3つの「わたしが一番きれいだったとき」
今年2月に茨木のり子さんが亡くなった後の評伝なんかを見ていると
やっぱり「わたしが一番きれいだったとき」が一番有名な作品のひとつ
ということになっているようです
さて、これについてはワタクシも中途半端なままになっている記事がありました
かつて南修治さんが曲をつけて歌っているのを聞いたことがあり
上條恒彦さんのCDにも収録されていたので聞いてみたら朗読だった
林亭も歌っているとの情報でCDを入手したが、これは曲が違った
→わたしが一番きれいだったとき
で、最初に聴いた南さんのバージョンを聴き返したいのだが
手元にあるカセットに収録されていなかった
どうやらカセットはもう一本あったようだ
→ようやく解りかけてきた
何ヶ月か前に判ったのですが
友人から貰ったテープはライブ会場で録音した2本以外にもう1本あり
それは『もしも愛がぼくのもんなら』というカセットをダビングしたものでした
それが判ったのはテープが見つかったわけでも、友人に確認したわけでもなく
ネットオークションに出品されていたのを見つけたからでした
…でも、落札しそこなったんだよね
まさかと思ったけど対抗馬が現れ、終了間際に持って行かれました
しかし、なぜか今、ワタクシの手元にあるのです
ふとしたことから南修治さんご本人より無期貸与を受けているのです
ということで、何年ぶりになるのでしょう、久しぶりに聴くことができました
しかも、たまたま先日CDラジカセを買ったのでクルマの中以外でも聴けるのです
安物ですのでライン出力端子なんてものはついていなかったのですが
なんと、ヘッドホン端子から直接パソコンに繋いで録音できました
てっきりレベルが高すぎるので抵抗入りコードが必要になるかと思ったのですが
…ということで、カセット→パソコン→CDが可能になりました
(著作権法で認められた範囲での利用に限ります
それと、南さんのカセットには例によって
「無断で録音することは本人の意思により推奨されてます」の一文)
でまぁ、3曲(1曲は朗読ですが)聴き比べた感想ですが
やっぱり最初に聴いて深く印象付けられているから、南さんのが一番好きですね
次いで「いいな」と思うのが上條さんの朗読です。これは何といっても「巧い!」
舞台役者としてもミュージカルで活躍している人ですから表現が抜群です
林亭のはメロディーやリズムに軽快さがあって、「ちょっと陽気すぎるんじゃないの」
敗戦後の空虚なイメージに対する新解釈で
悲壮感があって重苦しいよりは、むしろカラッとした方が、より空虚さが強調される
そんな気もするのですが、どうも前の2人の作品のイメージがあるから
ちょっと違和感を感じてしまうのが正直な感想です
結局のところ、自分が聞いた順番どおりの評価になってしまったわけですが
もし、林亭の作品を一番最初に聴いていたなら
この評価がどう変わるのかが、自分でも興味あります
申し訳ありませんが
現在ではこれらのCD、カセットを入手することはかなり困難だと思います
夜だから/林亭(ミディ:MDC4-1180)
もしも愛がぼくのもんなら/南修治(自由巣:JIUS-05)