感動企業
前の記事で、ちょっと言葉足らずなところがあったような気がしたので補足しますね
記事の中でワタクシは
「すべてはお客様のために」
「現場の人間の思いが同じ方向を向いたときに」
と書きましたが、その根底にあったのが坂本光司さんの著作やインタビューでした
この人は、日本中のいろんな会社を訪ねて回って
『日本でいちばん大切にしたい会社』
『なぜこの会社はモチベーションが高いのか』
『 大切な人に伝えたい 私の心に響いたサービス―リピーターを呼ぶ感動サービス』
などといった本を著しているのですが
共通して繰り返し主張しているのは
「いい会社は従業員を大切にしている。地域・社会貢献をしている」
「安心して働けることで従業員は誇りを持ってお客様に接する」
「お客様はそんな従業員や会社を信頼し、贔屓にする」
「だから会社は発展する」
ということなのですね
社長だけが「お客様第一主義」と言って従業員をこき使っては駄目で
直接お客様と接する従業員を大事にすれば
従業員がその報酬の源をくださるお客様を大事にする
というわけです
翻って『スパリゾートハワイアンズ』です
ご案内の通り、常磐炭鉱から生まれた会社です
常磐に限らず夕張や筑豊にも「炭住」という大規模な社宅群があって
危険と隣り合わせの職場で働く人々をコミュニティ全体で
守り合い、支えあっていた歴史が企業風土としてあるのですね
この会社と従業員、従業員やその家族の信頼の絆があるから
従業員のモチベーションが高まり、現場の判断で次々と適切な対応がなされ
「お客様を無事に帰す」というミッションが達成されたのでしょう
平成6年前後、バブル経済が崩壊して団体客の足が遠のき、苦しい時代があった。当時、社内でも、自前でフラガールを養成し、かつショーを維持することが、はたして合理的かどうかという議論があったという。仮にハワイからダンサーを呼んでくれば、年間1億円ですむ。自前でやると年間4億円かかる。 しかし斎藤(社長=まつお註)は、この3億円の差がお客様に与える感動の度合いになっていると考え、譲らなかった。いま、斎藤は確信をもって、こう思う。 (もし、あのときハワイからダンサーを呼んでやっていたら、今回の危機はとうてい乗り越えられなかった)
現在、フラガールのほとんどは地元出身だそうですが
以前には他県出身の子も半分くらいいた時期もあったそうです
しかしなぜか、他県から来た子は長く続かなかったそうです
2年くらいで辞めてしまい、定着率が悪かったそうです
さらに地元の高卒の子の就職率を何とかしなければということもあり
結果として、今は地元出身者が圧倒的に多くなったそうです
彼女たちの中には、今回の震災による津波で家が流された子や、原発の被害を受けた子が5人います。彼女たちは自分の目で津波の被害やハワイアンズがやられた状況を見て、自分たちの故郷を何とかしなければならない、自分たちが頑張らなければならないと思ったんでしょうな。初代のフラガールたちが、崩れ行く炭鉱社会を何とかしなければならないと思ったのと同じですよ。 全国キャラバンをやるぞという指示は出したが、それだけでできるものではない。あの厳しい巡業を成し遂げたのは彼女たちの、故郷いわき、福島を何とかして復興させなければならないという情熱でしょう。以前のように、地元と他県が半々くらいだったら、途中で空中分解していたかもしれません
もちろん他県出身者がすべて駄目だと決め付けるわけではないでしょうが
フラガールのみならず、従業員が打算ではなく心意気で動いたことが
この難局を乗り切った(実際はまだまだ楽観視できないのですが)底力なのでしょう