年賀欠礼申し上げます

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今日から年賀郵便の受付が始まりましたね
ニュースを見て、この週末には書かなくっちゃと思った人も多いでしょう
昨年のワタクシは、PCの不調のせいもあったのですが
年末ギリギリに作ったような記憶があります

でも、今年はそういうドタバタとは無縁です

これまでときどき奥歯に物がはさまったような書き方をしていたので
うすうす気づいている人もいるでしょうし
もちろんワタクシから現物が届いている人もいると思いますが
今年は「年賀欠礼」を11月末に出してしまったんですよ


9月に義父が亡くなりました

宗教の教義によっては「あの世で生まれ変わる」「天国に召される」など
むしろめでたいと解釈することもできるでしょうが
遺された者としては、やっぱり淋しく悲しいことです

それとは別に、前にも書きましたが
年賀状はもはや「新年を寿ぐ」挨拶ではなく
近況報告をしあう手段だという思いもあります
身内の不幸と「年賀を控える」ことは別物ではないか
…その考えがずっとあるのです

いずれにしても、こういうときほど誰かと話したい、声をかけてもらいたい
そんな気持ちがあるのです

でも、やっぱり世間体というものもあるから
こちらから年賀状を出すというのもどうかな、と
いろいろ葛藤した末に、やっぱり年賀欠礼を出すことにしたのです



せめてものこだわり、とでも言いましょうか
「喪中につき...」という言葉は使いませんでした

これはまったく自分勝手な思い込みなのですが
「喪中」と聞くと、家の中でひっそりと過ごしているイメージなのです
極端に言うと、世間との関係をも絶ってしまうような

でも、実際は悲しみを抱えながらも社会生活を続けなければいけません
それに人間は悲しみだけでは生きてゆけません
笑いがなければ生きてゆけないのです
通夜や葬儀の日だって、ずっと泣いているわけじゃないでしょ
ふとした冗談に笑ったりするものです

故人の思い出を昇華して楽しいものに変え
思い出を糧にして生きてゆく力をつけてゆく...
ひょっとするとこれが本来の「喪に服す」ことかもしれませんが
まぁとにかく「喪中」という言葉は使いたくなかったのです

  しかし、文頭に書くには便利な言葉だというのは間違いありません
  あれを大きく書くだけですべてが通じてしまいますから

ということで
「今年も残すところわずかとなりました」
という普通の書き出しで始まり
永眠とか往生とかいう来世を感じさせる言葉を使わずに
「私どもでは、九月に○○が死去いたし」
と淡々と事実のみを記し
「はじめて迎える正月は海が好きだった父を偲びつつ
 静かに迎えたいと思いますので
 新年のご挨拶は失礼させていただきます」
と、あくまでもこちらの都合で出さないよとお詫びさせていただきました

はがきの絵柄も海と大空が一面に広がったものを
フリー素材のサイトで探してきて使いました



こんな年賀欠礼を受け取って、中には眉をひそめる人がいるかもしれません
賛否両論あるでしょうね
ワタクシも無理に人に勧めようとは思いません

意が伝わるかどうか判りませんが
あからさまにはしゃぎこそはしないけど
新しい年を静かに迎えこそすれ、来年も元気にやってゆきますよ
そんな気持ちをこめたつもりです

だから友人知人から元気を伝える便りが届くのは歓迎なのです
…それが、お年玉つき年賀はがきなら、なおさら (^^ゞ

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