シンガー・ソングライター

 


あれからちょうど一週間になってしまいましたが 
先週の金曜日に、森圭一郎さんというシンガー・ソングライターの 
トークと弾き語りを聴く機会がありました 

...この「聴く機会がありました」という書き方が微妙でしょ(笑) 

つまり、コンサート目当てで「聴きに行った」のではなかったということですね


その催しは、とある団体が主催する「研修会」
メインの講師として彼が招かれていたわけです
さすがに弾き語りの邪魔ですから演台をどかしてはありましたけど
客席側はスクール形式で机が並び、参加者にはレジュメが配られていたわけですね

聞き手は、人生訓みたいな言葉が出ればメモを取ろうとしている
語り手(歌い手)はなるべくいつもの調子でやろうとしている

そういえば南修治さんのコンサートもこれに似た状況になりますね
南さんご自身は「コンサート」と言ってギターを抱えて歌うのですが
たいていの会場は人権問題・教育問題の研修会になっていて
「それでは南先生にご登壇いただき、講話をたまわる」ことになってしまうのです

この日、森圭一郎さんが話す
というか与えられた演題は「希望に導いた夢」というものでした

実を言うと、彼は交通事故で脊椎損傷をして下半身麻痺、車椅子の生活なのです
そして、その交通事故というのも、道を歩いていて不慮の事故に遭ったというものではなく
暴走族に入ってバイクを走らせているときの出来事...

と書いたら、もう想像つくでしょ
どうやって暴走族から更生したか、歩けないという絶望感を克服したか
なぁんて話を聞かされるんじゃないかと思っていたら、これが全然違うんですね
普通の青年が、普通に努力した話
いや、それはもちろん身体が不自由なのだから大変なハンディを抱えてはいるでしょう
でもね、何かをやろうと思ったら誰だってやらなくっちゃならないことを
彼はちゃんとやってきた...そこが凄いなぁと思うのです

彼も葛藤します
障害者だから健常者の新人歌手よりも目立ちやすく、こういった場にも呼んでもらえる
車椅子をセールスポイントにするのは狡いかもしれない
でも、親の七光りで注目を浴びる二世タレントだっているではないか

彼は知っています
最初はいくら「注目」されても、最後に「評価」されなければ意味が無い

トークの中で彼は何度か言いました
「足は歩けないけど、心は歩いています。走っています」

コンサートが終わって
ワタクシは彼のCDを買い求めました
CDを聞く人には、彼が車椅子に乗っていることは見えません
歌が上手いか下手か、歌に感じるものがあるかないか
それがすべての判断基準です


じつは、この一週間の間に彼の書いた本を読んでみたんですよ
彼がプロデビューを目指してあがいたり、全国縦断ツアーを打つところなど
しばしば彼が車椅子生活ということを忘れてしまうほどでした

  余談になりますが、彼の著書
  最初は買わずに図書館で借りようと思ったのですが (^^ゞ
  近隣の公立図書館で所蔵していたのが熊谷市立図書館妻沼分館だけでした
  (ここはワタクシ、利用登録してないんだよねぇ)
  ...旧妻沼町こそ、彼の出身地なのです。納得