もうひとつの理由

先の記事で、ボジョレヌーボーに関して

「赤ワインは苦手」「ワインの新酒は甘すぎて嫌だ」
という理由で興味の範囲外と書きましたが

「踊らされているみたいで嫌だ」
というのもあります

本来は収穫祭…それでいいんですよ
生産地の村人たちが神の恵みに感謝する
もちろん共感(共歓)する消費者がいるのも自然ですが
だったら産地に行って肩を組んで乾杯すればいいじゃない
それを日付変更線のこっち側で「世界一早く飲める」って
勝手にはしゃいでどうするの?
作った人に失礼じゃありませんか

なぁんて気持ちがあるのもだから
つい、この騒ぎには背を向けたくなってしまいます
ワイン自体に罪がある話ではないので、申し訳ないなと思いつつ


あ、それとね
もうひとつ理由があったみたいです

ワイン、収穫祭というキーワードから
どうしてもあの話を思い出してしまうんですよ
持ち寄りワインが水になった例の話を

いや、実際に瓶の中身を疑っているわけじゃぁないんですが
どこか心理的なブレーキになっているのかなぁと
かめさんのブログ記事でコメントのやり取りをしているうちに
そんな気がしてきました

 とある小さな村。そこでは、祭りの日、村人達がそれぞれワイン1びんを持ち寄り、村の広場に置かれた大樽に注ぎ入れ、祭りを盛り上げることになっていました。 「それにしても、もったいないことだ」と、ある酒飲みは考えました。 「あれだけの大樽だから、1人くらい水を入れたって、かまわないだろう」  さて祭りの日、いよいよ大樽の栓が抜かれる時がやってきました。  なんと、出てきたのは、正真正銘の水でしたとさ。