続・誰にも同じように
熊谷UDブロックに気づいたのは、去年の秋頃だったかなぁ
仕事場に向かう道で、駅周辺の交差点でした
青くペイントされたのが意味ありげで
いったい何なんだろうなぁと思っていたのですが
今年になってニュースで毎日新聞社の賞を受賞したことを知り
ああ、なるほどなと判ったのでした
最近になって設置される交差点(横断歩道)が増えてきているみたいです
道を走りながら「ああ、ここにもあるんだなぁ」と見つけます
まぁそうやってあちこちに設置されるようになると
中には既設の構築物と干渉しあう場所もあるわけで
初めからトータルに交差点をデザインしたわけではないのですから
ある意味それは現時点ではやむをえないのかもしれません
というわけで前の記事の写真は
意地悪く書いてしまいましたが、そんな例です
クルマで走っていて「やけに電柱が近いなぁ」と見えてしまったのでした
UDブロックの話はひとまずここでお仕舞いにして...
前回の記事に対し、エンドウマメさんが
永六輔さんの話として長谷川きよしさんの言葉を紹介してくれました
音が出る信号機に「視覚障害者用信号」と書いてあるが
視覚障害者は、読もうにも読めない。作った人の、自己満足だろう
このお二方、以前よく一緒に仕事をしていたそうで
ワタクシも愉快なエピソードを知っています
(永さんの口調を想像しながら読んでください)
暗転といって舞台の照明を落としてセットを変えたり出演者が移動するんですが
もぉ、真っ暗になるわけですよ
でもって舞台には椅子とかマイクとかがあるから危なくてしょうがないわけ
そしたら長谷川きよしが「永さん、ボクにつかまりなさい」って
彼は暗いところでもスイスイ歩けるんですね
次に紹介する話も、やっぱりこの二人から出た話だったのかなぁ?
ちょっと自信がないのですが...
よく繁華街などに音の出る信号機が設置されているが
実は、そういう場所では周囲の人の気配で
今道路を渡っていいのか悪いのかは判るものだ
本当に音の出る信号機が欲しいのは
周りに人がいないような町外れなのだが
そんなところには設置されていない
もうずっと前の話ですが
ワタクシの住む町の駅前通りの信号が
いくつか音が出る信号機になりました
そのときの市報で知ったのですが
東西方向と南北方向ではメロディが違うのですね
…そりゃそうだ
スクランブル交差点でもない限り
渡っていい横断歩道が区別できなくてはなりません
確かにその通りで、もっともな工夫なのですが
問題なのが、そのときの市報を読んだ人しか知らないということ
いや、読んだワタクシだって、どっちがどっちの曲なのか
じきに忘れてしまいました
コメント
エンドウマメ
マメの友達の息子さんが、筋ジストロフィーで・・・車イスの生活を
送っています。 小4ぐらい?で、阪神タイガースが大好きなので
足が悪くならない内に、歩いて京都から甲子園球場まで歩く旅に
出かけました。 でも途中から車イスに乗りながら、2年ほどかけて
昨日、甲子園球場に到着して、大好きな赤星選手が出迎えてくれたそうです。
いろいろ話を聞くと、車イスで上がれない段差や、歩道が車イスよりも
狭かったりして、すごく大変だと聞いた事があります。
結局、机上の空論で・・・お偉い人が考えるんでしょうね。
yattokamedagaya
ユニバーサルデザインは全ての人ができる限り利用可能なデザインという概念だから、身体の不自由な人や高齢者の方だけを考えているわけではないんですね。例えば上の写真の点字ブロック誘導板も、目の悪い人には必要でも車いすには邪魔なもの。自転車で転ぶこともありますからね。だから扱いが難しくて、業界的にはユニバーサルデザインの説明には、身障者イメージの写真やコピーは使わない方が無難らしいです。
私のような素人にはユニバーサルデザインはいまいちピンと来ない。身体の不自由な方や高齢者をもっと強調してもいいと思うんですが。今仕事でちょっとそれ関係のことをやっているんですが、何となくキレイゴトだけ言って逃げているような言葉の資料が多いように感じます。
TodomatsuHouse
▽エンドウマメさん
以前、車椅子で遊んだことがあります
「遊ぶ」と言うと不謹慎かもしれませんが
特別な道具だという気持ちを捨てる意味では良いことだと思うのです
それに、いつか自分だってお世話になるかもしれないし...
でまぁウイリー走行なども少しはやってみたのですが
自分はまだ足で踏ん張ることができるわけですね
膝を動かしてバランスをとることもできる
でも、足が自分の意思で動かせなかったり
足そのものが切断されていたりすると
一気に難度が高くなるなぁと感じました
TodomatsuHouse
▽やっとかめさん
ここ数年、都市や住宅のデザインの分野において
急速に「バリアフリー」という言葉が
「ユニバーサルデザイン」に置き換わっているように感じます
…そう、置き換わっているんです
厳密に言うと、根本的な思想が違っているように思うのですが
単に言い換えただけ、みたいな部分が多いように感じます
と偉そうに言っている自分もよく判らないというのが実情です
suzume-ya3
誰にでも優しい。それってほんとに難しいことですよねえ。
だって段差が無ければ目の見えない方は歩道と車道の区別がつかないけど、そのわずかな段差は、車椅子だけじゃなくてベビーカーや、お年寄りの手押し車(?)にも不親切。
誰にでも優しいって難しいです。
困った人に気軽に声をかけてあげられればいいけれど、今のご時世、時には「怪しい人」って目で見られたりも・・・。
TodomatsuHouse
▽雀屋さん
エレベータに乗るときに周りを観察していると
クルマ椅子用のボタンを押している人が多いことに気づきます
つまり、あのボタンの位置は健常者にとっても押しやすい位置なのだなぁ
だったら普通のボタンをやめて、全部あの位置にすればいいってのが
ユニバーサルデザインの考え方…なのかな?
ところで、あの車椅子用のボタンは通常のボタンよりも
ドアが開いている時間を長くしてあります
ですから、せっかちなワタクシは極力使わないようにしてます
(せっかちなくせに「閉」のボタンは使いたがらないので)