ビートルズが教えてくれた
「ああ、やっぱりこの本だった...」
ずっと前に読んだきたやまおさむさんの本に
笠木透さんの『さようならわが友よ』という歌を引用した一節があって
ただ、あまりにずいぶん前で今はその本も手元になく
どういう話の流れでもってその引用がなされたのか
...数年前から時々気になって思い出そうとしていたのですね
本の中には、たとえば岡本おさみさんの
『ビートルズが教えてくれた(歌・吉田拓郎)』などの歌詞の引用があるのに
直接ビートルズとは結びつきそうにない
笠木さんの歌を引いてきたのが印象的だったのです
で、このたび目星をつけていた本が東松山の図書館にあったので
借りてくるや否やパラパラとページを繰ったところ、見つけました
一九六六年八月二十九日、サンフランシスコのキャンドルスティック・パークでのコンサートを最後に、ビートルズはコンサートという〈祭り〉の場から退場した。そして、こんどはわれわれが祭りを実行する番になったのだ。
私たちのバンド〈ザ・フォーク・クルセダーズ〉結成は、ちょうどそのころということになる。加藤和彦がギターを買うというので、私もいっしょに付いて、京都から特急に乗って東京へ出かけたことがある。新幹線に金を費うよりもギターに回そうというわけで、在来線を利用した。片道八時間半の旅だったが、退屈することなど知らなかった。話しても話してもつきることがない
まわりの人がいつも不思議がったけど
(作詞=笠木透/作曲/田口正和《さようならわが友よ》)中津川フォークジャンボリーという日本の祭りの主催者のひとり、笠木透の歌ったとおり、〈ビートルズ〉になろうとしていた者も、そうでない方法を選んだ者も、みんな、自分の手で〈祭り〉を実行しようとしていたし、そして互いに語ることをたくさんもっていた。
ビートルズが音楽界や社会に対して行った「革命」はいくつもあると思うのですが
その中に「自分たちで歌を作り、楽器を演奏して唄う」というのがあれば
それは日本においてフォークソングというジャンルで受け継がれたと思います
そのムーブメントの一つの頂点であり転換期であったのが
あの『全日本フォークジャンボリー』...その中心人物であったのが笠木透さん
まぁ、そんな単純な図式だけではなく
熱い想いや挫折、人を信じ裏切られ、それでも夢を見、人を愛する
そんな純粋さの中で培われた友情がこの歌にはあふれていると思います
若者の感受性と時代の気分
きたやまさんはそこに共感してこの歌を引用したのでしょうね
...ビートルズの4人の間にそれがあったかどうかは別として
トム・パクストンの『ランブリング・ボーイ』の日本版とも言うべきもので
『ランブリング・ボーイ』は中山容さんの日本語詞を多くの人が歌っていますね
で、今回借りてきた『ビートルズを知らない子どもたちへ』が出版されたのが
2009年の9月...なんだ、全然「あまりにずいぶん前」じゃないよね
と思われるでしょうが
実はこの本、講談社現代新書から出た『ビートルズ』を改訂増補して復刊したもので
ワタクシが読んだのはそちらの方だったのです
出てすぐ読んだわけではないと思いますが『ビートルズ』が出版されたのは
これは今回初めて知ったところによると1987年4月だそうです...ううむ
と唸るのにはわけがあって
ワタクシがこの歌を初めて耳で聴いたのが1987年の7月
きたやまさんと笠木さんが並んで唄っているのを
野反湖フィールドフォークコンサートで聴いたのでした
この体験があるからこそ、きたやまさんが引用したことが印象に残っているのでしょう
合点がいきました
笠木透さんと言えば『私の子供たちへ』『私に人生と言えるものがあるなら』
そして今は『わが大地のうた』がテーマソングみたいになっていますが
私はこの歌も大好きなんですよ
でも、CDとしては遺っていません
おそらく市販されたレコードやテープも無いでしょう
それが残念だったのですが、どうやら我夢土下座がCDにしてくれそうです
今から楽しみです
すっかり忘れていましたが
前にこのネタで記事を書いていましたね (^^ゞ
歌詞はそちらでご覧ください
コメント
エンドウマメ
ボクもそう云えば、きたやまおさむさんと笠木透さんが並んで唄ってる
姿を見ました。 同じく87年7月・・・中津川の椛の湖でした。
それから数年後、京都は岡崎で京都市制100周年記念イベントとして
きたやまおさむさんと杉田二郎さんがプロデューサーとして無料の
コンサートを企画されました。 小室等さんや茶木みやこさんなど
多くのミュージシャンの中に、フォークスの姿も。 懐かしい思い出。