しれとこで夢を...
もう34年経とうとしていますが
以前、こんな文章を書いたことがありました
知床100平方メートル運動について、知るところを記す。初めて聞く人は感動しながら読むように。(よく知っている人は、多少の間違いにうひゃひゃと笑うことを許す)
北海道は知床半島のオホーツク海側に岩尾別(岩宇別)という場所がある。大正の頃開拓の鍬が入ったが、なにせまったくの未開地で、交通不便井戸掘困難医者不在教育機関未整備という有様で、大正8年頃農家数のピークを迎えると同時にもう脱落が始まり、あげくにバッタの大発生で残った農家も次々と離農、とうとう大正の終わりには全員が退去してしまったのだよ。
昭和になって、それも戦後、国民の食糧確保と失業対策という問題を北海道開拓と結びつけて、再び岩尾別にも入植者が入っていったわけなんだ。ところが、この開拓農民の生活は依然として以前の人々と大差ない。憲法で保障する「健康で文化的な最低限度の生活」さえ送れなかったのだからひどいものじゃないか。何年かやってみて、結局ここは石だらけで作物がよく採れんからと肉牛を導入したものの売りに行くには町は遠い、澱粉工場を作ったが採算割れで操業停止、とまぁ悲惨なものなんだ。
ふと気がつくと我が国は高度成長期、町へ出れば簡単に金になる仕事もあるじゃぁないか。それに国立公園になったせいか、この近所でも観光客の姿を見掛けるようになってきた。いずれここいらにもホテルができるだろう。と、土地を売っぱらったり放っぽりだしたりたりして次々と離農、栄華どころか開墾しそこねた荒地だけが残ってしまったのであるよ。
その残った土地について、こう考えた人たちがいた。人間が自然に挑戦して負けたのだから、ここは素直に自然に返してさしあげるのが一番ではないか。そして町の予算で土地を買い上げ始めたのだが、小さな町では予算が足りない。国立公園内で、もともと国が払い下げたのだからと環境庁(当時)に買ってくれよと頼んでみたが、一度払い下げて人手が入った土地は買えないという。そうこうするうちに民間の観光開発業者が札束を積み始めた。連中の手に渡ると望ましくない結果になることは目に見えている。
その時ひらめいたのがイギリスのナショナル・トラスト、みんなで金を出し合って買おうではないか。100平方メートルにつき8000円、植林もして永久に保存してしまおうというこの運動、当初は勘違いもあったらしい。牧場をやりたい、別荘を作りたい。いやそうではなく、みんなはお金を出すだけ。登記もしないで町が管理をするのです。それなら寄付みたいなものだが、単なる寄付ならばお金を出してそれっきりという気持ちになってしまうことが多い。あんた、赤い羽根の決算報告をちゃんと気にしてるかい。この運動の意義は、お金を出した人は将来にわたってこの土地を守ることを決意し続けてほしいのだということにあるんだなと思うんだな。
しかしそれでは所有関係その他が不明確だというわけで法律論が起こってきた。この国にはこのような企画を保障する法律がなかったのだよ。すったもんだの末にこれは公益信託だということに落ち着き、お金を出した人や町の権利や義務がハッキリした。といっても詳しい内容は僕に聞かんでくれ。
法律論争は無駄ではなかった。全国各地で起こりつつあった同様の運動がやりやすくなったのだ。道東の田舎町から全国に、自然を守る力が拡がってきているのだ。
というところで終われば美談だが、この運動に対して不満やわだかまりを持っている人々が地元斜里町にもいることを知っていてほしいのだよ。それは、夢破れた開拓者たちだ。苦労に苦労を重ねてきた土地が何事もなかったような森に戻るなんて...道路さえあれば町から物資が運べるし、僅かばかりだが生産物も出荷できる、何度陳情しても聞き入れられなかったのが、彼らが去り観光客がやって来るようになると道路工事が始まった...あまりにも虚しいではないか、やい。
岩尾別は完全に無人の地となったわけではない。どうしてもこの土地から立ち去り難かった老人が、もともと若者が好きだったこともあって、ユースホステルを始めた。今、開拓三世の代にあたる若いペアレントの気持ちは祖父ほどかたくなではない。この運動に賛成し、単に整然と植林された人工林ではなく、原生林の姿にまで戻してこそ意義があると思っている。しかし、それでもなお開拓農家の苦労の跡が埋もれてしまうことには反対している。祖父たちの苦労を後世に伝えてゆくべきではないかと。
【参考】
『知床で夢を』
『知床で夢を』発刊委員会
北海道 斜里町『しれとこ通信』
北海道 斜里町『ムツゴロウの素顔』
畑正憲
読売新聞社『明るい農村・11000人の知床』
NHK・TV
1981(昭和56)年6月29日放映
以上、『こないだ』第19号(1984.12.5)より
実はワタクシもこの100平方メートル運動に賛同し
8000円を拠出した一人であります
...が、この文章を書いた後すっかり関心を無くしていました
この運動の意義は
お金を出した人は将来にわたって
この土地を守ることを決意し続けてほしい
と自分で書いておきながらね (^^ゞ
活動報告誌である『しれとこ通信(現・しれとこの森通信)』は
毎年、実家に届いていましたが
住所が変わったという連絡をしていませんから
実家に行ったときに「お前に何か来てるよ」と受け取っても
封を開けて読んではいませんでした
昨秋、34年ぶりに北海道に行って
何か心境の変化があったのでしょうか
数日前に息子が「おばあちゃんから預かってきた」
と持ち帰った『通信』を
1ページ目から読んでみました
運動は着実に発展し
すべての土地の取得を終え
今はそこを原生林に戻す活動を継続中とのこと
もちろん、現在かかわっている人の誰もが
この運動の終わりを見届けることはできません
「しれとこで夢を買いませんか」と始まった運動は
「しれとこで夢を育てませんか」になっていました
今は一口が5000円だそうです
この壮大な運動に
自分も参加していたことを再認識したのでした
で、ささやかな応援、になるのかどうかですが
この運動のことを書いてみました
ご興味があれば公式サイトをご覧ください⇒クリック
ところで、登録証書があったはずだよなと
実家に行ってみたら、額に入れたものが天袋にしまってあり
見たら、登録日が1981年4月30日となっていました
...ああ、そうだったのか!
この日付は、ワタクシが大学を卒業して就職し
初めての給料をもらった4日後じゃぁありませんか
初月給の記念だったんだな...そんなことさえも忘れてました