アンパンマン、1968
今月の大きなニュース、やなせたかしさんの訃報に接し
自分でも意外というか再認識したのですが
ワタクシにとって、やなせたかしさんという人は
まずNHKで放映された『まんが学校』の先生であり
つづいて『手のひらを太陽に』の作詞者であり
そして『詩とメルヘン』の編集長という認識で、そこまでなんですね
いや、そりゃぁもちろんアンパンマンの生みの親であり
浦和の「浦和うなこちゃん」や多治見の「うながっぱ」をはじめとして
全国各地のマスコットキャラクターをデザインしたことは知ってます
でも、なんだかそれはワタクシが知っているやなせたかしさんとは
別人のような気がしてるんです...ということに今回気づいたんですね
しかしまぁ『手のひらを太陽に』とか『詩とメルヘン』は事実として知っているだけで
ご本人の姿を見て知っているのは『まんが学校』くらいですから
ワタクシの心の中のやなせたかしさんというのは1964年から1967年にかけて
つまり小学校低学年の時にテレビで観た姿のイメージが
ずっとついて回っているということなのです
この番組は立川談志師匠が司会だったので
談志さんと言えば『笑点』よりもこちらを思い出します
『笑点』を見始めたのは三波伸介さんが司会をしているころからだからなぁ
で、このころ我が家では父親が『PHP』という雑誌を購読しておりまして
これにやなせさんが童話みたいなものを一年間連載してたんですね(1968年)
「バラの花とジョー」「チリンの鈴」など
のちに絵本になったり映画化されたりする話がすでに載っているのです
...そして「アンパンマン」もこの連載で登場します
1968年のアンパンマンは、まだ人間の姿をしていて
ですからもちろん顔を食べさせるのではなくアンパンを運んでゆきます
でも、日本の子供はもうおなかいっぱいで
それにアンパンよりもソフトクリームがいいと言います
太った身体で汗だくになってアメリカ上空を飛んでいると
スーパーマンやバットマンたちからヒーローの品位を落とすニセモノと非難され
それでもアンパンマンは飛び続けるのです...どこへ?
戦乱の続く国、食べるものがなく死にそうになっている子供たちのところへです
お腹が減った人を満足させたいというコンセプトはこのころから明確なのですが
太った身体でよたよたと空を飛んだり、子供がアンパンを欲しがらなかったり
どことなく「やるせなさ」を感じてしまうのが、やなせさん「らしさ」なのかと
今になって思うのですね
やなせさんが生んだキャラクターで、ワタクシが大好きなのは「ボオ氏」です
これは1967年に週刊朝日漫画賞を受賞した漫画作品の主人公なのですが
のちにサンリオから『無口なボオ氏』という題で単行本化されたのを持っていました
セリフの無い(作者に言わせるとパントマイムの)4コマ漫画で
山高帽を目深にかぶった全身黒ずくめの主人公の表情は一切うかがえません
内に高い志を秘めたような気もするんだけど、どこか冴えなかったりする主人公に
やっぱりやるせなさを感じてしまうことがあるのです
手元に本がないのでネット検索でボオ氏の画像を探したら
なんと、このブログの過去記事がヒットしました (^^ゞ
やなせさんの作品には時々『ヤルセ・ナカス』という漫画家が登場しますが
このあたりに本音が垣間見えるような気もしますね
子供向けの作家と見られがちですが
実は大人受けする漫画家だったんだぞと
お亡くなりになって思い出した次第です
ご冥福をお祈りします
とあるブログサイトで『無口なボオ氏』の巻末の言葉を見つけました
ぼくの詩も絵もメルヘンも
またその他のすべての仕事も
原型はこの漫画集の中にある
ぼくはここから出発したが
帰っていくのもまたここしかない
コメント
小沢 純
この時代のアンパンマンの本を 友人が持っており、
痩せこけた(やなせたかし氏?)みたいに、食べ物を届ける悲しいヒーローと言う印象を 根底に持っています。
アニメ化にあたり、どういう乾燥をお持ちだったのか知るよしもありませんが。
なにか違うと思い続けています。
まつお
▽小沢さん
そう、ワタクシもTVアニメのアンパンマンは
本来「愛と正義のファンタジー」だったはずのアンパンマンが
「お子様向けのメルヘン」になったような感じがして
どうしても馴染めませんでした
...でも、やなせさんは結構楽しそうにしていたなぁ
昨年、門田隆将著『慟哭の海峡』という本を読みましたが
アンパンマン、というより
やなせさんのバックボーンを垣間見たような気がしました
http://www.kadokawa.co.jp/sp/2014/dokokunokaikyo/