東京⇔名古屋:1996.7.20,21
(東海道新幹線乗車録その7)

 


東海道新幹線乗車録もとりあえず最終回
またしても名古屋なのであります

この時の名古屋行きの目的は
パソコン通信のスタッフ会議でありました
当時はまだインターネットがこんなに普及しておらず
パソコン通信がネットコミュニティとして盛んだったのですね
サービス提供会社での料金体系は従量課金制が主流で
つまり、多くのユーザーが長時間アクセスすればするほど儲かるわけです
そこで魅力的なコンテンツを揃えようとするわけですが
当時のパソコン通信では『電子会議室』というのが重要なコンテンツでした
...今、ウェブの世界で言うところの『掲示板』ですね

  パソコン通信では『掲示板』と言うと『売ります・買いますコーナー』を指し
  一方的に告知をして、その後のやり取りはメールなど当事者間でするものでした
  それと従量課金制は、インターネットの普及につられるかのように
  準定額制(一定時間までは定額)や定額制に変わってゆきました

ワタクシが会員になっていたニフティサーブ(NIFTY-Serve)では
「フォーラム」という名称で、様々な趣味や興味に合わせて
多くのコミュニティが作られていたのですが
運営会社主導で作られたものあれば、ユーザーの中から「こんなのやりたい」と
申請・審査の上で設置されるものもありました
いずれにせよフォーラムが盛り上がり、多くの会員が参加し
別に書き込みはしなくても長時間接続してくれれば運営会社は万々歳なのですね
それで運営側としてはフォーラムの管理者にインセンティブを出すわけです
詳しくは知らないけど、被アクセス時間に応じて幾ら、だったのでしょう
で、フォーラムが大きくなると管理者一人では手に負えなくなって
アシスタントを任命するわけです
管理者がシスオペ(システムオペレーター。シソップとも)、副がサブシスですね
つまりワタクシはとあるフォーラムのサブシスをしていたわけです
まぁワタクシ一人ではなく7、8人くらいいたっけなぁ
テーマごとの細かい会議室などを担当して話題の流れを調整したり
会員のフォローや、滅多になかったけど不穏当な発言の削除なんかやってたのです

さて、前置きが長くなりました
居住地がバラバラでも一緒にフォーラム運営ができるのがネットの魅力ですが
やっぱり一度は顔を合わせて運営について会議をしようよ、というのと
想像ですけどシスオペとしてサブシスの慰労をしたかったのでしょう
交通費・宿泊費もちで自分が住んでいる名古屋に招集をかけたのでした
  そういうことができるくらい貰ってたんだろうなぁ(笑)
  ちなみにサブシスであるワタクシは金銭的には何も貰ってません

「まつおサン、名古屋には一緒に行こうや」

そう声をかけてきたのは同じ埼玉に住むエヌ氏でした
彼はパソコン通信を始める前からの友人で
一緒に汽車旅をしたことは無かったけど
かなり血中の鉄分濃度が高い男です(笑)

「『ひかり』で運用される300系があるから、それに乗って行こう」

ほら、おいでなさった
つまり本来『のぞみ』専用車両である300系が
機材運用の都合だかなんだかで『ひかり』として運行すると
当然『ひかり』の特急料金で乗れるから、それで名古屋に行こうと
そう言ってきたのですね

もちろんワタクシに異存はありません
新幹線なんて滅多に乗る機会が無いんだから
ここで新型車両に乗らなかったら二度と乗れないかも...
まぁそんな大袈裟な話じゃなく、話のタネにね (^^ゞ

しかし、個人的な感想なんですが
ワタクシ、あの車両のデザインは好きなんですよ
もちろん『のぞみ』というネーミングも素晴らしいと思ってます
でもね、あの鉄仮面みたいなデザインで『のぞみ』と名乗るのは許せない
当時はホント、そう思ってました。いや、今でも思ってます

  ちなみに、当初候補に上っていた名前は『きぼう』だったとか
  それを新型新幹線の名称決定委員であった阿川佐和子サンが
  「『ひかり』も『こだま』も大和言葉です
   『きぼう』を大和言葉にしたら『のぞみ』になります」
  と言って採用されたという話を聞いたことがあります
  もちろん、父君の南蛮阿房列車・阿川弘之サンが知恵を授けたのでしょう

あの精悍な面構えと、柔らかな大和言葉の響き
およそ不釣り合いとしか思えないのですが
  しつこいようだけど、それぞれには好きなんですよ
でも、乗ってしまえば外観は見えなくなるし
いちいち『のぞみ』『のぞみ』『のぞみ』と唱え続けるわけでもないので
そんなことはどうでもよくなってくるのです(笑)

それに『ひかり』として走るからには最高速度も抑えているだろうし
0系や100系と内装の違いを較べようにも
乗った回数が少ないので今までのをよく覚えていないし
結局のところ「珍しい運用形態の列車に乗った」「安く300系に乗れた」という
それだけだったのかもしれません (^^ゞ

ただ、一つだけ、20年近く経った今でも強く印象に残っているのは
新幹線が盛り土の上を走っている、ということなんです
窓の下を見たら、まるで在来線のように土手の上を走っている
ふだん上越新幹線のコンクリート橋脚の上を走る姿ばかり見ているので
新幹線が、まして最新型の300系が
そういうところを走るというのが不思議でなりませんでした

東海道新幹線に乗るのは初めてじゃないのに
この時初めて意識したのですね
そしたらなんだか、今走っているのが
ローカル線のように思えてきたのでした
心なしか騒音や揺れも大きく感じられたりもして...

名古屋ではシスオペが手配した地元大手企業(トヨタではありません)
まるでホテルのような宿泊研修施設で会議をし
夜は飲み放題の生ビールで『みなと祭』の花火を窓越しに眺め
翌日東京に戻る新幹線は...これは普通の『ひかり』だったかな?
乗る前に切符を買った金券ショップの相場が
東京より高かったことくらいしか覚えていません
...ああ、あと新横浜あたりでツレアイから携帯電話に着信があったな
携帯電話を持ち始めたばかりで、と言っても使うアテもなかったので
着信すること自体が凄く珍しかったから記憶に残ってました
「今どこ? 何時頃帰ってくるの?」って訊かれたんだったっけ


しかし、こうやってこれまで乗った新幹線について書いてきましたが
その前後のことはけっこう記憶があるんだけど
意外に車内の出来事なんかは覚えていないんですね
乗ったことさえ忘れていたのもあったし...
ううむ、新幹線って単なる移動の手段なのかな

で、10行ほど前の文章を書いていて突然気が付いたんだけど
東海道新幹線にはもう一回乗っていたかもしれない...新横浜から東京まで
1990年に町田に寄ってから横浜アリーナに行ったことがあって
帰りの新横浜駅構内の情景が脳裏に蘇ったんだけど
そのあと新幹線を使ったのか横浜線に乗ったのか
駄目だ、全然思い出せません


東海道新幹線乗車録その1

東海道新幹線乗車録その2

東海道新幹線乗車録その3

東海道新幹線乗車録その4

東海道新幹線乗車録その5

東海道新幹線乗車録その6