としや(年夜)の晩

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信州.真楽寺2006-2007

信州・真楽寺2006-2007

ワタクシの両親は大晦日の夜のことをそう呼んでいました
俳句の季語に「年夜」や「年の晩」というのがあり
これが一緒になってしまったのでしょう
「夜」を意味する言葉が重なっているのですが
喋り言葉ですから、この程度の文法上の矛盾は許容範囲なのでしょうね

両親の出身地の習慣を引きずっていたのか
大晦日の晩はご馳走を食べるものと決まっていました
夕方、まだ明るいうちに風呂に入り、早目の食卓には
ハマグリのお吸い物が子供の頃の定番でした...一年でこの日しか出てこない

我が家では新年を迎えてからお年玉を貰いましたが
両親が子供の頃は、この年夜の晩に「お歳暮」と称して小遣いを貰ったそうです

今考えると、これは両親が育った地域の風習ではあるのでしょうが
地域全体ではなく、農村部を除いた「町場」の習慣だったのかもしれません
つまり商家や職人の家で、大晦日に奉公人や弟子たちに一年の労をねぎらい
小遣いを持たせて元日は親元に帰すという習慣があったのではないかと思うのです
むしろ元日は主人や親方の家族だけで静かに、質素に過ごしていたのかも

おせち料理だって、ご馳走というよりは「作り置きのできる料理」という
女衆の手を省くことの方が本来の目的ではないかと思うのです


ということを先日来考えていたのですが
昨日買い物に入ったスーパーの店内放送で

「古来、大晦日の晩御飯を『年取りの膳』と呼び
 ご馳走を食べる習慣がありました...」だって

へぇ、そうなの? 初めて聞いた
調べたら、もともと昔は「日が沈んだら一日が終わり」みたいな考えがあって
大晦日の晩というのは新年の始まりみたいなものだったらしいですね
それで、新年を迎える(た)ハレの料理を食べるわけですが
地方によってはその習慣が残っているみたいなんです。なるほど


学生時代や、そのあと社会人になってからは
年夜の晩をたいてい旅先のユースホステルで過ごしていたので
普段よりは豪華なメニューで泊まり合わせた人たちと過ごすことがほとんどでした
後半は小諸ユースばかりでしたが
あそこは大晦日の晩は「おでん」と決まっていて
そのあと「赤白歌合戦」と称する演芸大会で盛り上がり(今はやっていません)
年越し蕎麦を食べたあと厳寒の田舎道を歩いて
真楽寺というお寺まで除夜の鐘を撞きに行くのが決まりでした

結婚して、アパート住まいで、特に子供が産まれて間もない頃は
子供をあやしながら9時には寝てしまっていました

今のこの家に住むようになってからは...
まぁいろいろですね。小諸に行った年もあれば、家で過ごす年もある
ただ、普段からテレビを見ないので、いつもと同じように
PCに向かったり本を読んだり、それでも時計だけは気にしていて
いちおう新年になったのを確認してから寝るという感じです

ここ2年ほどは11時半くらいから近所の神社に歩いて行って
そこで新年を迎えているのですが
今回は父が死んだということがあって、どうも神社方面はよくないみたいです
市内に除夜の鐘を撞かせてくれるお寺があるそうなので
そこに行ってみようかとも思っているのですが
歩いて行くには遠いところなので
年夜の晩のご馳走を前に、お酒を控えなければならないのが辛いところです

信州・真楽寺2005-2006

信州・真楽寺2006-2007
 

今年も駄文にお付き合い戴きありがとうございました
皆さんにとって、そしてワタクシにも来年が素敵な年になりますよう
祈念いたしまして本年最後の記事と...まだ書くかもしれないな (^^ゞ