板垣死すとも

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前の記事の最後で名前が出てきましたが、板垣退助といえば100円札の肖像の人物です
なぁんて書いても今の人は知らんだろうなぁ

100円硬貨は1957(昭和32)年に発行されましたが
  現在のものとはデザインが違う
それと並行して100円紙幣も発行されつづけたのですね
1966(昭和41)年に閣議決定で廃止が決まったそうですが
実際には1973(昭和48)年まで発行されていたという話を読みました

確かにそうですよ
ワタクシは1974(昭和49)年の春まで九州に住んでいましたが
100円玉を使った記憶がほとんどないのです

あのころ、宮崎以外の九州では100円玉を流通させていなかったらしいんです
東京から来た人が100円玉を使って買い物しても
やがて商店から銀行へと戻った時点で再び市中に出ることは無く
東京に回送されていたのです

  宮崎が例外だったのは、当時新婚旅行のメッカで
  東京から100円玉を持ち込む人が多かったからだと聞いています
  見慣れぬ100円札では使い勝手が悪いという配慮でしょうか

ですから、北九州地方で普通に生活していると
100円玉を目にする機会なんて無いのですね
旧デザインの100円玉は1967(昭和42)年に今のデザインに変更されましたから
ワタクシは一度も使ったことがありません

通常硬貨の100円玉のほうが東京オリンピック記念硬貨より珍しかった

そんな九州でもいよいよ100円札を廃止する日がやってきました
ところが、どういう都合なんだか佐賀の日銀だけは一ヶ月延長して流通させたのです

「佐賀市内の銀行に行って帯封つきの札束(100枚)10個に両替し
 博多の古銭商に持ち込むと11万何がしかで買い取ってもらえる」

ある日そんな噂が流れました
電車賃を使ってもたった半日で1万円以上は儲かる話です
だけど、当時の中学生にとって元手の10万円はあまりにも高額でした…


ということは、今じゃ考えられないけど
自動販売機ってのは10円玉しか使えなかったんでしょうかね
金種を区別するとか、お釣りを出すメカがなくても作れますから
…まぁ自販機といっても当時は種類が知れてましたけどね