大阪のおばちゃん力

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きのう書いた『焼き鳥はいかが』という記事
内容は別として
タイトルは「飴ちゃんどない?」というフレーズの影響を受けています
バスや電車の中で見ず知らずの人にもバッグの中から取り出した飴をプレゼントする
大阪のおばちゃんのセリフということになっています
  実際に聞いたことはないけど

図書館で借りようとした本を持ってカウンターに向かっているとき
通りかかった書架にあったこの本が目に入ってきたので
思わず追加で借りてきました
これまでの経験から、向こうから目に跳びこんでくる本って
結構面白かったり役に立つことが多いものです

「大阪のおばちゃんはI(アイ)に生きる」…着眼点がいいですね
よく、「人という字は2本の棒が寄り添った形になっている
だから人は助け合って生きてゆくのだよ」と
森繁久弥や武田鉄矢の口調で読むとありがたく聞こえる常套句がありますが
この著者は「大阪のおばちゃんは一人でまっすぐ立っている」と断じるのです
  だんじりではありません(笑)
そして「寄り添うのではなく平等な立場で手を取り合ってHに生きる」と

とまぁ、大阪のおばちゃんは自己を確立し
自分に素直に生きているというようなことが書かれていて
それはとても賛同できるのですが
ふと思ったんですよ

「別に大阪のおばちゃんだけではなく、日本中にいるぞ」

ワタクシも全国くまなく旅したわけではありませんが
あちこちでこういった人に出会いました
列車で乗り合わせて、飴ではないけどミカンなどを貰ったこともあります
かつては、こんなに人なつっこくて堂々と自立した人がいたんです

でも、見方によっては「厚かましい」「お節介」と言われ
偏った個人主義によって片隅に追いやられていったのでしょうね
それが日本有数の大都市である大阪にまだ多く生息しているということで
「大阪のおばちゃん」というのが代表格で有名になったのでしょう


やっとかめさんのブログ記事
交差点に落ちて通行の妨げになっていたゴミを拾ったのは
日本人ではなく外国人旅行者だったとありましたが
  正確に言うと、見かねて大きなゴミを拾ったのはやっとかめさん自身で
  散乱していた小さなゴミを拾い集めたのが白人の旅行者

これが梅田の交差点だったら
きっと別の展開になっていたのではないでしょうか


先日、新聞の投書欄で小学生が
「誤ってランドセルの防犯ベルを鳴らしたけど誰も声をかけてこなかった」
というようなことを書いていましたが
世知辛い都会では、防犯ベルは助けを呼ぶためのものではなく
犯人を威嚇するために鳴っているのが現実ですね

かくいうワタクシも、かつて公衆トイレの非常ベルが鳴っているのを
30分も聞いていたことがあり、他人をとやかく言える立場ではないのですが
今度そういう場面に遭遇したら
すぐに駆けつけるか、通報するか、、、その場から逃げるか(^^ゝ
いずれにしても「即行の人」になりたいと思うのであります

…話がすっかりそれてしまいました
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