花火大会のシメは、やっぱり線香花火
1978年、というとワタクシが20歳だったわけですが
その年は特に意図したわけでもないけど
2月には日本最東端の東根室駅、8月には最西端の平戸口駅に行くという
日本列島をまたにかける、と言いながら
実は北海道と九州にしか行かなかったのでありました
あとは近隣をチョコチョコ、11月には九州再訪
で、このときワタクシは録音機を携えて旅行をしていたのですね
録音機と言っても今みたいに胸ポケットに入るようなものではなく
ノートPCを2台重ねたような大きさのテープレコーダーと
手持ちのステレオマイク、何本ものカセットテープと予備の乾電池を持って
厳冬の北海道や酷暑の九州を旅していたのです...よくやったもんだと感心します (^^ゞ
旅行中の宿泊はほとんどユースホステルで
当時は「ミーティング」と称する宿泊者が一堂に会する交歓会が夕食後に催されていて
これが厭だと言う人もいたけど、逆にこれこそが楽しみと言う人もいたのですね
...60年代70年代は後者が多かったもので、一部の民宿でも真似していたものです
ワンダーフォーゲルや歌声喫茶の流れでしょうね
前置きが長くなりましたが
8月の九州で泊まったホステルのミーティングが「花火をやろう」ということで
そこは町中の小さなホステルでしたから近所の川原に行って
行く途中のおもちゃ屋で買った花火を楽しんだわけですね
で、このカセットテープ(編集済み)には
おもちゃ屋で花火を選ぶところやら川原で遊んでいる様子が収録されていて
花火を音で聞いても面白くないだろうと思われるでしょうが
これがなかなか面白いのです
もちろん自分がその場に居合わせたからだということもあるのですが
そこにいた人たちの声や会話を聞いていると
その場の様子が目の前に浮かんでくるのですね
なかでも圧巻が線香花火なのです
関西からやってきたという人がいて、彼がしゃべっている内容が
そのまま解説と実況中継になっているのですね
「お、丸ぅなってきた。さぁ、ここからや
.........
ええどええど、あ、落ちるな
落ちるな、もうちょい、ほれ.....嗚呼、落ちたぁ」
ほんと、今まさにその場にいるかのようです
もちろん30数年前のことですから正確な記憶ではなく
ワタクシの想像で作り変えられた情景なのだろうとは思うのですが
あの晩の楽しさがよみがえります
実は、昨日実家に行く用事があったので
ついでに当時の写真を持ってきてここに載せようと思ったんですよ
そしたら、アルバムはあったんですが、この日の写真がないんです
朝食を買った駅のホームの写真と駅弁の包み紙の次が、翌日の平戸島の写真
まぁ色褪せた写真を見るよりも
音を聴いて鮮やかに浮かんでくる動画のほうが
当時のままで懐かしいと言えなくもないですけどね
それにしても線香花火って、花火大会の最後になりがちですよね
初めのほうはどうしても派手めのものばかりやってしまい
最後に「とっておく」というよりも「残ってしまった」感が強いのですが
でも、やり始めると意外と夢中になってしまうのが線香花火なんですよね
そう思いませんか?
~100万本の線香花火~ 深谷線香(千幸)花火大会 2011年8月27日(土)19:10~
「残り」ではなく「シメ」でもなく
線香花火をメインに花火大会を行います
誰でもどこでも参加できます
コメント
kume
でかい重いカセット録音機
ソニーのデンスケでしょうか僕も
あの重いものを持ってコンサートの録音に行っていました
B5サイズのデンスケになったときのほんとに助かったと思いました
B5のデンスケはオーバーホールして2台使える状態で残してあります
九州にもYHを使って良く旅行に行きました
ルノワールYHだけは今でも覚えています
まつお
▽kumeさん
あの頃は蒸気機関車の終焉ということもあってナマ録ブームでしたね
でもさすがにデンスケは高価で手が出なかったので
ワタクシが持っていたのはLL学習用のテープレコーダーでした
(右チャンネルを聞きながら左チャンネルに録音できる)
もちろん英語の発音練習には使わず
家庭でテープデッキとして使っていたほか
段ボールに布を張ったケースを作り、野外録音用にしていたのでした
今にして思えば、よく氷雪の北海道でふやけなかったものです
ところで、この話の舞台となったホステルこそがルノワールYHです
あそこには何度も行き、ワタクシも思い出がいっぱいです