
▽やっとかめさん
家族で内輪に、とはいえ、いちおう仏式で
通夜、葬儀・告別式は行いました
それさえも無くしてしまうと
どういう形式でやってよいか判らず
かえって大変なことになってしまいそうだったもので
そういう意味では型にはまった儀式は楽な一面もあります
少し時間が経てば皆「いかにもあの人らしい」と言ってくれますが
それでも最初は「どうして教えてくれなかったんだ」という親戚や
「お手伝いしたかった」という近所の人の声が届きました
でも、内輪の葬式は、落ち着いて別れの時間を過ごせて良かったです