11月25日、土曜日
皆野町にあるライブハウス、ホンキートンクに
泉谷しげるサンがやってきます。4月22日です
本日が予約開始日だったのですが
あいにくワタクシは仕事中
というより忙しくてすっかり忘れていました
ハッと思い出して時計を見ると
受付スタートから1時間半ほど経っています
席を立って休憩室に行き電話したら...出ません
でもまぁ着信履歴を見てくださったのか
ほどなく折り返しでかかってきて
「あと2枚くらいだよ」
...なんとか確保できました。(^^)v
題名になった日付は、「前回」泉谷サンを見に行った日です
これまで1回しかありませんから「初めて」と同義でもあります(笑)
何年の? と言いますと
実はワタクシ、中学2年生だと思っていたのですが
カレンダーを見たら11月25日が土曜日だったのは3年生の年でした
日付と曜日は覚えていたけど、年は記憶違いしていたようです
1972年11月25日...45年も前になります
当時ワタクシは佐賀県の鳥栖という町に住んでいて
あのころですから土曜日も午前中は学校があったわけですが
帰宅した後、鹿児島本線の電車と西鉄の路面電車を乗り継いで
福博・長浜にある九州朝日放送(KBC)に出かけたわけです
福岡市は那珂川を境に城下町・福岡と商人の町・博多に分かれるのですが
「福博の街」は両方を表現できる呼び方です ⇒ 参考
それと、ワタクシの年代くらいまでは「福岡」というのは「福岡県」で
「福岡市」は「博多」と呼ぶ人が多かったように思います
ですから、「長浜」は「福岡」に位置するんだけど「博多」と言いたい
でもそれは厳密には違っているから「福博」と書いたのですね
...ううむ、鬱屈してるなぁ
KBCはラジオとテレビの放送局で
土曜日の午後は『ザ・ビッグサタデー』というラジオ番組と
夕方の『パンチヤングFUKUOKA』というテレビ番組が公開生放送をしていて
東京や大阪からゲストが来ると、両方に出演させるという有効利用をしていたのですね
「あの泉谷が来る!」
色めき立って出かけて行ったのです
...でも、同級生で他に行ったやつはいなかったなぁ
『ザ・ビッグサタデー』は、お昼から6時くらいまでやっていたのでしょうかねぇ
サテライトスタジオをガラス越しに見るのではなく
観客もスタジオの中に入って観覧できるスタイルでありましたが
ドアが開けっぱなしで途中の出入りは自由
ですから学校が終わってから電車に乗って出かけて行ったワタクシでも
大物ゲストが登場する時間までにはスタジオに入れましたし
テレビの方のスタジオが開いたらゾロゾロとそちらに移動できるのです
さすがにテレビの方はひな壇状の席に最後まで座ってなければ、でしたが
というような土曜の午後の過ごし方を何回かやったのですが
記憶にあるゲストは泉谷サンだけなんですね
あとは誰が来た時に行ったのか、遥か40年の忘却の彼方です
どつき漫才の庄司敏江・玲児はレギュラーだったしなぁ
特に有名なゲストが来なくても遊びに行っていたような気もします
まぁそれだけに、こうして日付まで記憶に残っているということは
ワタクシにとっての大事件だったのではないでしょうか
と書いておいてナンですが
当日のことって、あんまり覚えていないんですよ (^^ゞ
『ザ・ビッグサタデー』のスタジオで
泉谷サンが入ってきてコマーシャルに切り替わったのですが
手持ち無沙汰というか観客に囲まれた照れ隠しなのか
椅子に座った彼の目の前にあったスタンドマイクのポールを伸ばし
マイクを頭上高くに動かして遊んでいたところでコマーシャルが終わり
ポールを縮めようとするのですが引っかかったのか動かない
焦りながらもなんとかマイクを顔の前に持ってきた、ということがありました
『パンチヤングFUKUOKA』の本番中
その日は他に、どこかの高校のコーラス部が出演していたのですが
泉谷サンが「春夏秋冬」を歌っている間
そこの顧問の先生が、聴きながら何度もうなずいていたのが印象的でした
と、覚えているのがこの2点だけ
いや、これだって何度も反芻しているうちに脚色されてるかもしれません
どなたかこの記事がお目に留まって
記憶違いを訂正してくださると幸甚です
45年経った今年の4月22日という日付も
こうやってワタクシの記憶に深く残るのでしょうか...
それ以前に、当日忘れて出かけそびれることが無いように
ということの方が心配だなぁ (^^ゞ