のぼうの城

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先週末は3連休でした
初日の朝、前から見に行こうと思っていた映画が地元の上映の最終日だったので
この日を逃すと後が無いとばかりに行ってきました...『のぼうの城』です
なにしろ仕事場が行田と縁の深い会社で、ある意味、とっても身近な話題なのですね

原作となった小説は、ベストセラーになったあと図書館で借りて読み
昨年の秋、映画が封切られる直前に再読していました
そして映画を見て感じたのですが
やっぱり役者や監督は大変だなぁという、まぁ当たり前といえば当たり前のことでした

主人公の「のぼう様」こと成田長親は
何をやらせても駄目、頼りないことおびただしいけど
なぜか民百姓に不思議な人望があって、慕われる人物とされています
それを物語るエピソードが織り込まれ、登場人物にもそういう感想を喋らせています

でも、それだけではない不気味さがあるのです
それが彼を「侍」として、そして「リーダー」として成立させている部分なのですが
小説でも映画でも、ハッキリとは示されていません

以前こんなことがあったというエピソードとして
甲斐姫に一目惚れした靭負に釘を刺そうと和泉がこんな話をします
城下の百姓女を手籠めにした侍を、姫が一刀のもとに刀を持った小手を叩き斬り
返す刀で首をはねたというのです
まぁこれはこれで甲斐姫の武芸に秀でたところを伝える意味合いもあるのですが

「だがな、討たれたそいつの門人どもは収まらねえ」
 門人どもが男の屋敷へと集結し、成田家に対して敵対の気勢を示したのだ。
「それを収めたのが、あの長親殿よ」
 長親は夜中ひとりきりで、のそのそと男の屋敷に出向くと何やら話し込んでいる風だったが、やがて屋敷から出てきて城に帰ると、「もう平気」と、甲斐姫にいったという。
 事実、翌朝には屋敷から門人は消え去っていた。よほど動転したのか、家財道具から当時としては貴重なはずの衣類まで置き去りにしての逃散であった。
 屋敷で長親が何を言ったのか和泉は知らない。『成田記』にも、その記録はない。

これこそが長親のキャラクターを決定する重要なエピソードだと思うのです
しかし彼がどうしたかは示されてはいません
でも、役者も監督も、この答えを出さなければ役作りはできないと思うのですね

物語の半ば過ぎ、水攻めにあって膠着状態の忍城に百姓の斬殺体が流れ着きます
降(くだ)るというので長親が城から逃がしてやった彼らを
石田三成の軍勢の誰かが切り殺し、見せ付けるかのように小舟に乗せて城に送ったのです
今風に言えば、戦線から避難しようとした非戦闘員を殺害したわけですね

ここから事態が急展開します

「わしは悪人になる」
 正面を見据えたままいった。その顔は、おもわず丹波が後ずさりするほど残忍な顔に変わっていた。

でくのぼうだの馬鹿だのと言われた長親が、この表情になれるのも
あのエピソードがあってこそだと思うのですね
そうなるとますます狼藉侍の屋敷で何があったのかが気にかかります

映画としては
合戦シーンとか水攻めの水が流れ込むシーンが迫力があって面白かったけど
小説を読んで一番痛快だったのは、ラストの開城についての交渉です
  もちろん映画でも面白く仕上がっていました
敗戦ではなく和睦である、というプライドのある忍城軍からも二つの条件を出します

「あの二度目の戦で撒き散らした土俵(つちだわら)ですな。あれを片付けてもらいたいんじゃ。百姓の皆が田植えができぬでな」
「心得た。ふたつめは」
 そう問われるなり、長親の表情は一層、掴みどころがなくなった。
「左様。貴殿の軍勢には、降(くだ)った百姓を斬った者がおる。その者の首を」
 低くいった。聞く者によっては、底冷えするほどの残忍な声音である。

田んぼを元に戻せというとぼけたという要求と、卑怯者を罰せよという怜悧な要求
痛快ではあるけれど、ここでもやっぱり長親の得体の知れない不気味さが覗きます

いやぁ、本を書いた人はどこまで具体的なイメージを持っていたのか判りませんが
役者と監督はスクリーンに表現しなければ映画になりません

ワタクシ、めったに映画を見に行きませんが
これは楽しませていただきました

引用部分は小説『のぼうの城』より
 

ところで、この映画には知っている人が2人出演しています(はずです)
一人は工藤行田市長...エキストラで出ているはずです
行田ロケの際に出演したらしいのですね
映画公開時にサプライズ発表するためなのか、撮影の際には報道陣を遠ざけて
事前に知れ渡らないようにしたという噂を耳にしました
そんなふうに評判が立たないようにしたところに
映画の公開が一年延期になったことも加わってすっかり忘れてしまっていたのですが
今回見に行く直前に思い出して画面を探してみました
...でも判りませんでした。ひょっとして噂だけで、実際は出てなかったかもしれません

もう一人は、昨年『SPACE結』で篠笛の演奏を聞かせていただいた村山二朗さんです
この人の場合は「野村萬斎さんの後ろで笛を吹いています」と聞いていたので
探すのは簡単でしたが、夜の暗がりの中でヒゲのある横顔がチラリ
あらかじめ聞いていなければ判らなかったでしょう

ワタクシも以前『歓喜の歌』という映画のロケにエキストラで参加したことがありますが
上映された作品にはひとコマも写っていませんでした
編集や広報のスタッフも含め、映画は圧倒的多数の「その他大勢」で作られているんだと
しみじみ思うのであります
本編のストーリーが終わると席を立つ人がいらっしゃいますが
エンドクレジットを最後までしっかり見ることが、作り手へのエチケットだと思います