琵琶法師

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佐々木幹郎さんの新刊『瓦礫の下から唄が聴こえる―― 山小屋便り』を読んでいます
雑誌連載のエッセイをまとめたシリーズの3冊目で
刊行予告を見て、前巻からちょっとペースが速いぞと思っていたら
同時期に他の雑誌に発表されたエッセイや講演録も収録されて
3.11の大震災発生で何を考え、行動し
言葉を扱う者としてどう向き合ってゆくかということを
テーマに据えた構成になっていました

  その都合でしょうか、連載58話が未収録でした
  ...雑誌を切り抜いてPDF化しておいて良かった

で、その雑誌連載ではなかったエッセイの中で
佐々木さんが30年ほど前に九州で琵琶法師を訪ね歩いたというエピソードがあって
山鹿良之さんというお名前が出てきたのです

 いまはもう亡くなられたが、その頃、熊本県玉名郡南関町に山鹿良之さんという肥後琵琶を演奏する八十一歳の盲目の琵琶法師がおられて、生涯極貧に耐えながら膨大な量の語り物芸を伝承し、筑後と肥後地方を巡回して放浪する、最後の琵琶法師と言われていた。わたしはその演奏を調査する国文学者や民俗学者のグループに誘われて、何度も熊本まで通ったのだった。
...ひょっとすると、ワタクシもこの人の演奏を聴いているかもしれません

1978年の8月、ワタクシは九州を旅しておりました
大学のサークルのメンバーと長崎から天草へと旅をして
そのあとフリーになって、筑後・瀬高町のルノワルユース・ホステルに投宿したのです
ここはその3年前にも泊まって、家族的な雰囲気がお気に入りの宿だったのですが
きっと夜のミーティングで付近の観光案内をした際に
「琵琶法師のおじいさんがいるのだけど、聴いてみたい人いますか?」
...30年以上前なのでよく覚えていないのですが、そんな話が出たのでしょう

ワタクシを含めて泊まり合わせた何人かが希望して
といってユースホステルの人が連れて行ってくれるのではなく
電話で予約だけして、あとは我々が自分たちで訪ねて行くことになったのですね
琵琶法師の家までの行き方や謝礼の支払い方法などは
その場の雰囲気でなんとなくリーダー格になったYさんという女性が教えてもらって
翌日みんなでぞろぞろと訪ねて行ったんだと思います

が、この道中が全然記憶に残っていないのです (^^ゞ
瀬高から近かったのか遠かったのか、電車で行ったのかバスで行ったのか
そもそも琵琶法師のおじいさんの名前さえ覚えていません
辛うじて数枚残っている写真を見ると周りを山に囲まれた農村風景ですので
瀬高からは遠かったんじゃないかと思うのです...おっと
帰り際にバスを待っているときにでも撮った写真でしょうか
我々の後ろに自動車教習所の送迎バスが停まっていて
そこに「南関・山川方面」と書いたボードが掲示してあります

...これで佐々木さんが聴いた琵琶法師と同じ人という可能性が高まりました

だとすると、「最後の琵琶法師」と呼ばれたような
貴重な人の演奏を聴いたことになります

平敦盛が出てくる部分を演奏してくれて
この話は地元の熊谷直実が出てくるので興味を持ちやすいんですね
あと、アンコールで新作もやってもらったな...明治維新の頃の話だったような

でね、このときの演奏は録音してあるんですよ
前にも書いたことがあるけど、あの頃テープレコーダーを担いで旅をしていて
このときの演奏も録音してあるのですね
ひょっとすると、テープの中におじいさんの名前が入っているかもしれない
そう思うのですが、カセットテープを再生するプレーヤーがありません (^^ゞ
...クルマもラジオとCDだけになってしまったし

以前娘に買ってやったCDラジカセ、まだ使えるかな?
とまぁ、読書の途中で脱線しております(笑)


 
 
 

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