殖民軌道(簡易軌道)

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について少々触れてみたいと思います
しばらく前にアップした北海道旅行記の第11話の中で

茶内駅はかつて浜中町営軌道という鉄道もあったそうで
マニア的には興味深い歴史を持った駅なんですからね

と書きましたところ
Facebookのコメントで北海道在住のIさんから
『釧路根室の簡易軌道』という本をご紹介いただきまして
発行元の釧路市立博物館のサイトを見てみたら
色々と興味深いことが書かれていました

Wikipediaを見るとさらに詳しく載っているのですが
ざっくりいうと
火山灰地や泥炭地などが多い北海道東部・北部で
舗装された道路が未発達だったため
特に融雪期にぬかるんで交通が不能になったりすることから
レールを引いて馬車を走らせたことに起源し
後には機関車や気動車が導入され、酪農家の出荷手段や住民の足として
最初は表題の「殖民軌道」、その後「簡易軌道」と呼び名を変えて
1972年まで存在していたのですね
  ワタクシが初めて渡道したのは1976年でした
「軌道」という名前ではあるのですが
軌道法が規定する路面電車でもモノレールでも新交通システムでもなく
道路の一種、みたいな存在として「鉄道営業」の基準に縛られず
現地の実情に合ったというか、大雑把というか
ある意味バイタリティあふれる運営をしていたようです

浜中町営軌道とブログに書いたときは
そんなものがあったと名前を聞きかじった程度だけだったのですが
なんだか面白そうで市立博物館に本の購入を申し込んだところ
立派な本が届きました

  釧路市立博物館は、1976年の3月に訪ねたことがあります
  当時はまだ郷土博物館という名称だったと思いますが
  炭鉱で使ったのでしょうか、展示してあったツルハシを見て
  ああ、鶴のくちばしに似ているから「鶴嘴」なんだと納得したことを
  今でもよく覚えております
  寒い館内に、入館しているのはワタクシ一人
  あらかた見終えたころに館長さんが事務室に招じ入れてくれて
  ストーブにあたりながらお茶をごちそうになったものでした
  館報のバックナンバーを何部か頂いて...さすがにもう手元には無いなぁ

まだパラパラとめくっただけですが
ページの間からは、入植者の労苦と同時に
それでも明るくおおらかに生きていた時代の雰囲気が漂ってきます
ちょいとこのところ忙しく、図書館から借りた本も溜まっているのですが
早くこの本も落ち着いて読みたいものです


この本を紹介してくれたIさんには感謝、ですね
彼とは恐らく30数年くらい交流が途絶えていたのですが
最近Facebookで動静を知ることができるようになったのです
まぁ正直言って、当時はここまで鉄の人だとは知りませんでした (^^ゞ

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映画『男はつらいよ・夜霧にむせぶ寅次郎』より