さようならわが友よ
残ったひとつのパンを 半分づつ分け合って
君はぼくに 明日を語った
なんにもない時には なんにも食べないで
ぼくは君と 夢を見て寝た
どうしてそんなにいつも 話すことがあるのか
話しても話しても つきることがない
まわりの人がいつも 不思議がったけど
夜ごと夜ごとの 語らいだった
さようならわが友よ
君はほんとうに いいやつだった
この世に生まれてきて この世を去る日まで
再び出会うことは もうないだろう
いつの間にか君は 大人になっていたんだね
言葉は同じでも 意味が違うもの
もういちどすべてを 捨ててしまえなんて
ぼくには言えない 言うことでもない
ぼくらは若かったのか それだけのことなのか
小さな違いを 許しはしなかった
怖いもの知らずで いただけのことなのか
あるものすべてを 認めはしなかった
さようならわが友よ
君はほんとうに いいやつだった
この世に生まれてきて この世を去る日まで
再び出会うことは もうないだろう
このあいだ、風呂に入っていたら
ふと、この歌が頭に浮かんできました
頭に浮かんだと言っても、通しで覚えてはおらず
歌詞やメロディを断片的に思い出しただけだったのですが
なんだかむしょうに懐かしく、そして切なくなってしまいました
この歌について評論しているきたやまおさむさんの文章を
ずっと前に読んだことがあったのですが
今はすでに書棚から無くなっています
もういちど読み返したい...そう思うのですが
本の題名が思い出せません
思い出せたとしても、図書館や古本で手に入るかどうか
そのきたやまさんと、作詞の笠木さんが二人並んで歌ったのが
この歌を聴いた唯一の記憶です
21年前の今日、7月19日でした
誰か、もういちどワタクシの前で歌ってくれませんか
コメント
まつお
実はこの文章、数日前に書き上げて
「指定日投稿」しておいたものです
わざわざ指定までした7月19日午後2時というのは
ワタクシがこの歌を聴いたコンサートの開始時刻で
たまたま数日前に思い出したときに日時が近いことに気づき
だったらそれに合わせてみようとこだわってみたのです
で、実際の2008年7月19日午後2時はどうしていたかというと
歯医者の予約をしていたのを忘れて外出しており
ポケットの携帯電話にセットしておいたアラームで気がついて
あわてて家に戻る途中だったのです
歯医者の駐車場にクルマを入れ、同乗していた子供たちに
「あとは歩いて帰ってくれ~!」
エンドウマメ
誰が云われたのか忘れましたが・・♪残った1つのパンを・・と
云う箇所で、ある人は1つしか無いパンを分け合って食べたと
理解する人がいたり・・たくさんあるパンを食べつくして、最後に
残ったパンを、まだ食べたいから・・と云って分け合ったのかで
意味合いが違って来る・・と分析された方がいました。
笠木さんが書かれた詞なのに、その意味合いを理解出来ないとは
愚かだなぁと思っていた・・あの頃が懐かしい。 昔はよくこの歌を
歌ってくれていましたが、最近は殆ど聞く事が出来ません。
まつお
▽エンドウマメさん
その「たくさんあるパンを...」って言った人は
『マイ・ランブリン・ボーイ』を聴いたことないんじゃない?
中山容さん訳詞のあの歌を聴いた人なら
これはその日本版だって気づきますよ
それはそうと、この歌に触れたきたやまさんの本
あれは講談社現代新書の『ビートルズ』だったような気がします
でも、だとすると
あの頃きたやまさんにもビートルズにもそれほど関心がなかったのに
何故そんな本を持っていたのかが不思議です