社会の窓
数ヶ月ほど前から時々...
いや、「時々」よりはもう少し多いかな
といって「しばしば」では多すぎるような気もするし
でもそれは自己弁護で、ちゃんと現実を直視しなければ...
何を言っているかといいますと
最近、「ズボンのチャックの上げ忘れが多い」のであります
クルマの運転席に座ったり身をかがめたりしたときにパカッと開いて
チャックを上げていないことに気づいて慌ててしまうのですね
ただ、トイレで用を済ませたあとに忘れるということは無く
朝起きたときとか、服を着替えた際などに忘れてしまうのです
ズボンに足を通す
お尻をすっぽりと入れる
フロントホック(ボタン)をかける
チャックを上げる
ベルトを締める
という、ほとんど無意識に行っている一連の動作の中で
「チャックを上げる」という手順が欠落してしまうのですね
これはいったいどうしたことなんでしょう?
子どもの頃、独りで着替えができるようになって以来
何千回、いや何万回と繰り返してきた動作なのに
急に手順が狂うようになったんですよ
この歳になって...この歳になったからこそ?
たとえば、ズボンを穿いた後にやろうと思っていることに気をとられ
うっかり手順を飛ばしてしまうというのならありえそうです
でもそれなら「たまに」という頻度でしょう
こう「ちょういちょい」やってしまうというのは...
これまで町の中で社会の窓を開けたまま歩いている老人を見かけることがありました
いまやワタクシは彼を笑うことができません。もはや他人事ではないのです
なぜチャックを上げ忘れるのかという理由はともかくとして
そういうことが起こってしまうのだということは充分理解してしまったのでした
コメント
トチロウ
「上げ忘れ」の人に対して
「お知らせ」した方がよいかどうか
かなり迷うことがあります。
他の人がいなければ「こそっと」お知らせしますが
そうでない場合は・・・どうしようか?
まつお
▽トチロウさん
「チャックが開いていますよ」ではあまりにもあからさまなので
「社会の窓が開いていますよ」という言い方が生まれたのでしょうが
これは誰もが知っていますのでちっとも隠語になっていませんよね
ちなみに英語では「XYZ」と言うそうです
「Examine your zipper.(あなたのチャックを調べてみてください)」
という言葉の略語らしいのですが、洒落ているなぁと思います
ちなみに、ワタクシは今日だけで2回も上げ忘れてしまいました
いっそのことチャックの無いジャージを穿こうかと思ってしまいます