浮世床

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そうそう、どうして床屋さんの写真を見て
『女たちよ!』を読みたくなったかという説明をしていませんでした

この本の中に「他人の顔」という文章があり
ワタクシ、これにものすごく共感を覚えるのです

本当は全文引用をしなければ雰囲気が伝わらないのですが
さすがにそれは無理な話なので、かいつまんで書きますと
  前にもこんなこと書いたっけなぁ ⇒ 今こそ話そう
伊丹さんは床屋を「頑固なものである」と思っているわけですね
本当は頑固ではないのかもしれないけど決して注文どおりにできあがらない、と
「ねぇ、床屋に行って一週間くらいたって、
 ちょっと髪が伸びてきたなってくらいに刈ってよ」
でも、床屋は絶対にそうは仕上げません(笑)
耳の周りや首筋なんかは皮膚に食い込みような感じで始まって
うまく「ぼかし」て借り上げて行き
揉み上げから耳周りはきっぱりと輪郭あらわに律儀に剃りこんでいって
お客に似合おうが似合うまいがお構いなし
床屋の解釈、床屋の美意識、床屋の満足だと言うのです

ところが、最近(この本が出版されたのは1968年)の若いもんは女性化しつつあって
自分でドライヤーを持ち髪をいじくっており
それはそれで元来自分が願っていた姿に近いはずなのであるのだけど
そうなったら逆に、あの、なよなよした連中に向かって
「おい、髪なんか床屋にまかしときゃいいんだ
 床屋に行って椅子にかけたら鏡なんか見るな
 男らしく大鼾(いびき)で寝てしまえ
 そうして目が覚めたときにだな、鏡の中に赤の他人の顔を発見する
 そうしてこの遣瀬無さをぐっとこらえる
 これがおまえ、散髪の醍醐味じゃないか」

ワタクシももちろん「こんな風にして欲しい」というイメージは持っております
でも、床屋さんから「前髪はどうします? 脇は? 襟足は?」と訊かれると
「ええい、勝手にやってよ」と言いたくなってしまうのですね
隣の椅子で青年がタレントらしい名前を何人も出し
「前髪は誰それみたいに、脇は誰それ、襟足は何センチくらい...」
といっているのを聞くと、彼がエイリアンに見えてしまうのです

蒸しタオルを顔にかぶせられ、そのまま寝てしまうのが至福の時間です
あぁ、そういえば革砥でタッチアップする音を聞かなくなって久しくなりました