5つめの「わたしが一番きれいだったとき」

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…安易な題名でごめんなさい (^^ゝ

図書館で吉岡しげ美さんのCDを見つけたのをきっかけに
久しぶりにネットでいろいろ調べてみたところ
沢知恵さんという人もオリジナルの曲でこの詩を歌っていることが判りました
いや、むしろ今の時点では沢さんのCDアルバムの方についての記事のほうが
検索で上位にヒットすることが多いようです

こうなると乗りかかった船です。これも聴いてみましょう
出だしの部分はこのサイトでも視聴できますが
「わたしが一番きれいだったとき」をゆったりと歌い、あとの部分は語り
という構成になっています…半分朗読みたいなもので、ある意味これぞ弾き語り…かな

朗読部分が多いので、どうしても上條恒彦さんの朗読と比べてしまうのですが
上條さんの朗読に感じられた悲壮感というものが感じられません
かといって林亭の歌のようにあっけらかんとしたものでもない
しっとりと優しく語りかけてくる印象なのです

「…ああそうか」

元の詩の初出は昭和32年、茨木さん30歳のときの一編だそうです
彼女が15歳から19歳の間続いた太平洋戦争、20歳で迎えた敗戦の体験が
10年後に詩の形となったわけですが
上條さんの朗読や、これまで聴いた人たちの歌は「詩が作られた時点」
あるいは極端に言うと昭和20年8月15日の心情なのです
それに対し、沢さんの歌は晩年になって往時のことを誰かに伝えようとしている歌だと
そんなふうに聞こえてきたのです

上條さんの朗読を聞いていると終戦後の町並みを写した
色が褪せかかってハイトーンのセピア色になったニュース写真を連想したのですが
沢さんの歌からは孫か曾孫か、幼い子供に語りかける
一人の老女の姿を想像してしまったのです

そう思って聞くと、最後の「だから決めた できれば長生きすることに」というのが
この部分も「結果」ということになってしまいます
この「わたし」は戦後長生きをして
奪われたものを取り戻す、光り輝く人生を歩んできたのか
それとも取り戻せぬまま年老いてきたのか...

そこまではワタクシの想像が至りませんでした

もちろんここで書いてきたことは「ワタクシにはそう聞こえた」ということであって
沢さんがどう思って歌っているかは知りません
ま、こんな感想もあるよ、ということで

ところでこの人、同じCDで
泉谷しげるの『黒いカバン』を歌ってるんですね
…「黒いカバン」を「赤いチャリンコ」に替えているけど

このギャップは凄い!

大きな括りで言えば「反権力」で共通していると言えなくもないけど
これは素直に面白楽しく聞かせていただきました


余談ですが...

「4つめの...」を書いたときに
図書館で吉岡しげ美さんのCDを見つけ、そこで初めて
こんな人も曲をつけて歌っているのかと思ったように書きましたが
いや、実際にそう思ったのですよ、あの時は

ところが今回久しぶりにネットでいろいろ検索していると
2005年3月27日に『幻泉館日録』というブログの記事につけた
ワタクシ自身のコメントがヒットしまして、そこにはなんと
「吉岡しげ美さんという人も歌っているそうです」と書いてある...(^^ゝ
自分ですっかり忘れていました。いやはや恥ずかしい