コミューンの泣き声

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今はもう廃刊になっていると思うのですが
かつて『別冊新評』という雑誌があって
毎号1人の作家を特集した、ムックみたいな本でした

で、その中に「畑正憲の世界(第38号/S51.10.10)」というのがあって
当時ムツゴロウさんの本は欠かさず買っていたワタクシですから
もちろんこれも買って読んだわけですが
彼の人物評論や作品紹介に混じって、ちょっと変った記事が載っていました

それは全国にあるコミューンを取材・紹介した記事で
「新しき村」「ヤマギシズム」...「アリス・ファーム」もあったのかなぁ?
他にも、今から思うとカルト的な集団が紹介されていたような気がします
  武者小路実篤が提唱した「新しき村」というのが
  昭和50年にまだ続いていたという事実に驚いたのですが
  実際は今もまだ続いているのだそうです

この記事の趣旨として
「ムツゴロウの動物王国」との対比や共通性を探る
というのがあったのではないかと思うのですが
当時のワタクシには、全然違うじゃないかと思えたのですね
たしかに動物王国にもいろんな人が参加して共同生活しているけど
理念とするところはこれらのコミューンとは違っていると思ったのです

  この記事を書くにあたって調べてみたら
 例に出したコミューンは皆ウェブサイトを持っていましたが
 それを見ていると「新しき村」はともかくとして
 どのコミューンも昔のイメージとは変ったように感じてしまいました


なんで突然こんなことを書いたかというと
でもワタクシにとっては突然でもなんでもなく
実は何年か前から時々思い出していたのです
それはつまり、『山小屋便り』の雑誌連載を読んでいるときに
ふっと頭をよぎってしまうのです

これまでにも書いたことがありますが
ワタクシがこの山小屋に集う人々に魅力を感じるのは
自分が青年時代から親しんできた
ユースホステルの文化に似ている気がするからなのですね
一人旅をしている者たちが泊まり合わせた宿で親しくなって
みんなで琵琶法師を訪ねて行き、次の日は西と東へ分かれてしまう
それで終わってしまう場合もあるけれど
今度はその宿で顔を合わせるのが楽しみで旅に出ることもある

そういえば小諸の宿で仲間が集まって、よく日帰り温泉に行ったものですが
みんなでドドッと押しかけて行って
「あんたがた、どこから来んさった?」「いやぁ、それがバラバラなんですよ」
温泉や食堂の人たちには、職場旅行のグループかなにかに見えてしまうのでしょう
その中で、ワタクシだけかもしれないけど
仲間がふだんの生活で何をやっているかってあんまり気にしていないんです
サラリーマンなのか自営業なのか、外回りの仕事なのか事務職なのか
ややもすると名前や住所も訊かずに何年も付き合っていたりする
それでも顔を合わせて一緒にいるときは「仲間」なんですよね
冗談めかして「一匹狼の群れ」などと言っていましたが
団結すると、素晴らしい力を発揮するのです

これまで何度かこのブログにも書きましたが
それに似たものを「山小屋」に感じていたのですね
このたび単行本になった『瓦礫の下から唄が聞こえる』の中で
佐々木さんは、「血のつながらない新しい家族の形態」という言葉にしています
そう言ってしまうとある種の「共同体」ということになるのでしょうが
「ムツゴロウの動物王国」とも、「新しき村」とも違うコミューンです
「山小屋便り」を読むにつけ、この別冊新評の記事を思い出し
あの時同様、それとは違うじゃないかと思ってしまうのですね

昨年の夏、連載中にこの言葉が出てから気にしてしまう頻度が増えていて
一度書き留めておきたいと思いながら、なかなか書けずにいたのですが
ようやっと書いてしまいました
だからどうだということではないんですけどね (^^ゞ
言葉として外に吐き出しておきたかったということだけです


という話はともかくとして、別冊新評を読み返したくなったな
『畑正憲の世界』だけではなく、もうとっくに手放してしまったけど
その前後に出た『筒井康隆の世界』『星新一の世界』も買ったっけなぁ
...ああ、ちゃんと保存している人もいるんだなぁ


  記事の題名にした『コミューンの泣き声』というのは
  昨年亡くなった友人が出した詩集のタイトルです
  ...いや、タイトルは別で、これはその中の一編の詩だったかな?
  コミューンという言葉を使ったら、この題名が浮かんできて
  関連性は無いのだけど、拝借してしまいました
  彼の詩集は今も2冊は本棚にあるのですが、もう1冊持っているはずなのです
  まだ家のどこかにあると思うのですが、紛れ込んで見つかりません
  これも読み返したい本です


 
 
 
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